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改めて「雪花ラミィ」を考える回

 ホロライブに所属するVTuber・雪花ラミィさん(以下、ラミィちゃん。なお、使用する画像が公式Xより)のYouTubeチャンネル登録者数が120万人を突破したらしい。おめでとうございます。

 さて、ホロライブ所属のVTuberは基本的に何十万、何百万ものファンを抱える配信者であるが、本人が仰るように、この数字は冷静に考えてみると確かに凄い。
 一般に、人口が100万人以上の都市の事をそのまま「100万都市」と呼称するが、例えば2024年1月段階の広島市の推計人口は1,184,268人なのだ。したがって、単純計算すれば、視聴者の方が多いことが分かる。これは僕がラミィちゃんファン(「雪民」)の一人であることを抜きにしても、凄いことと感じる。

 以前、僕は音楽に絞ってラミィちゃんについて触れたことがある。せっかくなので、今回はより全体的な視点で魅力を簡単に述べてみようと思う。

 ……のだが、もはや僕が語る必要性がないかもしれない。
 この下書き自体は、120万人が突破した2月10日から存在していた。それからほぼ一週間を経る中で、バレンタインというイベントを挟んだ。
 その配信内容を見れば、僕が言わんとしていたことが伝わるだろう。

 せっかくなので、その下書きは、以下記載しておく。
 僕が言おうとしていた結論は、この配信にもあるように、ラミィちゃんがよく使用するフレーズ「甘々同棲彼女」という設定が、数ある魅力の中でも大きな比重を占めている。
 視聴者に恋人のように接する・話すことはあっても、銘打っている方は意外とそう多くない。


 以前、僕は音楽に絞ってラミィちゃんについて触れたことがある。せっかくなので、今回はより全体的な視点で魅力を簡単に述べてみようと思う。

この文章以降、本来は以下のように述べていく予定であった。

 と言っても今更、僕があえて語るような余地があるだろうか。
 例えば容姿は可愛く、雑談や仕草も魅力的……などという文言は、事実ではあっても、おそらくVTuberの大半に当てはまるだろう。
 昨今の群雄割拠する情勢を鑑みれば、この稀有な才能は、むしろ最低条件のようになっており、これが感じられないとおそらく人気は出ない。
 なので、新人のハードルはどんどん高くなることは目に見えている。

 当たり前の賛辞を述べても、あまり意味をなさないので、いつもながら自分語りを交えつつ展開していこうと思う。
 早速だが、実を言えば僕はエルフに全く興味が湧かない。
 二次元コンテンツではそれなりに人気のある属性なのだが、全然萌えない。美少女がエルフである必要性を全く感じない。
 
 これは未だにそうで、「フリーレン」を観ていないのも、ある意味ではそれが作用しているのかもしれない。
 ファンタジー界に転生しても、差別主義者にはなりたくないものである。気をつけないといけないが、まあ、食わず嫌いのような感じか。
 そういえば、僕はそもそもファンタジーに関心がないし、宗教文化の本はよく読むのに、北欧神話やゲルマン神話については無知なのだ。

 ところが、ラミィちゃんには拒否反応を見せていないし、エルフであることへの肯定もある(≒その要素を無視しているわけではない)。これはどういう訳だろう。

 自問自答を重ねるうちに、既に文章内で示唆されていたことに気が付いた。差別というのは、一般的によく理解できない・知りたくない対象へと向けられるものだ。僕がエルフを差別しているつもりはないが、現象としては類似していることを認める。
 すると、ラミィちゃんがエルフであることに抵抗がないのは、とりもなおさず、ラミィちゃんに抵抗がないからだ。

 ではなぜ抵抗がないか。よく配信を観ているから。なぜ観ているのか。それはビジュアルが美しく、視聴者への愛あるいは好感も感じるから。
 ここに来て、また話は振り出しに戻る。すなわち、雪花ラミィの魅力は見た目と中身の類稀なき素晴らしさによると。
 この堂々巡りを想うと、「宗教は大衆のアヘンである」というカール・マルクスの言葉が不意に浮かび上がってくる感がある。
 
 ましてや僕はVTuber黎明期から共に成長していったと言っていいほど、継続して様々な方を見てきたので、その中でも特に好きは配信者は、僕個人の中(影響)で、非常に大きな存在と認知してしまう。
 ラミィちゃんにどのような影響を受けたのか。それは、日常への明るい姿勢だと今は感じている。

ところで、僕は基本的にあざとい仕草や言動は実は好きだったりする。化粧のようなもので、それが計算なのを指摘するのは野暮であり、むしろ研究の度合いを評価したいくらい。

筆者:綾波宗水

 この記事で例として挙げたVTuberは、決してラミィちゃんを指したものではない。けれども、ラミィちゃんがあざといのもまた、事実であろう。
 ここで話をラミィちゃんに限らずに少し検討してみたい。
 昨今の配信者は、人気を博するほどに、経営者的な視点を揺るがないものにする必要がある。なぜなら、炎上リスクが増加するためだ。
 視聴者を研究し、個性として発揮されたあざとさは、文字通り武器になる。それを踏まえて、ラミィちゃんを見つめ直すと、配信内容や言動も一貫していることに気が付く。

 イラストレーターの安倍吉俊氏がこの動画でも語っていたが、YouTubeを運営するにあたり、その内容に一貫性を持たせるのは重要なことらしい。僕が経営者的な視点、と先に表現したのは、このようなブランディングというものを想定しているため。
 あざと可愛い・お酒・大喜利。
 この三つは主としてラミィちゃんの配信にみられる性質だが、いずれも、雑談であろうが、ゲーム実況であろうが、歌枠であろうが応用できる。そこが彼女の魅力であると同時に、強味となるのだろう。



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