双葉社筆記試験
双葉社にエントリーシートを提出したのは試験日よりもかなり前だった。集英社や講談社、角川はエントリーシートの締め切りが3月前後と早くパンデミックに巻き込まれなかったためだ。双葉社からメールが届いたのは試験日から2週間を切っていたあたりだった。僕は兵庫県在住なので試験会場まで新幹線で行かなくてはならなかった。交通費ももちろん一次試験から出るわけもなく実費の30000円を叩くことになった。しかし東京に行くのは一年以上ぶりだったのでオンラインではなく会場での施行については嬉しくもあった。東京とは僕にとって外国同然なのだ。
僕はジーパンにTシャツで行こうとしていたのだが親に止められた。僕は出版社はそもそも私服出勤なのだからスーツ行く必要はないと言ったのだが、世間知らずの親はとりあえずスーツで行けと聞かなかった。 結局僕は市ヶ谷のユニクロでチノパンとポロシャツを買い新品の体で会場に入った。会場に入れるのは試験開始数十分前だったので僕はその辺の本屋で時間を潰した。東京には関西にはない中堅の本屋がたくさんある。〇〇堂という店舗が何しろ多い印象だ。市ヶ谷という駅は高いビルに囲まれて窮屈に感じるが、302号線の橋から開ける神田川がかろうじて街全体を救っている。
試験会場には机が点々と置かれていた。僕より先に座っている人は全体の3割といったところだった。見渡す限りスーツの学生など2,3人しかおらず、彼らもまた頭の堅そうな連中ばかりだった。私服で構いませんは本当に私服で良いのだ。 前の席に座っているやつなんかは七部のパンツに柄のシャツという奇抜な格好だった。彼を見て自分が少しでも安全策を取ろうとした器の小さにがっかりした。彼は相当ひねくれているか根っからの変わり者かどちらかだろう。一見すると女性の割合の方が多い。どの女性も場にあったベストの洋服を身につけており、外見からしても出版社志望というだけはあった。それは東京という場所がそうさせるのか、業界によるステレオタイプなのかは分からない。これなら楽しい職場になるだろうと鼻の下を伸ばした。
双葉社の社員の方が教壇に立ち試験の説明をした。彼は僕を含めた受験者全員の心理を掴み取っていらように見えた。僕は大体の面接官を嫌う傾向にあるのだが、その社員には自然と話がしたいと思わせる魅力があった。思えば出版社の人間の声を聞くのは初めてだった。彼も都内のどこかに3DKのマンションを持つ一介の家長にすぎないのだろうが、それでも手が伸びるほど欲しい内定の行方を知る彼は僕にとって神のような存在に思えてきたのだ。