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22/7というアイドルに救われた話。

結論から言ってしまえば、私は一つの偶像、アイドルに救われた。

『22/7』、『ナナブンノニジュウニ』(以後、ナナニジ)と言うアイドルだ。

このコロナ禍という未曾有かつ異常な環境の中で出会い、3周年アニバーサリーライブに行き、思うところがあり、まとめてみたいと思う。拙く取り留めのない文章になるがご了承を。

まず初めに。

『秋元康』さんの作られたグループが苦手ではあった。

大学時代に『あいたかった』『ポニーテールとシュシュ』が歌われているのを観ていてテンションの上がる曲だなぁと思うものの、疎外感があった。『会いに行けるアイドル』という活動にも関わらず。

アイドルはあくまでも偶像であり、神聖なもの。

その印象が頭の中にこびりついている自分にとって神聖化を落とすプロデュースに対して忌避していた。

(蛇足かもしれないが秋元康さんのプロデュースするもの全てが嫌いなわけではなかった。とんねるずの曲とか繰り返し聞いてたヒト)

その流れで来ていたのでそのあとの派生グループ、坂道グループも俯瞰して見る流れしかなかった。

この先、興味を持つことはないだろうなぁとぼんやりと考えていた。

その時が来たのは2020年。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行の到来だ。

自分は医療従事者として末席に名を連ねる形で感染症に関わっている。

最初の1ヶ月は献身のナイチンゲールよりも少しでも救う英雄ジャンヌダルクの面持ちで生きていたと思う。

1日でも長く働くことを生き甲斐を得ていたと思う。




ある日。

『このまま終わることあるのかなぁ』

とフライパンに冷凍餃子を敷き詰めてる間にふと考えた。

お湯を入れて蒸し焼きしてる間、徐々に焼き色と同じく不安が身にまとわりつきはじめた。

誰かにぶつけたいが誰にぶつけていいのかわからなかった。

独身をこんなに呪ったことはないんじゃないかと思う。

今、あの頃の自分は『感染』していたと思う。生物学的感染症ではなく、第二の感染症「心理的感染症」だったんだろう。先の見えない闇、ゴールに不安が増大していった。

下人が向かう羅生門の如く。

餃子を流しながら無音をかき消すためにテレビをつけた。

奇妙な番組に出会った。

その番組は芸人が次元の違う人たちにツッコミを入れまくっているものだ。

違和感。

それに尽きるが、キャラがキャラらしく動き、先の見えない流れ。理不尽なテロップ。

笑うしかなかった。

昔、『玉ニュータウン』という番組で役者陣が作家の理不尽な設定にアドリブ全開を演じ違和感を笑う流れがあったが、それに近いものを覚えた。

また来週も見たいと思った。

その作品は『22/7 計算中』というものだった。


22/7っていうのか。どんな曲やってんだろ。

といってYouTubeで調べて聞いた曲。

『ムズイ』という曲だった。

全部聴いた後。

泣いた。

ここに一部を抜粋する

『ねえどうして (人は) 生きていかなきゃいけないの? (教えて)
命って (命って) 何のためにあるの?
自信がない (私) これからどう生きればいい? (孤独よ) だって人生が長すぎる
「ムズイよ」』

一見死を誘導するように聞こえる曲にきこえる。

違う。

わたしには『希望』の曲、カタルシスを覚えた。

生きることは矛盾しかないのだ。

だから足掻くのだ。

今の悩みはあくまでも人生の長い一部で『ムズイ』ものでしかない。

救われた気がした。

そっからは早い。

ファンクラブに入り、ラジオ聴き、CDも全部買った。

そして、9月20日22/7『Anniversary Live 2020』夜の回会場参加した。

入り口はサーモグラフィー設置。

接触アプリの確認。

チケット確認。

自分でのもぎり。

終始無言。

会場の雰囲気に呑まれ、楽しめるか、一抹の不安がよぎった。

結論から言う。

心配は無用だった。

全身全霊のダンスと曲、サービス。

本当の『アイドル』がいた。

拍手で全力で感謝を伝えた。

今でも余韻に浸っているし、これからも感謝を伝えていきたいと思う。

ありがとう、ナナニジ。



蛇足。というか話ししたいことは数知れず。

調べれば調べるほど沼なんです。

ライブに至るまでの過程にセンターの子は自分の嫌なことだったからオーディション受けたとか、東名阪ライブが延期やメンバーが1人活動休止などを経て、初めて今の11人全員参加した流れがあったとか。

とりあえずみてほしい。



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