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忽那の雫第29話 鯛に魅せられた少年時代から

昭和37年、忽那諸島が連なる松山沿岸の小さな町に生まれて育ったわたしは、10才になる前ころからお魚たちに囲まれた生活があった。^ - ^ 

父親は毎朝まだ暗いうちに家をでて、小さな漁船にのってエンジンを手で始動させ、すぐ沖合いに浮かぶ興居島の裏まで走らせる。

琴引の鼻付近のいつもの場所に網を入れて、スグに引き上げる。とれたのは小さなイカで、漁師たちはこれをチンコイカと呼んでいました。

小さい子供のチンコくらいのサイズなのでこう呼ぶんだろうなと、誰にでも想像がつく。(^.^)

わたしも何度か、早朝に起こされて連れてってもらった。船に乗ると独特の油くささがあり、小さな船にある船首の、家でいうなら押し入れのような小さなスペースにわたしは決まって入り込んで、自分だけのくら〜い世界を楽しんでいました。

そして興居島の裏側で、チンコイカをほどほどに捕ったあと、船は心地よいトントントントンというリズムで、野忽那島と睦月島のあいだの芋子瀬戸の速い潮流に逆らいながら浮かぶ、これまた小さな小さな無人島の芋子島を目指します。

島に着いたころには、すっかり船倉で寝てしまったわたしを父はソーっと起こしてくれ、着いたどー、釣るかー?っと聞いてくる。^ - ^

うん、釣る釣る〜っとご機嫌なわたしは、父から渡された、この地方特有のビシマと呼ばれる仕掛けを海にたらします。^ - ^

しばらくすると、鯛がチンコイカをくわえたことを知らせる魚信が、指先にわずかに伝わってくるんです。^ - ^ 何度も父から、このわずかな魚信を上手くキャッチするコツを教えてもらっていたわたしは、魚信をとらえて合わせと言われる、針を魚の口に掛ける動作を素早く行う!

ガッっという感じの抵抗が遥か遠くの海底から伝わってくる。この瞬間!感動的な鯛とのやりとりが始まるんです。

鯛をまんまと息子に釣らせた父は、満面の笑みをみせてくれます。

わたしは数分間の素晴らしい鯛とのやりとりを身体に染み込ませて、何かたいへんなものを授かったような気分になりました。(^。^)

じっさいこの小さい時の感触は、大人になってもまったく消えず、自分だけの宝物となりました。

10代、20代とカゴで鯛を釣ることを覚えて、すっかりハマり、このころに沢山の大物マダイに出会えました。

そして28才くらいの時に、釣具店の人に誘われて投げ釣りのクラブに入りました。

多くの魚種を狙うクラブの活動はとても面白かったので、その後20年以上に渡り投げ釣りの世界で遊びました。

21歳で結婚し、子供をもうけていたわたしは、今度は父として鯛を釣って帰り食べさせる役になっていました。(^。^)

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子供よりもデッカい鯛を持ち帰って、家族が驚くことの嬉しいこと嬉しいこと(^◇^)

例えばキスの大物を釣っても、30かせいぜい35センチほどしかないから、コレらは小さな大物と表現される。^ - ^

が、鯛は誰がどう見ても大きな大物!(o^^o)

やはり海の王者の風格があります。

こんな釣り対象魚としての王様と、忽那諸島で対峙し続けたわたしは、体力に若干の衰えがみえる現在も、やめられないのですこの釣りが。

そして息子たちにも釣りを伝えただけでは飽き足らず、こうして発信しつづけているんですね。

忽那諸島周辺海域は大物マダイの宝庫です。ここでそれを仕留めるための情報をぜひ受けってくださいね。



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