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母になった娘の話②
≪子はかすがい≫
きっかけは何のことは無い。
単に夫の多忙な仕事が終わり、1人きりで子育てする時間が減少したからだ。
疲れている。限界だ。
そんな自覚すら無いまま邁進していたのが、『疲れているんだから休もう』と考える余裕ができたのだ。
私だけが子供を守り育てるような錯覚をして、
少しでも失敗したら、この子は私のように常に親の愛に対して猜疑心を持ち、しかしながら愛を乞い求める寂しさを抱くようにしてしまう。
そんな思いさせたくないから、少しの失敗を許す事ができなかった。
母に育てられた私ではダメだと心の底から信じ、理想の彼女に縋ったのも、その為だった。
けれど夫と二人で育児をしてみれば、
ああ。私は間違ったっていいんだ。
夫と間違いながらでも愛情深く育てて行けば、この子は私のようにはならないと、肩の力を抜くことができた。
気が付けば、気軽に世間話をするママ友ができ、よく行く店の店員には声を掛けられるようになった。
少し前の、理想の母親像を追い求めて孤独な日々を送っていた私はいなくなっていた。
『子はかすがい』という諺を知っているだろか。
主に、夫婦間の愛情がなくとも子供への愛情で夫婦の縁を保ってくれる、という意味で使われる言葉だが、私の場合は子供は夫だけでなく、ママ友や地域とも繋ぐ、『かすがい』そのものだった。
≪醜い自尊心≫
孤立も劣等感もなくなった子育ては、本当に楽しく、私に自信を付けさせた。
母の場合は近くに父の親である祖父母がいたし、町内会が盛んな地域だったので孤立とは無縁な生活。ワンオペ育児とはかけ離れている。
それに引き換え、私は誰の手助けも無いけれど立派に育児をしている。
あの人より、私の方が上だ。
母より、私は上なんだ。
そんな、醜い自尊心は私の中でむくむくと育っていった。
今迄みたいな言われっぱなしじゃなく、あなたは間違っていると正々堂々と子供を持つ親の立場で意見できる。
もう私は子供じゃないから。あなたより子育てができる親なんだから。
お盆に子供と夫と共に帰省することを決めたのも、その歪みきった醜い自尊心が私を巣喰ったからだ。
だから、
だから、私の作ったお盆用のお供えを、母がいつものように大げさに、夫の前でなんて下手なんだと嘲笑した時、我慢ができなかった。
「私を馬鹿にするのは止めて」
反射的に立ち上がり、そう叫んでいた。
≪冗談≫
それは、子供のころからずっと言っていてねじ伏せられてきた言葉だった。いつしか言う事すら諦めていた言葉だった。
でも、もう負けない。負けるものか。
身体は芯まで冷えた。
鼓動が早く脈打った。
奥歯をかみしめて、目の前の母を見据えた。
けれどそのくせ、足が、体が、勝手に震えていた。
(言ってしまった)
もう後戻りはできない。
叫んだ私に対し、母は言葉の限りを尽くして私を詰るだろう。
卑下するだろう。
嘲笑するだろう。
私の夫と、子供の前で。
熱い唾を飲み込み、母の言動を身を固くして待った。
けれど母は。
母は、苦笑しただけだった。
夫に「娘が変なことを言ってごめんなさいね」と寛大な態度を取った上で、諭すように言うだけだった。
「冗談に決まってるのでしょ。どうして今更真面目に受け取るの?」
本当に不思議そうなその顔は、自分の言葉で娘が傷ついてるなんて、まるで考えたことがない。
そう、書いてあったのだ。
≪続く≫
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