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寂しい者同士の会話
ゴールデンウィーク中、単身赴任中の父が実家に帰ってきている。父は53歳。東京・日本橋の細長いマンションで独り、ひっそりと暮らしている。
今日僕が1人で昼ごはんを食べていると父が話しかけてきた。「村上春樹の新作、買ったんだな。実は俺も買ったんだ。まだあまり読めていないけど」。僕の部屋の机にある本を見たらしい。
父は日頃本を読まないが、実家に帰ってくるとよく僕に「何か本を貸してくれないか」と聞いてくる。その時僕はよく村上春樹のエッセイを貸す。一度「走ることについて……」を貸したのだが、それがかなり気に入ったようで、父は長い小説よりもこういうほのぼのした日記が好きなんだろなと思ったからだ。
父は今年の秋から四国に単身赴任になるらしい。四国の営業所にいる部下がインドネシアに異動になり、その穴を埋めるために父が呼ばれたのだ。
話の流れで、父がどんな仕事をしているのか聞いた。父は製紙用の機械のコンベアを作るメーカーに勤めていて、その機械を製紙工場に売る営業をしているらしい。瀬戸内海に面した四国中部は有数の紙の生産地だそうで、製紙工場もそこに密集しているとのこと。父はその仕事をもう30年も続けている。
特に紙が好きなわけでも、機械に詳しいわけでもない。給料が高いからやっているだけで、やりがいなんてものはない。できるならうどん屋にでも転職してのんびりライフを過ごしたい。もちろん、現実的に考えてうどん屋で働くことなんてありえないけど。父はそう語る。
僕がフリーターになった頃からだろうか、僕は父に同情の目を向けるようになってしまった。フリーターになると社会を高い場所から見渡せるような気分になる、というフリーターの謎の自信みたいなものがあるのだが、それによって僕は父が会社でどんな風に見られているのかを想像できるようになった。その想像図によると、父は上司にとって叱りやすく、部下にとってナメやすく、自分自身を客観視することがどうしてもできない、つまり朝の通勤電車で僕がつり革を持ったまま見下ろす冴えないサラリーマンなのだ。
僕は年を歳をとるにつれて、父に心を開いている。今日はこんなことを聞いた。「渡辺貞夫って、昔どれほど人気だった?」
こんなこと3年前は絶対聞かなかった。それから父は言った。「東京の一番有名なジャズの場所、なんだっけなあ」。僕が「ブルー・ノート?」と聞くと、ああ、そうそうと言った。そういうジャズクラブみたいなところ、行ったことあるのか?と聞かれたので、ない、と僕は答えた。お前が東京にいたら一回一緒に行ってもいいがなあ、と父は言った。
なんだか寂しいもの同士の会話みたいだなあ、と思った。