忽那の雫第446話 睦月島の無人島(梅ノ小島)と釣りの可能性
前回、ちょっと気になるシリーズとして芋子瀬戸の野忽那島の話を書いたので、今回はそのお向かいにある睦月島のお話し。^ - ^
睦月島へはワタシ自身が釣りに行ったのは一回だけ
仲間に誘われて、渡船を使い睦月島の東側にある岩場混じりの砂浜でカレイを狙った^o^
睦月島は、ワタシがメインに通った中島本島よりも近い位置にあるのだが、車で渡っても走るほど大きな島ではないので、行く機会がほとんどなかった。
だが、家で海図と睨めっこすると魅力的な場所が所々にあり、機会があれば行ってみたかったので、仲間に誘われたのがいい機会となった。(^o^)
島に入ってワタシが竿を出すことになった浜では40センチオーバーのマコガレイを頭に3枚釣らせてもらった^ - ^
島の南の端にある甫崎にある灯台が見える場所で、水深が基本水準面で10〜14メートルの位置^ - ^
抜群の水深と砂底の、これでカレイが食わないはずがない!
と言えそうな所だった。
結局、仲間二人もまずまずの釣果だったと記憶しているが、カレイは全員安打だった。
渡船基地に帰ると、愛媛で有名な釣りの番組をやってるチョウさんも待機していて写真を撮っていた。
今振り返ってみてあらためて海図を見ると、芋子島に近い睦月の北東側にある離れ小島の周りはホント魅力的に映る。^ - ^
睦月島には梅ノ子島という、小さな島がくっついたようにあるが、この島の周りは水深・底質・流れを見ても申し分ない投げ釣り場に見える。
この芋子瀬戸、見た目は激流なのだが、実は満ち引きともに2knなので、釣島水道や高浜瀬戸よりも流れはゆるい。
この瀬戸に、まるでイボのようにくっ付いているのが海ノ小島砦という。
ん?
何の砦?と思うが、文献によるとこの標高32メートルの小島は(梅子城)という城主が村上源左衛門という方の居城だったようで、中島の海の玄関口というべき要所に位置したようで、あちこち見晴らしが効き、難攻不落の要塞だったと言うから凄い(°▽°)
1342年、道後湯築城主 河野通盛の軍が攻めて来た時、見事に撃退させた梅の子合戦として有名。(^o^)
ところで、うちの奥さんの旧姓が村上なのだが、中島へ行くというと喜んで付いてくる。^ - ^←島々を見て懐かしそうにしている( ・∇・)
アレが梅の子島でね、なんて言うと何やら懐かしそうに見ているのだ^o^
キミもしかして村上氏と関係ない?
とか、よく冗談で言うのだが、奥さんの兄がよく村上海賊がどうのこうのと、関係を匂わせるようなことを言っていたという。
その奥さんのお父さんは言えないが凄い名前で、祖父は源次さん。ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
さらにその父上は村上◯左衞門ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
こ、これ以上探るのはやめとこう( ̄∇ ̄)( ̄∇ ̄)
とマジで思った( ̄▽ ̄)