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アニメ「憂国のモリアーティ」を見始めた

 僕は幼い頃からホームジアン(シャーロッキアン/ホームズマニア)です。
 なので、本作『憂国のモリアーティ』の存在自体は既知でしたが、いかんせん、この頃はホームズと銘打ったパロディや、名探偵の代名詞として名前だけのものが乱立していますので、本作もそういった類かなと失礼ながら勝手に感じ、距離を取っていたのが正直なところ。
 ですが、不意に見始めたら思った以上の良作だったので、感想を少々。

 まず、ビジュアルの良いキャラが売りかと思っていましたが(実際そう)、設定がしっかりとしているため、「勧懲悪」、義賊的なフォーマットを相まって、すんなり没入できます。
 まぁ、本作のホームズ像は、ビジュアル特化であまり好みではないですが。

 個人的に今世紀の名作とも言いたい、大ヒットドラマ「SHERLOCK」でのモリアーティも、「諮問コンサルタント探偵」であるホームズと対比させて、「犯罪コンサルタント」と称していましたが、本作でもモリアーティは数学教授であり、かつ「クライムコンサルタント」という顔を持っていました。
 このBBCドラマに合わせるかのように製作され、これまたヒットした「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」では、ワトソン同様、モリアーティも…………。

 また、原作にほんのわずかに名前が登場する兄弟の存在を活かしていた点も「パスティーシュ」的であり、興味深かったです。ある種の可能性が開かれたと言えるでしょう。

 映像化作品において、トップクラスの人気を博すグラナダ版のモリアーティは、他の設定同様、原作ならびに挿絵をモチーフにして設定・配役されており、モリアーティ役は老人的でした。光を上手く使って、目元に影を落としていました。
 ロバート・ダウニー・ジュニア主演のハリウッド版、第二作目「シャドウゲーム」にモリアーティ教授は登場しますが、こちらはわりあい健康的で初老程度でもあり、意欲的かつ世間でも高名な教授といった感じ。
 宮崎駿によるアニメ版ホームズのモリアーティ教授もどこか応援したくなりますが…………いずれにしても、原作に勝るとも劣らない魅力的なモリアーティ教授はホームズやワトソン、そしてハドソン夫人と比べれば、かなり少ない、個人的にはついぞ現れなかったとも言いたくなります。
(ミステリの構図として「モリアーティ」役は大変多いですが。)

 そういう意味でも、ビジュアルのみならず、存在として今一度、新鮮な風を取り込んだ本作は、「犯罪界のナポレオン」をその名に恥じない人物として描写させる十分な刺激だと思います。

 僕の好きな作品でアニメ化もされている『ダンタリアンの書架』を彷彿とさせる雰囲気もありました。
 悪に染まるシーンを、視覚的に、暗く赤く演出しているところは、やはりゴシック的でもあったからでしょう。
 モリアーティの最期は多くの人が知るところですが、本作のラストも気になるところ。どういった帰結によって、原作小説との整合性を担保するのか。
 彼の問いかけは現代倫理からすれば当然でもありますが、その手段が、階級制に対する「革命」的な意義における、完全犯罪の実行だった点が、やはり同程度の高知能を有しつつも、ホームズとの哀しき運命の違いを早くも覚えさせます。

 原作小説には、ミルバートンなど、ホームズにとってもモリアーティに勝るとも劣らない評価を下される犯罪界(ミルバートンはゆすり・恐喝)の重鎮が登場します。それでもなお、ホームズ同様、私たちはロンドンや犯罪者からモリアーティの影を探してしまうのです。
 理性の発明は18世紀からですが、およそ立法権が分立される前から律法は口伝としても存在し、犯罪は先史時代からあったと言えるでしょう。

 モリアーティを「現象」とする仮説もあるように、私達は犯罪を根絶したことはありません。それ故に、ホームズという超人を熱望し、彼に身近な法律家的な堅苦しさではなく、ユーモラスな英国紳士として活躍せしめたのです。そのユーモアを活かす最大の場面こそ、皮肉にもモリアーティの作った舞台だったということでしょう。

 最後に、数年前に創作したホームズパスティーシュです。モリアーティ現象論を採用しています。そして、有り難いことに、カクヨム作家様の自主企画で銀賞をいただくこともできました。
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