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始まりの続き ~心療内科へ通うことになったきっかけ~

初投稿から期間が空いてしまいました。
前回の投稿を読んでくださった方、スキを下さった方ありがとうございます。励みになります。

環境の変化があり、しばらく体力・精神面共に忙しない日々を送っていました。

環境の変化は引越しです。
引越しは3度目となりますが何度やっても力を使い果たします。
詳細はまたどこかで書けたらな…。

また、今回の執筆に当たり過去の出来事がフラッシュバックしてしまい、時間を要してしまいました。
カウンセリングで執筆時間を相談し、休憩期間を設けて執筆していたので遅くなってしまい申し訳ないです。



今回は心療内科に通うきっかけについて。
前回の続きにもなりますが書いていきます。



仕事にもプライベートにも全力で体力もなく、顔色も悪く、一番酷かった7年前の出来事です。


仕事では責任感の塊。
人一倍負けず嫌いで真面目な完璧主義。
男性だらけの体育会系な職場に居たのもあり、体力ないのは自己責任。
どれだけ筋トレや体力づくりを頑張っても、本来持つスキル等あまりにも違いすぎて出来ないことが多すぎる。
女に産まれた自分が嫌になる日々でした。

無理して倒れたり、検査作業に入ろうもんなら
『楽な作業ばかりやってサボっている』
『女のくせに〜』
『オレ等はきつい作業やってんのに女はいいよな〜』
と面と向かって言われることも。人間関係も悪くなり眠れず・食欲もなく・仕事のことばかりが脳内を駆け巡っていました。

人の顔色ばかり気にしてしまい、仕事や遊びから帰ると1日の出来事をつぶさに振り返っては反省会。
今日は些細なミスをしてしまった。自分はダメ人間。
また陰口言ってるんだろうな…明日の仕事は何も言われず上手くやれるかな、
体力もつかな、と過去と未来が入り混じり。

遊びでは友人は楽しんでくれたかな。
お喋りしすぎたかな。
余計なお世話したかも。と過去の後悔に苛まれる。
人の顔色はものすごい気にして、人からどう思われるかを行動基準にしていました。
これは幼少期からの出来事が関係してますがまた今度…。


大きなきっかけとなったのはそんな中での新しい作業でした。

その作業は忙しすぎて誰もが入りたがらない作業。
そんな作業に入ることになった時は負けんぞ!やったるで!と意気込みたっぷり。

ところが入ってみると設備の位置が高く絶妙に力が入れにくい。
20kg台の部品を動かそうと思うとフルパワーでやらないと動かない。
何個か動かしただけでバテバテ。
忙しさも相まって地獄を見ることになりました。

作業量と力作業で汗だく。
入って1時間もすると作業が遅れ始め…追い込まれて水も飲めず、休憩や昼休みも取れない状況が毎日続きました。
定時で作業が終わらないので後直の作業者と交代してからも、隅でひいこら言いながら残務処理をする日々。

リーダーには作業のフォローと改善の提案をお願いしていましたが
『他の作業者は困ってないから改善してもねぇ。フォローが欲しいなら無線で呼べば行くよ?』

言われる前から無線でずっとフォローをお願いしていますが
『忙しい』と言うばかりで来てもらえず…。

状況を理解してる人たちが近くで作業している時にこっそり休憩を変わったり、フォローに来てくれる。
申し訳ないながらも嬉しくて、いつも感謝を伝えていました。

体力消耗して倒れそうな体を何とか支えながらやっていましたが作業に入ってから1ヶ月半。
夏バテと忙しさでご飯が食べれなくなり、体力を使い果たしてるせいかガリガリに痩せました。
そうなってくると頭は働かず、力を入れようにも手足の踏ん張りが効かなくなり動けなくなりにある日その場で倒れてしまいました。

『作業見てたけどなんで呼ばないの?なんで遅れてるか解ってる?』
リーダーに言われましたが私を詰めるきつい言葉の数々がただただ怖く、面と向かって話す勇気はもうありませんでした。

そんな時、上司Aから改善事例の報告をしてみないかと話が舞い込んできました。
報告会=地獄の業務からの開放となる。
過酷な作業で疲弊しきっていましたが、承諾して次の修羅場へと踏み出しました。
仕事を頼まれると責任感で断れないんですね。

職場は上司を始めメンバーの殆どが非協力的。
上司Aには『忙しい』と資料確認を断られ、どうしても見てもらわないといけないのでリーダーに確認をお願いしました。
無言で資料を受け取って確認するリーダー。終始怖くて距離を取り消えそうになっていました。

『女のくせに』『調子に乗ってる』等陰で言われているのに気づいてはへこみ…。
理解者がいれば良いと数人の協力の元、毎日遅くまで残業で資料作成、帰宅してからも練習を重ね準備しました。

ヘロヘロになりながらも準備した報告会は高評価。課の代表となり次は部長に報告することになりました。
身体は疲れ切っているのに更にやる気満々に。

資料のバージョンアップを始めやることは倍増。
さすがに今回は代表ということもあり上司Aは渋々資料を確認してくれましたが、職場が非協力的なのは相変わらず。

そんな忙しない日々を過ごしている中、急に部署異動することになりました。
『バックアップはちゃんとするから報告会はやってくれ』と上司Aに言われ不安になりながらも新しい職場へ。
それまで10数年、異動をしたことがなく報告会の準備もあるしどうなるんだ…と未来に対して不安になりました。


新しい職場では早速上司Bに事情を説明し、報告会の準備に専念することに。

資料が完成したのが2週間前。
上司Aへ課長とのリハーサルのスケジュールを押えてもらえないか、と数回依頼しました。返事がないので訪ねてみると『忙しいから自分で課長に連絡取れ』とまさかの一蹴。

報告会まで1週間ないところまで来ていました。
現場で働く作業員の1人。どうやってアポを取るのか知るわけもなく。

ギリギリのところを踏ん張ってやっていましたが目の前が真っ暗になりぷつりと糸が切れた瞬間でした。

バックアップとは?と考えながら半泣きで職場に戻り、先輩方に経緯を話して絶望に暮れてました。

先輩方はすぐに上司Bに話を挙げてくれました。
『時間もないし課長のスケジュール抑えるから任せろ!』と涙目の私の前で上司Bはすぐさま課長のスケジュールを抑えてくれました。
頼もしすぎて『この上司とメンバーなら信じられる』と人間不信になりかけていた私は少し前を向くことができました。

短い時間の中でリハーサルを数回やらせてもらい
、練習を重ねいざ本番へ。

報告会では今までで1番いい報告ができました。
見ていた方達からはたくさん『良い報告だった』と言ってもらえました。
吃驚するくらいたくさんの人が称賛するので諦めずやって良かった、たくさんの方の協力でやらせてもらえて良かった。
元職場の上司初めメンバーは何事?という感じで『よくやったな』と心にない上っ面だけの労いをくれました。


数日後にはさらに上への報告を、と言われましたが上司Bが私の体調を慮ってくれ『これ以上はできない』と断ってくれました。
上司Bから事の顛末を聞き、悔しさが残りましたがボロボロになってる自覚もあったので素直に受け入れました。


これでようやく腰を落ち着けて新たな職場での仕事が始まる…かと思いきや
私の体調を気遣って上司と面談の時間をもちました。

頭が回らずしどろもどろになってる私の話をずっと聞いてくれました。
聞き終わってビクビクしながら反応を伺っていると『よく頑張ってきたな』と一言が。

そんな言葉をかけられると思わず泣いてしまいました。心の奥底では認めて貰いたかったんですね。

誰でもいいから認めてもらいたくて、がむしゃらに仕事を頑張ってたんですね。




上司Bから産業医への面談を促され、弱い自分を認めたくはなくてしばらく抵抗していましたが、新しい職場のメンバーや上司がとてもいい方ばかりで親身になって話を聞いてくれる。
女だからどうこうという扱いもなく、一個人として接してくれる。

この人たちなら信頼しても良いのかな…と思うことができ、産業医面談を決めました。
それにいい加減心身ともにボロボロなのを自分でも認めざるを得ませんでした。


それまでの私は精神的な不調で休職した人の話を聞くと
『精神的に参るなんて言い訳でただの甘え。自己管理がなってないだけ』とばっさり否定していました。
今思うととても酷い考え。
そして自分がその状況に立っているのを認めたくなくて必死で抗ってました。
ボロボロのボロ雑巾になって初めてこの考えの酷さが解りました。


産業医面談では今の体調を話すとすぐに心療内科の紹介状を書いてもらいました。

精神的に弱ってる自分を認めたくない気持ちは面談後も強くありました。
ですが『仕事で迷惑をかけたくない』と仕事のへの責任感が強くあり、渋々と心療内科の扉を叩くことにしました。

これがわたしが心療内科に通い始めることになったきっかけです。

長くなりましたが読んでくださりありがとうございました。

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