忽那の雫第544話 釣りの旅の終わりの間近に(ふるさと高浜)
2024年もあとわずかとなった今のタイミングで、ワタシの釣りの原点やらルーツやら旅の終わり間近の心境などをここにメモしとこうと思う。
原点もルーツも似たようなものに感じるが、原点はワタシの釣りの言わば出発地点。
ルーツはワタシが知らない自分の歴史的背景のことだ。^o^
そして還暦を過ぎるまでやり続けてしまった、この釣りという趣味を超えた遊びを、今のワタシはどういう心境で振り返っているのか、軽く短く感想文を書いてみる←小学生並みの発想ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
生まれ育った高浜という町は、ホントにワタシにすべてを教えてくれた暖かい場所で、素晴らしいご縁のある方たちに囲まれた、釣り人生をスタートするのにこれ以上ない環境だった。
オカからの釣りも沖釣りも、何でも出来てお金もかけずに贅沢なエサを存分に使った釣りがずっと出来て、マサに釣りするためにここに生まれて来たような環境だった。
オヤジは漁師で釣りのイロハを学ぶのにこれ以上ない存在で、6つ離れた弟も釣りの世界へ迷わず入ってきたから、どこへでも連れ回していろんな経験をするのにとても心強い存在だった。
母ちゃんも釣りにとても理解があり、何をするにも相談できた。
わが町高浜には松山観光港があり、この街の海の玄関口には釣り場がずらりと並ぶ。
昔は干潟だった所が、今はフェリー岸壁になったが、かつてはその干潟で釣りエサも自分で採取できる環境まであった。
日本ゴカイに始まり、本虫まで掘るようになり、しまいにはスムシ(イチヨセ)やアカムシ(鯛虫)にまで至った。^o^
元干潟だった場所でエサを掘ってた頃、ふつうの人に今話したらそんなオーバーな!
と言われそうなくらいの量の高級エサを山ほど掘っていた。
例えばアカムシ
この虫は鯛虫とも呼ばれて、のちにワタシが投げ釣りのクラブに入った30年前なら、一本千円でも出していたから、どんなお金持ちが買うんだ?
というくらい高価なエサだったが、この虫を水汲みバケツに半分くらい掘って帰り、冷蔵庫にアオサと干潟の砂を入れて生かしながら、その日欲しいだけ持って釣りに出かけるという贅沢っぷり( ・∇・)
このバケツに半分って、いったいいくらになるのか想像も出来ない。
釣り人生の出発地点で早くもこんな調子だったのだから恵まれている。
その後は釣りエサは買う時期に突入したが、タイミングがあれば自分で採取して思う存分に使った。^ - ^
赤虫なら見事なくらい鯛が食い、チヌを釣りたいならスムシを掘るというように、欲しい魚を欲しいままに釣っていた。^o^
このエサ掘りという行為は、そのものが楽しくて、例えば山に行って山菜を獲る行為に似ていて、それ事態が釣りと同じくらい楽しいのだからたまらない。(^◇^)
だから当然のように、のちには奥さんにも教えて楽しんだ。
ここ忽那の雫にはエサの掘り方や場所まで書いた記事も埋もれてるはずだから、ぜひ探してみてほしい。
コレらはワタシが10代の頃に体験した釣りに関する一コマだが、松山観光港付近はいまだに魅力を感じる海域にある。
松山観光港のフェリー岸壁には今でも昔を知ってる釣り人が集い、懐かしい光景が見られたりする。^ - ^
この二人、手前はわたしの姉で、釣りをしてるのがワタシの兄のような存在の、釣り達人列伝でも書いた達人だ(^。^) 第333話
現在松山観光港のフェリー岸壁には釣りを禁止しているところもあるが、ほんの片隅程度だが釣り出来る場所もある。
地面をよく見るとわかるが、岸壁の片隅に草が生えてる一角があり、その辺ではまだ釣り好きが竿を出しているのだ。
この真下くらいはワタシもよく素潜りしたあたりで、フェリーの車が乗降するあたりには良型のメバルも着いていて、何度となくデカいメバルを釣った記憶も蘇る。^o^
さらにこの場所、キレイなトイレも出来ていて、女性を連れてっても安心な釣り場となっている。
ここから沖を見れば興居島が浮かび←浮いてはいないがヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
対岸の興居島の大室(おぶろ)あたりは、昔からワタシら夫婦の大好きな投げ釣りポイントで、奥さんもお気に入りの釣り場のままだ。
ここと高浜の観光港岸壁は対岸にあり、同じ海域での釣りとなる。
この海域で釣りをスタートし、コレまで数十年釣ってきて、数年前に一度自分のルーツを探る旅を姉と弟らとしに佐賀の唐津に行ってみたことがある。
っと言うのも、ワタシら兄弟の父方の母は唐津の出で、一度姉が唐津にその痕跡をたずねて行ったことがあったそうで、不思議なことに高浜にとても似ていたそうなのだ。^ - ^
何度もその話をする姉に声をかけて、死ぬまでに一度兄弟揃って行ってみようやということになり、自分のルーツを知るための旅を弟夫婦と姉、そしてワタシら夫婦の5人でして来た。(^◇^)
そしてそれはとても心に残る旅となり、人生の一つの謎が解けるような素晴らしいものとなった。^o^
思わず漁港の波止に出たら、まるで地元にいるかのような錯覚に襲われて、姉が似てる似てると言っていた意味がわかった。^ - ^
ワタシの婆ちゃんが出た実家もわかり、ここが間違いなく自分のルーツだと確信した。
しかもここは唐房5丁目、ワタシの実家は高浜5丁目だ。
はからずも婆ちゃんは、実家と似た環境の場所に嫁ぎ、住んでみたらやはり5丁目だったという、人生の不思議を感じた。
そしてこの旅の目的の一つがイカ🦑^o^
佐賀と言えばイカ(^◇^)
みんなイカは大好きで、うちの奥さんはイカも好きでヤツも大好きだから←ヤツって?
注文する時のどさくさに紛れてヤツを頼むワタシも強欲だったヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
弟の奥さんもウチの奥さんも、出自はどちらかというと山手の方の庶民の出で、イカやエビなどとは縁が遠かったので喜んでいたのが印象的だった。)^o^(
ともかく、全員が楽しめた旅が出来たことが良かった^o^
そんな我ら一族がいまだに住まう松山^ - ^
海あり山ありのこの世の天国(^O^)
夏目漱石もビックリの四十島と九十九島が一緒に見える街に居る奇跡(^◇^)
残りの人生も素敵なものがたりを紡げますように^ - ^
一年梅組 探偵釣り師しゅうちゃん( ・∇・)