忽那の雫第447話 ワタシと魚のご縁シリーズ!(メバル)
前回はスズキの話だったが、今回は小さな魚だが大物に遭う確率も高いメバルとのご縁を話してみる^ - ^
メバルとのご縁はもう長く、ワタシが生まれ育った松山の海の玄関口である松山観光港あたりの岸壁周辺から始まる
まだ幼かったワタシだが、すでに小さい頃から竿を欲しがり、父ちゃんに買ってもらった時には死ぬほど嬉しかった←幼いのに死ぬほどって( ・∇・)
コレがいくつの時かわからないが、あと数年もしたら竿をかついで海に出る日々を送る←早くもオッサンじゃねーか!
後ろに建ってるのが初代松山観光港で、その広いフェリー岸壁あたりが釣り場だった。
最初は団子結びで胴付き風の仕掛けを作り、道に落ちてるクギなんかをオモリにして岸壁のヘチに落としてホゴ(カサゴ)を釣っていた。
が、ある日間違ってメバルが食いついた。(^o^)
それを持って帰ると、なぜかホゴを持ち帰るときよりも両親がほめてくれたのだ。
なぜだかわからないが、この瞬間に魚の価値はメバルが上なんだなとほんのり思った^ - ^
それからは、仕掛けを底につけるのはやめ、なるべく浮かせた状態で釣るようになり、しまいに引っ張りはじめた。
そしたら引いてる仕掛けにバンバン食うのだ(^。^)
メバルはじっとしてないエサを食うのが上手いんだなと納得^ - ^
その後、社会にでてからもメバル釣りは続いて、竿もリールも少しマシなものになり、仕掛けもかなり進化した。←社会に出るのが早すぎた男16才^ - ^
釣り場も松山観光港の岸壁から伸びていき、高浜漁業組合のある波止の外側に入った消波ブロックのキワなんかを狙うようになっていた。
底につけずにブロックの上を器用に通してメバルを誘うのが楽しくて、夜も遅くなってるのに気づかず、家の皆んなを心配させた( ̄▽ ̄)
この頃には胴付き仕掛けも現在の形になっていて、エサも貝を潰したものから日本ゴカイになった。←貝を潰して釣った時期が長かった男(°▽°)
16才の頃から島に渡るようになっていて、島でもメバルを釣ったが、大きさも数も圧倒的だった^o^
目の前に浮かぶ興居島から始まり、中島まで手を伸ばすのも時間の問題だった。
島に行けば毎回の釣果が圧倒的になり、母ちゃんがメバルをどこに配ろうかと頭を悩ませていた。( ̄▽ ̄)
10台はあっという間に過ぎ、ソレから28才で投げ釣りのクラブに入るまで、メバルを相変わらずやっていた。
投げ釣りクラブに入ってからは、中島行きがグンと増えて、昼間の投げ釣りからそのまま夜のメバル釣りをして始発で帰るというハードな釣りを繰り返した。
早いうちからメバル釣り場としてワタシが注目した場所は、なんと依然として一級釣り場のままで、30年以上釣れ続ける(^◇^)
元々バランスの良いワタシは、高い護岸もキワドイ消波ブロックの上も平気で、なんなら不安定な場所で1時間でも立っていられた。←今は5秒で足がすくむ( ・∇・)
中島まで行く時はほぼ投げ釣りと組み合わせて計画を練り、しまいにはメバル釣りだけでも行くようになった。
チョコチョコこんなヤツが食うからやめられないのだ( ̄▽ ̄)
島には明るくて釣りやすい波止もあり、一晩中メバルを釣ることも少なくなく、クーラーは40リットルのものをふつうに持って行ってた。
やりやすい場所には仲間を案内することも多く、一晩でいったい何匹のメバルが釣れたのか?
考えるのが恐ろしいことさえあった^ - ^
大鯛やスズキが多く、メバルも多い人気の波止は、今でも一級のメバル釣り場(^◇^)
いそがしくてたくさん時間のとれない時や、仲間を案内する時は興居島が手軽で、泊港の波止なんかは目をつぶって先まで行けそうなくらい←現在は平らな場所でも転びそう(°▽°)
こうして仲間と過ごした30年だが、足元がフラフラしだした現在は、奥さんが監視役として付いてくることが多くなり、じつは良いコンビだったことが判明)^o^(
奥さんも活躍するようになった^ - ^
孫も出来てジィジと呼ばれるようになった現在も、まだ夜の暗い磯へ降りることがあるので、奥さんは目が離せないそうだ←子供に逆戻り?(・∀・)
こうして現在もまだまだ現役として、釣り場に足を運んでいる^ - ^
メバルとのご縁はこれほどまでに深いのだ。^o^
コレからもまだ、新たな情報を出し続けていきたい(^O^)