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私の遺書日記①〜ごめんねをありがとうに変えましょう〜

「ごめんねをありがとうに変えましょう。」
これは私が好きだった人が言った言葉だった。
当時の私は「ごめん。」を連発していた。
めちゃくちゃに連発していた。まあ、今もだけど…

だけどね、分かっていてほしいのは、
「謝っておけばいいや。」のノリじゃなくて、
本当に自分がなにかしてしまった。
そう思っての「ごめん。」だから。

私はネガティブ思考の才能があると思う。
すべての物事において、すべて自分が悪い。と
変換することができるのだ。

例えば、今まで話をしていた人が、
なかなかトイレから戻ってこない事があったとする。
普通の人なら、「大丈夫かな?」で済むところを、
私は、「大丈夫かな、私との会話で傷ついていないかな。
傷ついてリスカとかしていないかな。嗚呼自分は人を傷つけた。
死に値する。嗚呼消えたい。」とまで思う。これにはマクドナルドも驚き。
とんだハッピーセットだ。

まあ、こういうの全てひっくるめて、
私はこれを「思い込みの呪い」と言っている。
このように、私は常に思い込みの呪いと戦っている。
とてもつらい。

おそらく、発達障害の影響もあるんだろうけど、
やっぱり、過去の自分が関わっているのだと思う。
空気が読めなくて怒られたり、
意図しない悪口で人を傷つけてしまったり、
そういう経験から、人の態度や言葉に敏感になってしまって、
ネガティブ思考になっていったんだと思う。
だから、ごめん(すべて自分が悪い)を連発してしまうんだと思う。

そんな中、好きな人が「意味もなく謝られるのは苦手。
だから、これからは、ごめんねをありがとうに変えましょう。」と
言ってくれた。
私は、この文を見たとき、
「自分のごめんが人を傷つけていた。ごめん。」と思った。
もうここまで来たら末期だ。
それと、ここまで言ってくれてありがたいと思った。

この件があってから、私は、あまり「ごめん。」を使わなくなった。
代わりにありがとうを使った。
でも、なんかむず痒い。めちゃくちゃむず痒い。
謝らないといけないのに、なんで、ありがとうなんか使ってるんだ!
自分の心が叫んでいるのがものすごく分かった。

私は考えた。どうしたら、むず痒くなくなるのかを。
少し時間が経ってから、1つ思いついた。
ありがとうを、文の先頭と文末につけるのだ。
「ごめん。今はいらないかな。」という文よりも、
「ありがとう、今はいらないかな。ありがとね。」という文のほうが
よっぽど印象がいい。と思ったからだ。
いわゆるasで挟む文法みたいな感じだ。

物事の断り方や、謝らなくてもいい場面で謝ってしまう人は、
一回でいいから試してみてほしい。
「ありがとう。」で不自然なときは、
「教えてくださり」や「教えてくれて」をつけると、
大体自然になる。もちろん例外もあるけど、
日本人なら頭の中で、適切な文に変換することができると思う。

話をもとに戻すが、思い込みの呪いとは、実に強力なものだと思う。
思い込みの呪いの源は、人によって様々である。とも思う。
私の場合、呪いの源は、自己否定、妬み、嫉妬だと思う。
でも、自分から離れることはできない。
一生かけて、ゆっくりと共存していかなければいけないと思う。

呪いは、この先も消えることはないと思うけど、
強くなるときや、弱くなるときはある。
弱くなったときを狙って、自分をケアしていこうと思う。
これは、呪いとの向き合い方にもなるだろうし、
自分自身との向き合い方にもなると思う。

呪いを受け入れ、共存できたとき、
初めて自分を愛せるようになり、また、
他人を愛せるようになるのだと、私は思う。


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