現在、芸人の数は過去最多人数に
平成30年3月現在、きっと今までの日本の演芸史の中で、
落語、漫才、マジック等々の芸人といわれる人の数が
過去最高に多く存在しています。各芸能事務所には
お笑い養成コースがあって、毎年千人単位で芸人志望の
若者が、夢を叶えるべく日々研鑽しているんです。
では落語界はどうなのか?私は入門した頃の落語界、
時代はバブルの終わりかけで、景気が良かったせいもあり
落語家になろうという若者は少なかったんですね。
1年間に弟子入りをしてくる若者の数は少なくて、
落語協会で3人〜4人、芸術協会では数年落語家志望が0人
といったところ。寄席の客席も入場者はまばらで
暮れの寄り合い(噺家の総会)では各席亭(寄席の経営者)からは
挨拶の中に嫌味の一つ二つが語られ、噺家は痛いところを
つつかれて小さくなっていたものでした。
そんな中でも、若い芸人が夢を失わずに頑張ろうと思えたのは
寄席を支えていたカッコいい先輩たちがいたからなんですね。
これから数回はそんなカッコいい先輩達のお話をしていきましょう。
〜柳家小さん師匠は〇〇園の回し者⁈〜
当時落語協会の会長をつとめておりました五代目柳家小さん
師匠は、落語の名人というよりは子供の頃はテレビコマーシャルに出ているまんまる顔のお爺さんという印象で、その芸に触れるまではその凄さはあまり実感してはいませんでした。
私が前座になって1年半ぐらいしてから、二つ目に昇進した兄弟子から譲られたレギュラーのお仕事の中に「松葉屋の落語会」という仕事がありました。
吉原の料亭で月に二回開催される落語会の下働き(賄いの親子丼が美味しかった)の他に、顔付けといって寄席の番組作りのお手伝いもします。
お手伝いの内容は小さん師匠のお宅に午前中におじゃまして重宝帳(芸人住所録)を頼りに、小さん師匠が過去の出番表から順番に、内容を少し変えながら芸人を選んで番組作りをする、その出演交渉を小さん師匠の代わりに
前座の私がするんです。そんな大事なことをって私も最初は面食らいました。
電話するのは前座の私ですが、後ろに小さん師匠が付いている
ので普段私を「おい、前座!」とか呼ぶベテランの噺家の先輩も言葉遣いが丁寧になるのがなんだか不思議で面白かったのを覚えています。
小さん師匠は剣道の達人で、自宅には道場があり朝一人で居合抜きの稽古をしたりするという方だったんですが、小さん師匠自身の中の大事なもののランキングが、剣道〜家族〜落語(笑)という順番が付いていて、松葉屋さんの顔付けに伺う際にももし剣道関係のお客様がいらしていた
場合に私の順番はその次となり、その後に家族の問題があればさらに私はお宅の居間でただただじっと待つことになる訳です。私も前座なのでその日は顔付けを終えて寄席にいって楽屋働きをしなくてはいけないんですが、顔付けを終わらせなければ楽屋に行くことも出来ません。なぜかといえば顔付けが決まるのを待っている印刷業者や構成する寄席文字の師匠がいるからなんですね。でも、もし楽屋入りが遅くなっても小さん師匠の用をしているというお墨付きがあるので、安心して遅刻できたんです(笑)
〜金沢に居た「すごいお客様」とは?〜
そんな前座時代、ふらっと寄席に寄られた金沢で開業されている
お医者様が何故だか私の高座を気に入ってくださり、自分の開業50周年
記念パーティーでの一席を依頼して下さいました。その先生は古くは先代の金原亭馬生師匠の落語会などを金沢で開催したりされている方で、そんな落語通の方のお眼鏡に何がかなったか分からないまま当日をむかえ、私は金沢に行かせていただきました。
当時まだ新幹線もなかったので飛行機とバスを乗り継ぎ会場に到着し、パーティー会場で用意していただいた高座を確認したり、出囃子を掛けたりリハーサルを重ね、開場に合わせて控え室で着替え始めました。
するとまず楽屋に主催者の先生が楽屋にいらして
「菊ぼう(前座時代の高座名)さん今日は楽屋に凄い方がいますから高座でビックリして噺忘れないでくださいよ」
と言ってニヤニヤしながら楽屋から出ていかれました。
私は「すごい方? 誰だろう?市長さんとかかな?」
と思いながら着替えを続けているとコツコツというノックと共に
楽屋に入ってくる方がいまして、
「今日はすごい人が来てるの知ってるんですか?」
と聞かれ「いえ、わかりませんが⋯」と答えると
「ああ、それならいいんです」と部屋を後にされて、
それ以降も入ってくる人入ってくる人が、
「すごい人が来てるすごい人が来てる」と言うものですから、
その「すごい人」以外全員来たんじゃないかと思うぐらい(笑)!
さて、いざ本番。
パーティーも佳境をむかえ、最高潮に盛り上がったところに
私の名前が呼ばれステージへ。
高座に上がり座布団に正座をして話し始めました。
ニコニコと話しながら心の中は穏やかではありません、
早くそのすごい人の存在を確認して落ち着きたいところです。
マクラを振りながら、会場を盛り上げながら
「すごい人はどこだすごい人はどこだ」と探し続けます。
そんな中、すごい人かはどうか分からないんですが
挙動不審な人を一人見つけました!
パーティーの真ん中の一番前に座っているということは
このパーティーの主賓なんですね。
着物を着た小太りの人が扇子で顔を隠しながら、私の高座を
聴いているんですね。
「あれ?どこかで見たことある人だなぁ」と思いながら
喋り続けていると急に「あっ」とその人が誰なのかが解って
しまったんですね。
目の前に座っていたのは誰あろうこのパーティーに主賓として
招待されていた柳家小さん師匠だったんです⁉︎
落語界では芸人仲間は正面から人の高座を見てはいけないという
不文律があるんですが、小さん師匠はパーティーの主賓である以上、中座するわけにも行かずに、だからといって自分がいたら私がやり難いと思ってくださって扇子で顔を隠して身体を小さくして見ていてくれたんです。
でも、その有り難さも理解できたのは高座を降りてからで、
前座の落語を目の前で人間国宝が聴いているこの状況に
私は噺を忘れたり、間違えたりしない様にするだけで精一杯。
ドバーッと吹き出してきた汗を拭いながらどうにか高座を終える
事が出来ました。
楽屋に戻って大汗拭きながら着替えていると、そこにいたずら小僧みたいな顔をした小さん師匠がニコニコと入ってきて、
「ふふふ、びっくりしただろう?」と小さん師匠
「⋯はい」
「まあ、なんでも勉強だ」と笑いながら
「なんかのせにいくか(ご飯でも食べに行くか)」
と食事に誘っていただき、金沢のどこかのお店に行ったんでしょうがあまりに緊張しすぎていてその後のことはあんまり覚えていないんです(笑)
何しろ若い人にご飯を食べさせる事が大好きな小さん師匠、
その理由は自分が若かった頃仕事も無くいつもお腹を空かせて
いたそうで、若い人と一緒になったら必ずおなかいっぱい食べさせて
あげようという気持ちになってしまうんだそうです。
〜小さん師匠がご馳走をした若い人とは?〜
ある時目白のお寿司屋さんのカウンターで食事をしていたところ、
若い方が数人で入ってきてカウンターに座ると食事をしている
小さん師匠に会釈をしてくれたそうなんです。
小さん師匠もそのお客さんを見覚えがあり、こちらに会釈もしてくれたので
帰りがけにお寿司屋の大将に全員分支払うからと伝え、それをそのお客様に
知らせようとするのを目線で止めて帰ったそうなんです。
すると1時間ぐらい後に寿司屋の大将から電話が入り受話器を取ってみると
「師匠、先ほどはありがとうございました。殿下も喜んでらして
ご馳走様でしたとお伝えくださいとの事でした」
それを聞いた小さん師匠は
「えっ?殿下?どちらの殿下ですか?」と答えると
「ええ、師匠ご存知じゃなかったですか?」と大将
「先程カウンターにいらしたのは浩宮様ですよ!」
「ええええ!」
小さん師匠に会釈してくれた若い人というには当時学習院大学に通われていた
浩宮様だったんですね。
人が良いというかエピソードの事欠かない小さん師匠でした。