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進・私たちはVtuberをどのようにみてるのか
実は以前も同じタイトルで記事を書いている。
あれからVtuberも加入・卒業・移籍や出産報告など様々なことが起き、自分の中の認識も変わってきた上、この記事を読み返すと、自分でもわかりづらいため、改めて書こうと思う。
なお、当然だが中身の話もするので、その点はご注意ください。
Vtuberへの認識
![](https://assets.st-note.com/img/1699316032343-kg7Xjbmuu9.png?width=1200)
私が現時点で腑に落ちているVtuberの認識はこの図の通りである。
①キャラクターの設定がある(容姿・出身・年齢・職業・身長・体重 etc…)。
→キャラクターの容姿が切り抜かれた板に、そのキャラクターの色のついたフィルムが張ってあるイメージ
②魂がその設定を元に(または介して)演じる
→先の板に光を当てるイメージ
③そのキャラクターをファンがみる
→映し出された像を見るイメージ
この像こそがまさに「バーチャル」な存在であり、Vtuberをバーチャル足らしめているものだと思う。
Vtuberの認識による種類
ここからは、その認識によるキャラクターの分類をしていこうと思う。
完全劇場型(RP勢)
![](https://assets.st-note.com/img/1699316528801-fQFmpKbB4H.png?width=1200)
これは、魂がキャラクターの設定以外の情報を提供しない、いわばアニメやゲームの声優といった立ち位置でキャラクター像を作り出すタイプ。以前の記事の言い方でいうと、「Vtuberと魂を完全に切り分けている」タイプである。ある意味Vtuber原理主義者から言わせれば、これこそがVtuberという感じで、ほぼ台本ありきでバーチャルの世界で過ごすタイプはここに含まれるため、初期のキズナアイや輝夜月などはここにあてはまるだろう。
魂影響型(現在一般的なVtuber)
![](https://assets.st-note.com/img/1699318351296-kcI7bayi0N.png?width=1200)
これは、魂がキャラクターを演じる上で、その設定には定義されていない領域について魂が設定を考えて演じたり、魂の体験に基づいた情報を発信するタイプ。以前の記事の言い方で言うと「Vtuberと魂を同一として考える」パターンである。あくまで魂がキャラクター設定の板に当てる光の色を多少変えただけな上、キャラクター設定の板を通しているため、ファンからの認識においても、あまり大きな拒否感は示されないだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1699318674267-ArNxcZslhs.png?width=1200)
このタイプは魂が当てる光の色によって、そのキャラクター像が変わるため、魂が変わってしまうと、同じキャラクター像は得られない。これが現時点で広く広まっているVtuberが、ガワだけを引き継いで魂を変えることが難しい要因である。
魂干渉型(炎上しがち)
![](https://assets.st-note.com/img/1699318918662-hVHVXWjK16.png?width=1200)
これは、もはやキャラクターの設定の板の中に魂が取り込まれてしまい、キャラクター像に魂がボケて見えてしまうタイプ。本来持っているキャラクター設定が蔑ろにされ、ファンはキャラクター像の上に魂を見ることになる上、こうなってくると魂にまで気がいってしまう。その結果、Vtuberのキャラクターとして見ていたかったファンからは、それが魂によって干渉され、拒否感を示すため、このタイプは炎上しがちである。例でいえば、卒業していった御伽原江良や郡道美玲もこのタイプだろう。また、魂のスキャンダルが起きたときもこの魂干渉型に一気に変化し、反転アンチが現れる。例でいえば、潤羽るしあがあてはまるだろう。
アバター型(最近増えてきてるやつ)
![](https://assets.st-note.com/img/1699319519616-GOsunlWivS.png?width=1200)
これは、キャラクターの設定などほぼなく、魂そのままをVtuberとしたタイプで、簡単にいえばVtuberのキャラクターをアバターとして利用するもの。魂影響型や魂干渉型を「ニコ生のアバター版」などと揶揄する人たちがいたが、それ以上にそもそも本人そのものというのがこのタイプで、例を挙げれば伊東ライフやしぐれうい、そして記事を書いているときに話題の後藤真希といったのもそうだろう。おそらくVtuber原理主義者はこのタイプをVtuberと呼ぶことは許せないだろうし、ファンの多くも(本来の意味での)Vtuberとして認識はしていないだろう。
グラデーション
当然、先に述べたタイプというのは、必ずどこかに分類されるわけではなく、グラデーションが存在する。それはいつもそのグラデーションの境目にいるようなVtuberもいれば、時と場合によって変化するタイプのVtuberもいるだろう。例えばストーリー勢なんかは、普段の配信は魂影響型だが、ストーリーに関係のある配信の場合には劇場型になるというパターンもあるということだ。
じゃあ私たちは
では私たちはVtuberをどのように見ているのだろうか。このタイプをそれぞれ見るときに切り替えているのか、それとも自分の気に入ったタイプのVtuberしか見ないようにするのか。なぜ魂干渉型は炎上しがちなのか……。変わりゆく時代の中で、Vtuberの見方は日々変化するし、当然Vtuber側も変化する。その変化を受け入れるか受け入れないかによって、推し活の幸福度も変わっていくのだろう。
P.S. 相変わらずわけのわからないおめシス
こんな記事を書こうと思っていたところで、やっぱりなんかやってくれるんですね、このVtuberは。
おい、もうVtuberですらないって……。
おめシスとは……
おめシスとはVtuberである。そして、Youtuberでもある。完全にYoutuberになるんじゃないかとも思うくらい、彼女たちはなんでもしてくれる。この後も目が離せないことは言うまでもない。
本当にただ被り物してるYoutuberに本当になってしまいました。Vtuberのファンミーティングは液晶に映したバーチャルなVtuber(当たり前だ)と会話的なのが普通なのだが、おめシスはもう実写というか、なんというか、恐れずに言うと被り物をしている魂と会えるということだ。
どういうこと?