私の遺書日記①〜私と音楽〜
私は音楽が好きだ。
聴くのも作るのも歌うのも全て好きだ。
だから、歌い手とボカロPを少しやっている。
しかし、ここ1年ほどメンタルがやられていて
活動休止していた。
とは言っても、有名な歌い手って訳でも、
ボカロPでもなかったから支障はなかった。
しかもめちゃくちゃ底辺で活動していたから
知ってる人もほとんど居ない。
知っていても、中学のクラスメイトくらい。
実は少し前から音楽活動を再開していた。
きっかけは古民家飲食店の音楽イベントだった
今まで、自分にとっての音楽は
こうでなければいけない。こうしなきゃ。
など堅っ苦しいものだった。
しかし、音楽イベントに出てみると、
みんなものすごく楽しそうに音楽をしていた。
それを見て自分は
音楽は堅苦しく行うものではなく、
純粋に楽しむものだ。という事を感じた。
なんか、初心に戻った気分だった。
自分も最初の頃は楽しむ目的で音楽を
作ったり、歌ったりしていたから。
しかし音楽活動を続けていくにつれて、
自分は高度なスキルを求めるようになった。
その結果、音楽自体が楽しくなくなり
私にとって音楽は苦しいものになった。
今思うと、音楽を堅苦しくしていたのは、
紛れもなく自分だったんだな。って思う。
完璧に音程取らなきゃとか、
プロ並みの技術を身につけなきゃとか、
今となってはそんなんどうだっていい
今はただ、
純粋に楽しむことだけを目的としている。
だから、やりたい時にやってるし、
あ、今日はダメな日だな。って思ったら
すぐやめてる。
〜少し期間を置いて書いてました。〜
約1ヶ月程
私は今軽音部に入っている。
念願の軽音部だ。
ありがたいことに今は
ギターボーカルをやらせて頂いてる。
バンドでやる曲は夜明けと蛍。
自分にとって物凄く思入れのある曲だ。
あれは2年前、初めて活動休止した時の事。
当時私はアンチコメントや、誹謗中傷により、
心が傷ついていて、何も出来なくなっていた。
約3ヶ月の間何も出来なくなって、
音楽とは離れた生活をしていた。
そんなある日の事。
当時の他校の友達が活動再開する時は
夜明けと蛍を歌って欲しい。と頼んできた。
正直、自分はもう音楽活動を辞める方向で
考えていた。
しかし、まだ帰りを待ってくれている人が
少なからずいることに気付かされて、
もう一度頑張ろう。と思えた。
次の週に夜明けと蛍をレコーディングした時
あれ。こんなにも歌うのって難しかったっけ。
ってなるほど歌えなくなっていた。
当時の自分はピッチ補正というものを
知らなかったし、ソフトも持っていなかった
だから、完璧な音程が取れるまで、
何時間も繰り返した。
まぁ、無事レコーディングは終わりました。
しかし、MIXとはなんぞや?
っていう感じだったので、よく分からないまま
MIXしていない素音源をアップロードしてた。
今となってはいい思い出だ。
そんな夜明けと蛍をバンドで歌えるのは
とてもうれしい。
しかもギターボーカルとして。
1曲限りのバンドだけど、
大切に歌いたいし、弾きたい。
こんな自分でも帰りを待ってくれた人が
いたから。
今度はその人達を思いながら歌おうと思う。