忽那の雫第497話 釣りの会を主宰した自分史の1ページ
今日はちょっと、ワタシがバリバリ元気で釣り最盛期だった頃のことを思い返し、何をやっていたか、その1ページをメモしとこうと思う^ - ^
メモしとこうと言うのは、今から考えると30年以上前のことを思い出す時、若干だが記憶に陰りが出てきているからだ。←それを現代では認知◯と言うんだよヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
少しづつでも書いとけば、また懐かしい気分にもひたれるから^o^
ワタシは釣りの自分史の中に、高浜一発会というふざけた釣りの会を主宰していた時期がある。
34年前に全国組織の投げ釣り団体加盟のクラブに入ったのだが、その少し前から投げ釣りの個人的な会を作って活動を始めていた。
振り出しの投げ竿を揃えて地元周辺で活動していたのだが、もう当時に使っていた道具はない。^ - ^
だんだんと本格的な道具になっていき、会のみんなも知識、技量ともに少しずつ進化していった。
会をはじめて一年も経たないうちに、会員数は20名を超え、全国組織の投げ釣りクラブにまけないほどになっていた。
ワタシは全国組織の投げ釣りクラブで吸収した技術や知識を、自分主宰の会でも良いものは取り入れて、どこに出しても恥ずかしくないほどまで高めていった。
その上で、独自のルールや釣り場の開拓も進めて、仲間たちと素晴らしい時を過ごした。
地元中心のメンバーが、効率良く釣り、その情報を共有出来るように、皆が得た情報はワタシがまとめて、ワタシの元に集まった情報を余すことなく全員に出し、さらに開拓した場所へ複数人で行き、実績を積み重ねていくという繰り返し。^ - ^
会では会員を束縛するルールはいっさいなし^o^
リーダーも会長も居らず、だけど釣った魚の記録はとり、年間に誰がよく釣ったかはわかるようにしていた。
たとえば単独で釣りに行っても、どこでいつ誰が何を釣ったかが、ワタシのとこに来るか電話するかしたら即座にわかるようにしていた。^ - ^
会員の20名ほどはみんな同じような距離感で釣りとの関係を持っていて、釣りの技術を磨きたい、もっと凄い魚を釣りたい、もっと釣り場を知りたいなど、同じ目的地を目指す者が集まったという感じだった。^ - ^
だから誰かがいい魚を釣ったら、その情報は次の日には全員が共有していて、次は誰が行く?
と、都合を合わせられる者がさらなる実績を積み上げていくという、家族みたいな会だった。
ワタシが入った投げ釣りのクラブは、釣具店がその中心にあり、その釣具店に集まることも多かった事情から、竿やリール、その他の小物まで安く買える環境にあったから、自分主宰の会の人らもよく利用させてもらった。^ - ^
ワタシのつくった会の名称は、会員の一人がこの会はなんて名?
と突然聞いたので、一発大物狙いのワタシの口をついて出たのが「高浜一発会」という言葉だった。
このフザケた会の名称によって、さらに数名会員が増えた(°▽°)←お調子者の集まり?(((o(*゚▽゚*)o)))
そして会の活動や狙う魚や、釣り方まで、すべてが緩い。^ - ^
何をどんな釣り方で釣っても記録をとり、それをみんなで生かした。
時にはルアーをふり、時にはチョイ投げでキスを釣る。
声をかけ合って島へ渡り、年に何回かは夜釣りでメバルも釣ったりした。
だから今も恒例になっている夜のうどんも、当時から始まったものだ。^ - ^
会費はもちろん、少しだけ徴収して、年に一回年間の優秀者を決めて景品を出した。
そんな気ままな活動を通して、ワタシはたくさんの釣り情報とたくさんの創造力豊かな発想をもらった。
あの頃のみんなのおかげだ(^O^)
それらの経験から、今こうしてエラそうな発信が出来ていると言うわけだ。^ - ^
コレからもよろしく(^◇^)
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