【笑って、カラレーヴナ】

今日もいい天気だ。
美しく晴れ渡る青い空には雲ひとつなくて、見上げているとそのまま吸い込まれてしまいそうになる。青に落ちる、とは、少しばかり詩的な表現が過ぎるだろうか。
ああ、この背に翼が生えていたならば、力の限り羽ばたいてあの空へ飛び込んでいたのに。

「ちょっと! 聞いているのかしら!?」

金切り声で怒鳴りつけられて、ひえ、と、今更ながらに身体を震わせる。
そんな私を鬼気迫る表情で囲む侍女の皆々様は、私の返答を待たずに怒涛の勢いで畳みかけてくる。

「いい加減、もったいぶらずに教えなさいよ!」
「そうですわ! 自分ばっかりいい思いして……!」
「身の程をわきまえなさいな!」

恋慕と憧憬に浮かされて暴走する彼女達を前にして、つい現実逃避してしまった私のことを、いったい誰が責められるというのか。というか責めないでいただきたい。不可抗力である。
何がどうしてこうなったのかなど、この侍女の皆様の台詞からお察しの通りだ。要は彼女達は、私から、高位神官にして王弟でもあるクランウェン殿下、そしてその護衛役である謎の騎士、エディルカ・ヴィンス様の情報をなんとか聞き出したがっているという訳である。
前者については恐れ多すぎて訊けない分、後者に対する食い付きようがすごい。
曰く、ご出身は、とか。ご経歴は、とか。ご年齢は、とか。ご趣味は、とか。お好きな食べ物は、とか。
とにもかくにも詳細に皆様は随分と気にかかっておいでらしい。いやそんなこと言われましても。
〝エギエディルズ・フォン・ランセント〟ならばともかく、〝エディルカ・ヴィンス〟について私が知っていることなど、それこそお名前以外には何もない。あの男のことだから、どんなことを問いかけられてもいいように〝エディルカ・ヴィンス〟のあれそれについて事細かに設定していることだろうが、わざわざ私が聞くこともないだろうと放置している。
その弊害がこんなところに出ようとは、と思わず溜息を吐く。あ、しまった。そう思ってももう遅い。目の前の侍女のお嬢さんはますます眉尻をつり上げて「何よその態度! 馬鹿にしているの!?」と怒鳴りつけてくださる。「いえ、そのようなことは」と大人しくかぶりを振ってみせれば、「嘘おっしゃい!」とさらに怒鳴りつけられ……うーん。どうしろと。
クランウェン殿下のご命令、もとい『おねがい』で、お茶の準備をするためにかの御仁のお側を離れて厨房へ赴いた、その帰り道。まさかこんなところでとっ捕まるとは思わなかった。流石に職務中は大丈夫だろうと思っていたのだけれど、しまった。完全に油断していた。これは困ったなあ。
あ、ちょうちょが飛んでる。そう遠い目をしている最中、目の前の侍女の皆様は、ここぞとばかりにそれぞれ指を絡めたり、自らの身体を抱き締めたりしながら、うっとりと溜息を吐いた。

「ああっエディルカ様! あの見事な金髪! 私の手で梳かせていただけたら……!」
「あの神秘的な瞳で熱く見つめられたいものですわ!」
「氷のように冷たいお顔ばかりですけれど、わたくしがあのお顔を溶かしてさしあげたいっ!」

夢見るようでありながらも確かな熱量をもって口々に語っていらっしゃるお嬢さん方に、ははあ、なるほど、なんて、しみじみ感動してしまう。
エディルカ・ヴィンスという騎士様は、やはりというかなんというか、それはそれは大層魅力的な存在として彼女達に――ばかりではなく、多くの人々に受け入れられているらしい。その正体を知っている私としては、優越感よりも先になんとも言い難い苦味のある複雑さを感じてしまうのだけれど。

「さあ! 解ったら早く、エディルカ様について教えなさい!」

びしぃっ! と人差し指を鼻先に突き付けられる。周囲の皆様もうんうんと深く頷いた。いや、だから。そうは言われましても。
うう、適当なことをでっち上げてそれを情報として提供してしまおうか。しかしそれが嘘だとバレた時が怖い。怖すぎる。ああ困った、本当にどうしよう。
そう私が内心で頭を抱えていた、その時のことだった。

「――何をしている?」

図らずも緊迫しつつあった空気を切り裂く、凛とした美声。はっと息を呑む。
侍女の皆様の向こうに立つその姿に、思わず目を見開いた。そんな私の表情が気になったのか、侍女の皆様もまた私の視線を追いかけて背後を振り返る。
彼女達のかんばせが、ぱあっと薄紅に上気した。

「エディルカ様……!」

このタイミングで何故と顔を引きつらせる私と、歓喜を花のかんばせににじませる侍女の皆様の視線の先には、現在進行形で話題の中心人物である騎士、エディルカ・ヴィンスがいたのである。
中庭から差し込む日の光に、長い金の髪がきらめいて、朝焼け色の瞳はえもいわれぬ風情をかもし出す。あらまあなんてお美しい、としみじみ感心している私をよそに、それまでうっとりと男に見惚れていた侍女の皆様は、ようやくはっと正気を取り戻して、我先にと男の元へと駆け寄った。
そのまま当たり障りのない挨拶から始まって、あれやこれやと会話の糸口を掴もうと奮闘していらっしゃる皆様だが、相手が悪い。登場時からまったく変わらない冷然としたかんばせで短く受け答えするばかりの男は、侍女の皆様の秋波をすべてシャットアウトしている。それでもめげない侍女の皆様、流石王宮に仕える度胸と実力をお持ちなだけある。
とはいえ、それでも男の反応はやはりお世辞にも色好いものではない。
男のこれまでの生い立ちを鑑みると当然の反応なのだろうし、ここで私の目の前で女性陣に笑み崩れられたらそれはそれで大変複雑になるに違いないのだが、それにしてももう少し、何かこう、それこそ笑顔の一つや二つくらいプレゼントしてもばちは当たらないだろうに。
というか、クランウェン殿下のお側を離れてこんなところに現れるなんて、本当にどうしたのだろう。
いくら現状の立場が男にとって不本意なものであるといえ、仕事はきっちりこなすのがこの男だ。職務放棄してきたとは思えない。
はて? と首を捻りつつ、男と侍女の皆様のやりとりを見守っていると、不意に男の朝焼け色の瞳がこちらへと向けられた。ばちりと音がしそうな勢いで噛み合った視線に思わずまた息を呑むと、男に手招かれる。こちらを再び振り向いた皆様が、男に気付かれない角度で睨み付けてくる。ひええ、怖い。えっ気付かなかったふりをしたら駄目だろうか……はい、駄目ですね、解っておりますとも。
女性陣の殺気だった視線も怖いが、男の無言の圧力もなかなかに怖いので、ティーセットの乗ったワゴンを押して男の元へと足を急がせる。すれ違いざまに更に睨まれてしまった。はいはいごめんなさいよっと。はははは、胃が痛い。

「クランウェン殿下がお待ちだ。申し訳ないが、私達はここで失礼する」
「は、はい……!」
「エディルカ様、頑張ってくださいませ!」
「ご休憩の際には、ぜひわたくしどもにお声がけを……!」

私が隣に並ぶなり、男は侍女の皆様に対して完璧な一礼をしてみせた。女性陣がこれまたうっとりと目を細めながらほうと溜息を吐き、口々に男に次の約束を取り付けようとする。それらすべてを完全に一蹴して、男は私に「行くぞ」と短く声をかけて歩き出す。
ワゴンを押しながら慌ててその後を追いかける。うう、背中、背中に視線が突き刺さる……! 殺気を通り越して殺意すら含まれているのではないかと思える視線だ。げに恐ろしきは女の嫉妬ということか。いやはやこわやこわや。
私に対するものとは別の意味でとってもお熱い視線を向けられているであろう男の横顔は涼しいもので、そのツラの顔の厚さが羨ましくなってしまう。
二人並んで廊下を歩き、角を曲がって、背中に突き刺さっていた視線を感じなくなったあたりで、ようやく大きく息を吐く。
ああ、怖かった。先程のような一件は、クランウェン殿下の世話役を拝命して以来、そう珍しいことでもないけれど、今回の方々は特に過激だったように思う。
今後はこういうことがないように、私自身がまず気を付けなくては。そう決意を新たにしていると、ふと視線を感じた。
そのまま隣を見上げると、ささやかながらも確かな心配を宿した眼差しが、私に向けられていた。

「大丈夫か?」

短い問いかけではあったけれど、その問いにもまた心配がにじんでいる。
こんなにも心配症な男だっただろうかと不思議になるけれど、そうさせてしまったのは間違いなく私なのだろう。
だからこそ安心してもらうために、いつも通りの笑みを浮かべてみせる。

「はい、なんとか。助けてくださりありがとうございます。とはいえ、よろしいのですか? クランウェン殿下のお側にいらっしゃらなくてはならないはずでは」

誰が敵で誰が味方か解らない、とは、クランウェン殿下ご本人のお言葉である。だからこそ私が世話役となり、この男が護衛役となったのだ。私も男も、常にお側に控えているわけではないけれど、それでもせめてどちらかはなるべくお側に、という気持ちでお仕えしているし、クランウェン殿下ご自身もそのおつもりでいらっしゃるはずである。
それなのに、私に続いてこの男までお側を離れるなんてよかったのだろうか。いや、確かに助かったのは事実だけれど、でもそれにしても。
そんな私の憂慮が伝わったのか、男は歩みを止めないまま溜息混じりに肩をすくめてみせた。

「そのクランウェン殿下のご命令だ。迎えに行ってやれとな。流石に王宮内で事を起こす奴はいないだろうとの仰せだ」
「まあ、さようでしたか」

なるほど、と頷き返しつつ、内心で首を捻る。
うーん。どういうおつもりでいらっしゃるのか。そう思うのは不敬罪に当たるか?いくら王宮内であるとはいえ……いいや、王宮内であるからこそ、私やこの男が常に目を光らせお守りしているんだぞ、と周囲に知らしめることは必要である気がするのだが。
そう思っているのは私ばかりではないらしく、隣の男もどうにも解せない様子である。うん、やっぱりなんだかおかしいというか、不自然というか……いや、あのなんとも読めないお方の考えることを先んじて読もうとすること自体が無駄か。私ごときにやんごとなきお方の考えることが解るはずもないのだ。うんうん、そういうことにしておこう。
そう再び一人で頷いて、改めて隣を見上げる。その涼しげな美しい横顔に、少しばかりいたずら心が湧いた。

「わたくしはともかく、エディルカ様こそよろしかったのですか?」
「何がだ」
「先程の皆様の件です。もう少しくらい愛想を振りまいてもよかったのではないかと思いまして」

古来より女性を敵に回すと恐ろしいとよく言うではないか。流石に職務中に彼女達にかまけてばかりもいられないことは解っているけれど、純粋にこのエディルカ・ヴィンスという存在に焦がれてくださる皆様に対して、真摯に向き合ってもよいのではないかと思う。いくら自身が仮初めの存在だとしてもだ。
もしかしたら仲良くすることで何かしらの情報も得られるかもしれないし。ついでに私に対する彼女達の当たりの強さも多少軽くなるかもしれないし。
そういう期待も込めて男のことを見つめても、男の涼しい顔は崩れなかった。フン、と小さく鼻を鳴らされてしまう。

「それは俺の職務ではない。笑顔が見たいならばクランウェン殿下でいいだろう。胸焼けしそうなほど見られるぞ」
「さ、流石にその言い方はあんまりでは……」
「それとも」
「はい?」

クランウェン殿下に対してはあまりにも不敬であり、侍女の皆様に対してはこれまたあまりにも誠意がない返答に、つい顔を引きつらせた私に、男は大真面目に首を傾げた。

「お前はいいのか? 俺が、お前以外に、優しく甘く笑いかけても?」
「……ええっと」

その、と、ほんの一瞬、言葉に詰まってしまった。その一瞬、たった一瞬に過ぎなかったけれど、その一瞬の反応がすべてだ。
にやりと男が唇に弧を描いた。いかにも意地悪な、それでいてそこはかとなく嬉しそうなその笑顔がどうしようもなく悔しかったから、「別に構いません」とすまし顔で付け足してはみたけれど……おいこら、何が「そうか、解った」だ。先程までよりも笑みが深くなっているではないか。ぜんぜん解っていないだろう。ちょっと、こら。こらこらこら。
そう視線で訴えても、ますます笑みは深くなるばかり。くそう、別に、本当に構わないのに。
そうだとも、元からとんでもない無表情がデフォルトなのだから、せめてそのエディルカという騎士の姿でくらい愛想があってもいいではないか。そうだそうだ。先程の皆様も口々に仰っていたではないか。「エディルカ様に笑顔を浮かべてほしい(意訳)」と。そうだそうだそうだ。クランウェン殿下のように、惜しげもなく笑顔を振りまいてさしあげればいい。
春の日差しのように優しく! はちみつのように甘く!! それでいて青い柑橘のように爽やかに!!!!
ああ、それは、なんて、なんてーー……!

「………………不気味極まりないわ」
「は?」

隣から低い声が聞こえてきたような気がするけれど、それどころではない。
想像するだけでぞっと背筋が粟立った。ぞくりと寒気がして、ぶるりと身体が震えた。
いや、自分で提案しておいて何だけれど、ないな。本当にない。
いくら長い金髪のカツラを被り、その印象がまるで別人であるとはいえ、それにしてもこの男がそんな風に笑顔を振りまくなんて、天変地異の前触れになってしまう気がする。春の晴れた空から飴玉が降り、蛍光ブルーの薔薇が咲き乱れ、まんまるお月様が真っ二つに割れて、白いカラスがカァと鳴くことだろう。
いやはやいやはやくわばらくわばら、恐ろしいことこの上ない。
うむ、そういうことなので、やはりこの男はこれでいいのだ。
そう納得して、うんうん、と、何度も一人で頷いていると、何やら隣から、じっっっとりとした視線を感じた。おや? とそちらを見上げれば、大層物言いたげなお顔をした美貌の騎士様がこちらを見下ろしていらっしゃる。

「どうなさいまして?」

言いたいことがあるならばどうぞ、と視線で促すと、男は何度か何かを言おうとしてぱくぱくと口を開閉させたが、結局そこから言葉らしい言葉がこぼれることはなく、最終的に諦めたように「なんでもない」とだけ言い捨てて口を閉ざした。そのまま私から視線を外して、それこそそっぽを向くように前方へと瞳を向けてしまう。
白い頬にかかる長い金髪のせいでどうにも違和感が拭いきれないけれど、その美しいかんばせは、やはり間違いなく私の夫である男のものだ。こちら側に向けられている左目の下に走る傷すらも、この男を一層魅力的に飾り立てる装飾のように見えるのだから不思議なものである。相変わらずの無表情であってもなお美しい。正確には現在のそのお顔は、単なる無表情ではなく、何故かどことなく不満というか、面白くない、とでも言いたげな感情がにじんでいるようでもあるけれど、それは解る人にしか解らないであろう実にささやかな変化なので、まあとにかく基本的には無表情と言っていいだろう。
そのお顔。金色のロングヘアもとてもよくお似合いで、改めて思うに、確かに、侍女の皆様をはじめとしたあまたの人々が、その笑顔を見たいと思うのも当然の話である。どんな笑顔を見せてくれるのかと焦がれる気持ちと解る。
そういえば、このエディルカ・ヴィンスという姿になってからというもの、ほとんど笑顔を見せてもらえていない。先程の笑顔が、もしかしたら……いや、確実に初めてだった。
しまった、もっとよく見ておけばよかったかもしれない。もったいないことをしてしまった。
ワンチャンもう一度笑ってくれないかと、その横顔をちらちらと見上げる。だがしかし、どうやら完全に拗ねてしまったらしい男は、こちらの視線に気付いているに違いないのに、ちらりともこちらを見てくれない。
ううむ、本当に惜しい。いくら笑顔を振りまく姿を想像しただけで寒気がしたとはいえ、その笑顔が見たくない訳ではないのに。むしろ、一度だけでも見せてもらえたというのに更にもっと見たいと思う分、私は侍女の皆様方よりもよっぽど強欲だ。
この男の騎士団の団服姿なんて、この件が終わったら、きっとその後は一生お目にかかることなんてないだろうから、余計にそう思うのだろう。

――――ああ、でも。

正直なところを言ってしまえば、本当は私は、エディルカ・ヴィンスの笑顔が見たいわけではない。我ながらとてもミーハーなことを正直に言ってしまうと、騎士団の団服に身を包んだ、いつも通りの黒髪の姿の、エギエディルズ・フォン・ランセントの笑顔が見たいのだ。
いつも私に見せてくれる、頬を撫でていくそよ風のように優しく、輝ける小春日和のようにあたたかく、ふかふかの羽毛のようにやわらかく、そしてとろけるはちみつよりももっとずっと甘い、あの微笑みを。ぜひ、その、団服姿で。

「…………」
「……どうした?」
「えっ、あ」

急に歩みを止めた私に気付いた男が、二歩ほど先に進んだあたりで立ち止まって私を振り返った。その途端、ぶわっと何か熱いものがせり上がってくるのを感じた。あ、あう、う、と、言葉に詰まってあぐあぐ口を開閉させる私の元まで戻ってきた男が、少しばかり身をかがめて私の顔を覗き込んでくる。
ここが人目がない場所でよかった、なんて思う余裕はない。ただ、間近にあるからこそ余計に、そのかんばせが間違いなく私の夫のそれであることが思い知らされて、だからこそ更に焦ってしまう。

「な、なんでもございません!」

慌てて一歩後退してかぶりを振る。男は訝しげに眉をひそめた。

「顔が赤いが?」
「なんでもないんですってば!」
「いや、そうは見えな……」
「なんでもないったらなんでもないのです! さあ殿下の元へ急ぎましょう!」

何もかもを振り切るように、ぐっとワゴンを押して、まだ何か言いたげな男の隣を通り過ぎる。
ああ、どうしよう。
しばらくそのお顔を、まともに見れそうにないなんて!

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