マイ・ロスト・シティー
古書店の通販「もったいない本舗」で、144円で購入。1973年のピンボールの次くらいに書かれた、村上春樹初の翻訳本。「そうだ、まだ読んでない初期の文体の本があるじゃないか」と急に思い付いたのだ。「マイ・ロスト・シティー」は現在村上春樹ライブラリーから出版されているが、僕は昔のフォントや印刷を味わいたかったので、1987年刊行の文庫の方をあえて買った。
読む前はマイ・ロスト・シティーという長編だと思っていた。タイトルから、おそらく「風の歌を聴け」的なフィッツジェラルドの自伝的長編だと想像していた。しかし、マイ・ロスト・シティーというのは終盤の20ページのエッセイのことで、全体的にはフィッツジェラルドの短編集だった。
僕にとって一番ためになったのは、序盤の村上春樹のエッセイ「フィッツジェラルド体験」である。これは村上春樹が32歳くらいの時に出版されたもの。駆け出しの作家らしく、自分の文学的な価値観をを具体的に話してくれている。これまでに読んだ村上春樹のエッセイに書かれていないことがたくさん書いてあり、冒頭の20ページを読んだ時点で十分買った価値があったと思った。
例えば「僕にとって100パーセントの作家とはトルーマン・カポーティである。作品は完璧である。しかし、読むと少々疲れる」と村上春樹は書いている。
僕もカポーティの印象は「堅くて、文学的すぎて、共感性がない」である。読んだあとは確かに疲れる。なので村上春樹も同じように思っていたことを知り、少しホッとした。
次に、「僕は18歳の時、ヘミングウェイに惹かれていた」という箇所。村上春樹がヘミングウェイに惹かれていた時期があったことに嬉しくなった。僕もヘミングウェイは好きなので、そういう共通点が意図せず見つかるというのは、楽しいことだ。
この後にも「フィットジェラルドに出会っていなければ、僕は全く違う小説を書いていただろう」とある。これも似たようなことはどこかのエッセイで書いていたかもしれないが、これほどはっきりとは言っていなかったと思う。「職業としての小説家」と内容は似ているが、「マイ・ロスト・シティー」は1980年に刊行されたというところに大きな価値がある。村上春樹の若い頃のエッセイは少ないので貴重だ。
短編5本の方は、これまで読んだ村上春樹の翻訳本(チャンドラーやカーヴァーなど)と比べて、まとまっていない印象を受けた。文章が微妙に繋がっていない感じがする。それでも僕はすごいなあと思ってばかりだった。だって新人作家が自分の作品よりも翻訳に時間を注ぐなんて、その作家のことが相当に好きじゃないとまずやろうと思わないだろうから。