母になった娘の話③
≪同じ母の立場になって≫
何事も無かったかのように背を向け、キッチンへと消える母。
その背中を見て、唐突に理解できた。
どうして、娘を貶める言葉を投げかける事ができたのか。
どうして、冷たい仕打ちができたのか。
この人は、私を傷つけたくてやってたんじゃない。
自分がどんな事を言っても、どんな事をやっても、私が傷つきはしないと心の底から信じているんだ。
喜んで貰えるか考えて、なけなしの小遣いで買ったネックレスや、初めて学校で習ったミシンで悪戦苦闘して贈ったミトンを翌日にはゴミ箱に捨てていても、それは母の中で全て『冗談』で終わる事だったんだ。
(どうしてだろう)
どうして、母は私の気持ちに胡坐をかき続け、慈しみや優しさを与えようとはしなかったのか。
母は理不尽な人ではあるが、決して愚かな人ではない。
寧ろ、理知的でとても頭の良い人だ。
そして、母の親―つまり、私の祖父母もそのような態度の人たちでは無い。
それならば、母がこうなってしまったのは、親になってからではないか。
(この人、どんな風に子育てしてたんだ?)
やっとぶつけた感情を流されたことに、不思議と怒りも悲しみも沸かなかった。
私が、強靭で完璧で絶対的な存在の母を、『同じ母親』という目線で考えたのはこの時初めてだった。
この時まで私は、母の内面なんて、省みようとなんてしたことが無かった。
一度たりとも。
≪母≫
母がこの地に嫁いできたのは、22歳の時だった。
都会の、そこそこ裕福な家庭で何一つ不自由なく暮らしていた母にとって、駅前にコンビニも無く、スーパーにさえ車が必要な環境に驚きが隠せなかったという。
またそんな地であるから、昔ながらの繋がりがとても重要視されていた。
餅つき、相撲大会、夏祭りと、1年で行う行事は数知れない。
それらの行事に欠かさず参加していた私達だったが、周りが方言だらけの中で1人標準語の母は、子供の目から見ても、常に浮いた存在だった。
父は子育てに関心の無い人だったし、近距離に住む祖父母も優しかったが、平然と母の悪口を言い、いつまでも『嫁』として母を異分子扱いしていた。
いつまでもいつまでも、周りと溶け込めないで、異分子であり続けた母の姿を、私はずっと側で見ていた。
「ここに越してきてからは、お盆の支度が楽だわ。以前は1日中天ぷらを揚げていたんだもの」
食卓に座る夫相手に話すその声に、更に記憶は蘇る。
そうだ。
祖父母の死をきっかけに、私たち家族は隣町に引っ越してきた。
もう従兄弟たちで集まる事も無くなった。
毎年、年末年始とお盆は必ず、父の姉―つまり、伯母たちは自身の夫と子供全員を連れて祖父母の家に泊まりに来た。
その、全員分の食事の支度をするのは母の役割だった。
「終わる頃には疲れて疲れて、何にもする気も起きなかったわ」
他の人が笑い、歌い、騒ぎ、好きなだけ飲み食いする中、朝から晩まで台所に立っていた。
たった一人で。
けれど。
けれど、台所の片隅でぐったりと座り込んでいる母を気に掛ける人なんて誰もいなかった。
祖父も、祖母も、叔母も、従兄も、夫である父も、そして子供である私でさえも。
誰一人、母の事を労わる人なんて、いなかったのだ。
≪アイギスの盾≫
母の場合は近くに父の親である祖父母がいる、近隣の目がある。
私みたいなワンオペ育児じゃない。そう思ってた。
けれど、それらは少しの失敗も許さず監視する目であって、救いの手を差し伸べる存在じゃなかった。
醜く自尊心を肥え太らせた私には想像つかぬほど過酷な環境で、母は子育てをしていた。
たった1人で正解を求めて張り詰め続ける孤独な日々は、母をすり減らすには十分だった。
そうして、穴の開いた船に乗ったまま、深い深い海底へと沈んでいった。
優しさや慈しみを手放して、たった1人で行ってしまったのだ。
私にとって母はいつも、強靭で、絶対で、孤立した人だった。
何事にも傷つかぬアイギスの盾のような存在だった。
そう思っていた。
でも違う。そうならざる負えなかったんだ。
それは、環境のせいか。時代背景のせいか。
それとも、孤立した母を何処とも繋ぐ事ができない、かすがいにはなれなかった、愚かで不出来な娘のせいか。
「大変だったんですねぇ」
夫が、暢気な声で母の世間話に応じれば、母は肩をすくめて笑い飛ばす。
「ええ。でも、もう全部、終わったことだから」
傷つき、泣いた事など、一片もありはしないという風に、強靭に笑った。
≪彼女の横顔≫
これが、私の憶測では無いというのは、この日を境に少しずつ母と話す事が増えたからだ。
22歳で見知らぬ地に越してきた、不安に肩を震わせるあどけない少女の面影が見える話。
夜中、子供が熱を出し何処に行けばいいか分からず、電話帳の端から端まで電話をかけた話。
私と同じように、不安で、心細くて、けれど誰にも頼れないと子育てに邁進し続けた話。
そんな話を、ぽつりぽつりとして行く内に、私の中の理不尽なまでに強靭な母の姿は崩れて行った。
今はもう、私と子供が帰省することを知れば、一番に迎えに来る。
改札から出てきた私の子供の手をいそいそと取りに行く母の姿に、かつて私の見た姿は無い。
母と子供と私で3人並んで歩くと、「まるで橋みたいね」と母が優しく微笑んだ事があった。
その横顔は、私が焦がれ、追い求めた荘厳で美しいモザイク画の彼女を彷彿とした。
ずっと、ずっと、母のようになりたくないと思っていた娘の私。
けれど、母になってみれば、私はあなたになりたいと思った。
そう気づかせたのは、この小さな手があったから。
この子が、私とあなたを結んでくれたから。
けれど、それを正直に言うのは恥ずかしい。
だから、私はその横顔に、
「子はかすがい、と言いますからね」
そう、うそぶいた。
<終>