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【エモさのある映画評】ジ・エクストリームスキヤキ

とても不思議な作品だった
これほど余白のある作品は初めてかも知れない。
「人が生きる、暮らす」という点で相当なリアルさを感じた。
会話が台詞がかっていないのだ。
「やたら長ったらしい会話をダラダラと」と一蹴する人もいるだろう。
しかし、この作品にはそこに価値がある。
「客に見られるもの」として、体裁を整えた会話には伺え得ない「リアル」。それに価値があるのだ。青春と言えば青春映画とも言えるだろう。しかし、本作にはそんなくくりをする事自体が非常にナンセンスだ。全体に流れるアンニュイな雰囲気は、この世に絶対の価値なんて存在しない、人にはそれぞれ暮らしが在って、それはそれで尊いし、楽しいものだと教えているようだ。そうおもったら「いつだって青春だ」と教えているようである。
とにかく、物事の価値観を考えさせられる。あれが一番いいとか、悪いとか、結局はそんな事はどうでもいいのだ。自分が生きていて、何をしているのかが大切なのだ。特に印象深く残っているのは、京子と大川の会話の一片「正社員もアルバイトも変わらないよ。」なんて事のない台詞と言えば確かにそうだ。だが、この作品の雰囲気の中で登場するこの言葉には少し異なった印象を感じるのだ。世間では、やれ、正社員になれないとか、雇用においては正社員の優位性を謳っており、連日のそのような報道に、正社員でない自分の境遇を恨む者もある事だろう。しかし、所詮、それは待遇面で正社員のほうがよいと言う事を言っているだけに過ぎない。そういう「人生はお金があったほうがいい」的価値観の顕現に過ぎない。正社員=お金が多く貰える。アルバイト=お金が少ないけど、自由にやりたい事に突き進んで行ける。という事で「正社員もアルバイトも変わらないよ。」なのだ。つまり、そういう世間で騒いでいる事とは関係なく、どちらがよいのかの価値は人それぞれなのだ。洞口は仕事を数年したら辞め、大川はアルバイトをそれぞれ続けているのだ。それでいいのだ。それが自分にとって一番しっくりくるのなら。この京子の言葉以外にも考えさせられる言葉は沢山あるはずだ。一度ではなく、何度も観る事でさらに得られる解釈が沢山あるだろう。そういう意味でいうと、これほど「余白」のある作品は最近みた映画の中でも類をみない。何度も観たい作品だ。洞口の飛び降りの真相もちょうど良い解釈は沢山在りそうだし。死んだのか?死んでいないのか?もよくわからない。いや、もしかすると、そんな事もどうだっていいのかもしれない事を教えているのかも知れない。楓(倉科カナ)が死んでしまうと大川は普段の会話とはなんら変わらぬ雰囲気で洞口に言ったが、洞口はひどく驚いていた。大川は「そんな驚いたって仕様がない、神が仕向けたまでさ。」みたいな雰囲気だ。死は死として仕方ないのだ。だから、それとして受け止めるだけ。死だけ特別扱いしたりもしないのだ。この作品の雰囲気を作り出しているのは大川なのかも知れない。


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