なりすましの疑いについて


桜嵐坊さんのチャンネルで私の「疑心往生とは」という動画に出演しましたが、その投稿になりすましと思われる匿名の投稿がいくつかありましたので、紹介いたします。

以外引用です。

「瓜生師の法話について数日前にある司教さんの勉強会で話題になったのですが、「いくつか信心について彼が語っている動画を見たが疑心往生とは言えないと思う」「かえって全体を見ないで人の法話の一部を切り取って異安心と断じる岡林氏にかなり危ういものを感じる」とのことでした。そこに居た人たちも概ね同意見でした。ご参考まで。」

というのがありましたので、「私がその司教さまとはどなたでしょうか。丁寧に説明させていただきます。本願寺派の教学の危機だと思っています。」と返答しました。そしたはさらに以下のような返答が返ってまいりました。

「司教に確認を取っておりましてコメントが送れました。
私達が話をしたときはまだこの動画は出ていませんでしたが、司教はnoteをみたようです。
更にその後動画もみたと言われていました。
皆さんに話されたのは、「岡林さんの説明される信心は、いわゆる自力の心です」「彼の言うような、心を崩してもらうのが、聞法の大切なところです」「岡林さんは、痛いところを突かれたのでしょう」「みなさんも自分が一念の体験をしたと思われたなら、より一層の聞法をしてください」とのことでした。
司教はお名前を出してもいいと言われていましたが、私が反対して出しません。輔教にすぎない人が、あたかも本願寺派を代表するかのような顔をして、動画やnoteの記事で繰り返し特定の個人を公の場で異安心と指摘する。はっきり言って、異常です。そのような人に司教のお名前をさらすわけにはいきません。
岡林さんの言われる「本願寺派の教学の危機」
というのは、ご自身の信心の危機なのだろうと思います。ここをみられているみなさんも、岡林さんの態度が本願寺を代表するものだとは決して思わないでください。この一件、派内の多くの人が顔をしかめています。」

 私の信心の説明は親鸞聖人のご文と本願寺派の先輩学者方(派内では先哲という)の意見をふまえた上で書いています。今回の二種深信とそこからおこる親鸞聖人の悲歎の説明は内藤知康勧学和上の「信心の智慧」を主に参照しています。
 このような意見を「岡林さんの説明される信心は、いわゆる自力の心です。」とか「岡林さんは、痛いところを突かれたのでしょう」などと言うような司教がいるのでしょうか。おられたら、どのような根拠でいわれるのか説明を聞いてみたいものです。

 司教の意見というより、どなたかの論調にきわめて近いように思いますがいかがでしょうか。最後にそこにいた人も賛同とか、多くの人が顔をしかめているとか、確認できない事実で悪い印象をつけくわえるのも特徴的です。

 なんらかのインターネット上の対策を訓練してきた方のきわめて巧妙な手法に見えます。ほかにも、わずかな時間で悪い印象を他のアカウントが見事に連携するかのような事態があったり、事実無根のデマを記入して、応答するとすぐに消したりということもありました。法律にもたけていることを思わせます。

 他にも私にとって非常に傷つく投稿もありました。
しかも、その事実を知っている人は限られていますし、今までにそのことをしつこく批判してきた人は1人です。

 私が現在言えることはここまでです。とても腹が立って化けネコと分身の術などと譬喩に満ちた表現を書いてしまいましたが、ご理解いただけるとさいわいです。

#なりすまし

https://youtu.be/BN2YvX3_OHg?si=N2iMTy5H021IfRN2

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