「久しい日記」2024/07/17
すごく久しぶりに日記を書く。
いや、数日前から書こうとはしていたのだが、普通に寝ちゃってた。科博特別展『昆虫MANIAC』に行った一昨日のことも、先輩に誘われて菌だけ見て授業受けずに直帰した昨日の事も書かずに特に何もなかった今日のことは日記に書くという、情報の伝達という意味では少々的外れチックな行動な気がしている。
まぁそれで言うと、日記なんてのは有意義な話をする場でもなければ、俺個人素晴らしい人間という訳では無いので日々そのものに大した価値もなく日記を用いて情報の発信をしようだなんてそれこそ烏滸がましい限りであると思ってるので、こんなもんでいいと、少なくとも間違っちゃあいないんだと思っている。
日記を書かないうちに色んなことがあった気がする。JSEC、大学合格、入学、実験、レポート、色んなところに遊びに行ったし、研究のイベントで仙台にも行った。その全ての日々を日記に収めていないというのはなかなか勿体ない気もするけど、そうと言って問題かと言われるとそうでは無いな。
らーめん食べようとしたら、休業日だった。数日前にも言ったが、ちょうど準備中だった。数日前は10分早くついていればらーめんにありつけたという。
今日は私の社会不適合性によって生み出された提出期限の切れた書類や、報告のメールや、謝罪のメールを送りまくった。
注意する、ということが頭からフッと抜けるからもうどうしようもない。注意してれば防げることは、大抵「注意出来ない」から防げないんだ。
教養悪口本という本があった。
多分、テストの珍回答まとめた本とかと同じく、エンタメ性の読み物であって、本気で「悪口はこうやって言いなさい。教養含めて悪口を言いなさい」という本ではないのだと思うが、個人的には「なんか嫌だなぁ」と言った感じだ。
まず、教養は人の悪口を言うのに使うものでは無いし、それをしてしまう時点で教養はあっても品位がない。まぁだから「本気にすんなよ」って扱いなんだと思う。そうあってくれ
普段の何気ない読書や書を具して街へ出るような活動や様々なコミユニケーションを通して得られる教養を、悪口という切り口で得るというのは中々に寂しいものだなと思う。
さて、諸君。君たちにはこれら私の意見には賛同しないで頂きたい。
こういう「嫌」を集めたような物言いは賛同を得て堂々と言い張るものではなく、深夜1人居る濁った目をした大学生の何やらよく分からないうわ言と共にでるものなのだから。
書きたいことが山ほどある訳じゃないのに、書き始めるとちょっとずつちょっとずつ何かしら出てくるものなのですね。
最近、「楽しさ」の賞味期限が短い気がする。
博物館に行って特別展まで見たのなら向こう一週間はなんとなく幸せでいいのに、なんだか全身が薄い膜で包まれたように気怠い。享受しているその時は非常に愉快なのだが、それが終わってしまった途端に余韻なくその娯楽の効果が切れている。
どうしたら良いか。回答は募集中である。
あすはあるのか。
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