深読者Vol.2
Ⅴ.二つに分けられた空間での一体感、<Dictators Circus V>
PIERROTの革命的活動はまだ続く。2000/07/23、メジャー・デビューからわずか一年で開催が決定した西武ドームでの<Dictators Circus V>と銘打たれたライヴ。新聞にも「ロック・バンドとしては史上最速」と掲載されたこのニュースはピエラーを「選ばれた者」だと錯覚させ、またピエラーはPIERROTこそが《CREATIVE MASTER》にも等しい、音楽シーンの救世主だと認識していた。
異例のスピードでのドーム公演は、またしても「実験」の名の下行われた。なんと、彼らは客席を真っ二つに分けてしまったのだ。
観客は「AGITATORシート」か「FOLLOWERシート」のどちらかしか購入できない。(購入はできたとしても分身することは不可能なので、どちらかからしか公演を観ることができない)
しかも彼らはこれが「不公平ではない席割り」だと明言した。ふたつに分けた以上、何かしらの不平等が発生するのは当たり前だと考える人々は、その発言に驚かされる。さらに、当日会場を訪れ、その言葉に納得することになった。
なんと、客席は左右に分かれ、センターが存在しなかった!
そのため真正面からステージを観れる環境には誰もなく、「平等な不公平」を作り出したことにより、全ての観客に「公平」を体感させるという仕組みになっていたのだった。
ここでフィーチャーされたのが、6thシングルの「AGITATOR」である。
*煽動者と追従者の関係、そして決意とは?*
AGITOTARとは、煽動者という意味がある。「CREATURE」で産み落とされた《僕B》は、「GENOME CONTROL」を下敷きにしたユートピア(つまり《CREATIVE MASTER》に仕組まれた世界)で成長する。
シングル「AGITATOR」には他に「FOLLOWER」と「PURPLE SKY」が収録されており、タイトルを読むだけでこのシングルが次の舞台への分岐点だったことがわかる。
「AGITATOR」とはつまりPIERROTであり、「FOLLOWER」とはすなわちピエラーである。
また、単語の印象ですぐにイメージできるのが、AGITATOR=ヒトラー、FOLLOWER=ドイツ国民という姿だ。
現に<Dictators Circus V>では開幕前のSEと同時に、PIERROTとピエラー、ナチスとそれに熱狂する国民の映像が挿入された。
ここで提示されたのが、「フォロワーがいなければアジテーターは成立しない」というパラドクスだった。
どんなに煽動しても、それについていくものがいなければそれは煽動とは言えない。フォロワーが生まれた瞬間に、アジテーターはその存在を確立するのである。
また、三曲目に収録されているのがスカイ・シリーズの終局とも言える楽曲なのが興味深い。1stシングルの「クリア・スカイ」はまさに澄み渡る青のイメージであり、2ndシングルの「MAD SKY〜」はおどろおどろしい赤い空のイメージだった。
それらを混ぜ合わせたかのような「紫」をタイトルに冠したこの楽曲は、《僕A》と《僕B》の中間の存在が生まれるのではなく、《僕A》と《僕B》の「分岐点」として描かれている。
Seen1 「AGITATOR」
逃げてしまえば楽になれるよ
“助けてほしい"って言っちまえばいい
今 ここで目をそむけないで その網膜に焼きつけな
怖いくらい溢れてるよ覚醒のアイデアが
だからひざまづいて救いの手を待ちわびな
怖いくらい震えてるよ もうチョットで触れあうのに
(「AGITATOR」作詞:キリト)
不思議なことに、今までずっと「僕」という一人称を使い続けてきた彼らが、この楽曲にはその視点を登場させない。
これには《僕》と《君》という投影対象を限定してしまわないための意図がある。
アジテーターたるもの、大衆を煽動する際にはひとりひとりに「自分に呼びかけてくれている」と錯覚させなければならない。そのため、敢えて自分の存在を曖昧にすることにより、フォロワーそれぞれが「自らそれを望んだ」と認識できる錯覚を起こさせた。「種」を芽吹かせたフォロワーは、アジテーターの暗示にかかり、自らが運命を選択しているような錯覚を起こしながらシナリオを進んでいく。
それには具体的な指示と、心を揺さぶるような強い言葉さえあればいい。
また、この世界の土台が「GENOME CONTROL」によって作られた“ユートピア”であることを思い出して欲しい。
Ⅳで触れた、「全員が同じだけの不満を持ち、平等である」世界。「GENOME CONTROL」で作られたユートピアはまさにその世界であり、その不満が最高潮に達した時に救世主──つまり、その「種」であるアジテーター──は誕生する。もしかしたら、彼は自らが世界を変えようと立ち上がったのではなく、祭り上げられた偶像なのかもしれない。
だとしたら、そこにアジテーター本人の意志は必要なく、あとは「世界」が望むように進んでいくのみだ。
Seen2 「FOLLOWER」
この楽曲は「AGITATOR」とも「PUEPLE SKY」とも全く視点の異なる楽曲である。今まで絶対的な存在に追従する人々の姿は一切描かれておらず、あくまで綴られてきたのは《僕》と《君》にまつわるストーリーであった。
しかしここで書かれた主人公は、《僕》でも《君》でも、ましてや《CREATIVE MASTER》でもない。
今までの物語を踏まえた上で歌詞を読むと、ここで描かれた「僕達」は、絶対的力を手にした《僕A》でも、新しいダークヒーローとして描かれるべき《僕B》でもなく、《CREATIVE MASTER》に追従していることがわかるのだ。
早くまた目の前に現れ、
明日の話を聞かせてよ
ツジツマならいつも僕達が
無理矢理あわせてきたじゃない
(「FOLLOWER」作詞:キリト)
このフレーズは、はっきりと「ストーリーテラー」とその受け手について書かれている。
今までの物語は多少破綻をきたしても、受け手の解釈により辻褄が合わせられてきたのだ、と。
この構図はPIERROTとピエラーの関係であり、預言者と信者の関係であり、教祖と信者の関係でもあり、確実に「PIERROTの綴ってきた今までの神話への自虐」である。
PIERROTはそのスタイルの特異さから宗教に例えられることの多いバンドであり、実際にひとつの軌跡を神話として組み立てていくという、エキセントリックな活動を行っている。
ここで吐露されている「フォロワー」の心情は、物語を組み立てているPIERROTの心境でもあり、イコール《CREATIVE MASTER》を続けなければならないという自戒でもある。
中途半端に決意まげないで貫き通すのさ
大衆はすぐに飽きるからオトナシクシテレバ
(「FOLLOWER」作詞:キリト)
このフレーズは祭り上げた偶像への説得であり、
「あまりに失望させないで
あなたはカリスマなんだから」
(「FOLLOWER」作詞:キリト)
「アジテーターのアジテーター」──つまりアジテーターをアジテーターとして確立するための存在、フォロワー──の心情だ。
相変わらず青いこの空の下
夢はまだ成し遂げられないけれど
志は高いままさ
また肩で風切って歩こう
間違いなんて誰にでもあるもの
僕は何度でも信じるつもりさ
(「FOLLOWER」作詞:キリト)
そうなるとこのフレーズで描かれた《僕》とは何者なのか。
この項目で述べてきた「フォロワー」が信じている──追従している──ものは、《CREATIVE MASTER》である。しかし、《CREATIVE MASTER》は自分が作り上げた世界やシナリオにアクシデントが起こり、そのストーリーが確変することを願っているような節が垣間見える。となると、彼自身が何かを「信じる」ということは考えにくく、フォロワー自身も“ツジツマ”を合わせてきたと明言しているため、信じる、つまり裏切られたと感じた瞬間があったとは思えない。
ということは、この《僕》は祭り上げられたアジテーター、《僕B》なのである。
Seen3 「PUEPLE SKY」
では、この曲の視点は誰のものだろうか。
悲鳴の雨を抜けて会いに来たよ
不自然な微笑みを投げかけて
恐怖に麻痺した僕の精神を
そう、優しく癒せるのは
いつだって君だけなんだから
(「PUEPLE SKY」作詞:キリト)
ここで呼びかけられている《君》はFOLLOWERではなく、あくまで個人的な《君》である。『FINALE』や『–CREATURES–』で《君》と呼ばれていた存在だ。
つまりこれは公的な存在の「AGITATOR」=《僕B》の視点ではないことがわかる。
この曲は分岐点であると前述したように、《僕》はあくまで《僕》であり、性善説の《僕A》でも、性悪説の《僕B》でもなく、「主人公」としての個人の感情がぶつけられている。
どこまでも広がる
可能性だけをイメージして
少しだけでいいから
そこにあるラインを踏みだして
世界が壊れていくことなんて君は恐れないで
何もかも新しい景色はもうそこまで
来てしまっているから
(「PUEPLE SKY」作詞:キリト)
また、ここでは最初から何度も登場する「物事は終わりから始まる」=「世界が壊れていく」という提示が再度行われ、視点がもう一度フラットになるよう誘導されている。
しかしFOLLOWERは「ここで呼びかけられているのは自分なのだ」と錯覚を起こし、より一層《CREATIVE MASTER》の意志の実行者=AGITATORを信望することになる。実際の《僕》はこの先の展開を恐れているようにも読み取れるのに、自らを《君》だと勘違いしたFOLLOWERは彼を崇め、孤独にしていく。
Ⅵ.表裏一体のシングルに隠された巧妙な伏線
7thシングルもまた、奇妙なリリース形態をしていた。タイトル曲の「神経がワレル暑い夜」。このカップリング曲は「神経がワレタ寒い夜」だったのだ。しかも歌メロはまったく同じだが、アレンジが大幅に違っており、それぞれが別の楽曲として成立している。この前代未聞の試みに、業界中が注目した。
最後に君の目に焼きつけられるのは
きっと醜い僕の本性
無駄な感情は捨ててしまえばいいよ
記憶は器用に綺麗に書きかえて
(「神経がワレル暑い夜」作詞:キリト)
君が目を閉じる度に思い出すのは
きっと醜い僕の本性
無駄な感情が取り戻せないのなら
記憶を器用に綺麗に書きかえて
(「神経がワレタ寒い夜」作詞:キリト)
歌詞もこのように綺麗に対比させており、「PURPLE SKY」から続く統合された《僕》の視点がここでまた分裂を起こしていることが読み取れる。
あくまでPIERROTは一個の人間の中に存在する二面性を強調しており、「主観と客観」、「主体と客体」、「善と悪」、「光と闇」を常に描き続ける。
なぜ泣かないでいるのこんな酷い夜
歪んだ僕に君は気づいていたはずで
なぜ黙っているのこんな暑い夜
聞こえてきそうだよ神経のワレル音が
(「神経がワレル暑い夜」作詞:キリト)
なぜ泣かないでいたのこんな酷い夜
歪んだ僕に君は気づいていたはずで
なぜ黙っていたのこんな寒い夜
引き返す訳にはいかない僕の行く先は?
(「神経がワレタ寒い夜」作詞:キリト)
「神経がワレル暑い夜」の《僕》は受動的でありなおかつ《君》に対して疑問を投げかけているのに対し、「神経がワレタ寒い夜」の《僕》は、能動的であり《君》を責める口調になっている。
二曲合わせて聴くことにより、《僕》の苦悩が明確に読み取れるシングルだ。
三曲目として収録されていた「*自主規制」は、インディーズ時代から人気のあるナチス・ドイツをモチーフにした楽曲「Haken Kreuz」の改題曲であり、6thシングル「AGITATOR」をリリースし<Dictators Circus V>──独裁者のサーカス──を行ったあとのリリースとしては、あまりに皮肉だった。
タイトルが放送自粛用語のため、あえて「*自主規制」というタイトルにしたのもニヒリズムにあふれている。
このシングルを伏線としてリリースされたのが、2ndアルバム『PRIVATE ENEMY』である。
*内なる敵はどこに隠れているのか?*
アルバムタイトルを直訳すると、「内なる敵」となる。また、個人的な敵、私的な敵という意味もあるだろう。
性善説の世界だった『FINALE』では、《僕A》のとる行動はほぼひとつだけ、《君》と巡り逢い運命をともにするというものだった。これは極めて主観的なストーリーと言え、『FINALE』の項目で述べたように視点はすべて《僕A》のもので統一されている。
しかしストーリー自体は《CREATIVE MASTER》の存在を言及し、宇宙まで広がっている。言うなれば「外にむけた」ストーリーなのだ。「CHILD」ではすべてを受け入れた《僕A》が、《CREATIVE MASTER》の意志に背く決意までが告げられた。
では、この『PRIVATE ENEMY』では、誰が敵として設定されたのか。主人公は『–CREATURES–』から《僕B》に変化しており、《僕B》は創生神の意志によって《僕A》の世界をひっくり返すために産まれている。
となれば、《僕B》の当面の敵は《CREATIVE MASTER》ではあり得ず、《僕A》ということになりはしないか。
性悪説の主人公は、性善説の主人公が繰り広げた「外へ向けてのストーリー」とは違い、「内へ向けてのストーリー」を歩み始める。そこでは明確な「敵」の存在はなく、精神世界での混迷に《僕B》は奔走することになる。
Seen1 「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」、「CREATURE」
黄泉であげた最初の産声は、初めから「有罪」であることが決まっていた。
死刑台に立たされ 静かに待っていた
子宮の海がそっと波打ち始め
有罪が確定する 闇の外へと吐き出されていく
(「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」作詞:キリト)
産まれる前から存在を厭われていた主人公である《僕B》は、母胎にまだいる時からこの世界を憎んでいる。自らが母たる人物(これについてはあとで言及する)に望まれた訳ではなく、《CREATIVE MASTER》によってもたらされた特異点にすぎないことを知っているからだ。
祝福の唄が聞こえる 気が狂いそうだよ 眩しすぎて
君の顔、薄れていくよ もう戻れない あてのない未来へ
「サヨナラ」も言わずに行くよ 全てに気づいてしまったから
こぼれでる涙はこれで最後だから 果てのない地獄へ
(「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」作詞:キリト)
この胎児、そして新生児の視点は、そのまま『FINALE』の最後の曲であった「Newborn Baby」のものだ。産み落とされた《僕B》は「CREATURE」と進化を遂げる。
闇の裂け目からはいだした時
溢れる光はこの身を拒絶した
(「CREATURE」作詞:キリト)
この“闇”とは胎内であり、“光”とは「善なるもの」である。
《僕B》は自らが敵と認識した、内部から侵食していく「モノ」──「怪物」──と相対していく。
ここでまた大きな矛盾点を生じさせているのが、PIERROTの描く神話の面白いところである。一貫して「善なるもの」の象徴として描かれてきた《君》と、もうひとり「善なるもの」として登場した《母体》。これを鍵として今までのセオリー通り解読していくと、《Newborn Baby》は《君》から産まれ、その根元は“闇”であり、《君》自身がその“闇”に自覚的なのである。
そうなると今まで《僕A》の視点しか存在しなかった『FINALE』内の「CHILD」で使われるフレーズ、“母なる海の底”の意味が変わってくる。
これまでは「ハルカ…」を踏まえた、《CREATIVE MASTER》の作り出した生命の根源という意味しかなかった。しかし、この「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」によって「子宮」という意味が加わってしまう。
母体=君ならば、「CHILD」で繰り返される“君がまだこないから”というフレーズの意味もまた変化する。
今まで触れてこなかったが、2ndシングル「MAD SKY~」にはカップリングとして「MOTHER SeenⅡ」という楽曲が収録されている。
これは中絶児をモチーフにした楽曲で、
濃い霧の中いつの日も見つめてた 母になるはずだった貴方の横顔
というフレーズや、
mother, 一度だけその子を抱く様に
貴方の温りを感じられたら
ただ mother, この世界はあまりに冷えるから
ここまで来るようなことだけはしないで
(以上全て「MOTHER SeenⅡ」作詞:キリト)
というリフレインが存在する。ここで描かれている、中絶児のいる世界は「冷たい」世界であり、母親になるはずだった人物には決してきて欲しくないような、望ましくない世界である。
つまり、彼のいる世界はHADES=黄泉なのだ。
そうなるとこの誕生を歌った楽曲たちはひとつの物語を両の側面からみたものとなり、【「CHILD」と「Newborn Baby」】、【「MOTHER SeenⅡ」と「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」】は対になる楽曲だということが判明する。
なおこの二曲は<精神的外傷>という言葉で一括りにされている。この後登場する括りはPIERROT本人が提示したものであり、それを手掛かりに楽曲を紐解けという謎かけであった。
なぜ<精神的外傷=トラウマ>に分類されたのか。前述の歌詞をたどれば自ずと、誕生した《僕B》が産まれ出ずる前から傷ついていたことがわかる。
その傷を癒せないまま《僕B》は「CREATURE」=怪物として扱われ、同じく神の創造物(これもまた直訳すると「CREATURE」である)である「性善説の人々」に拒絶される。
溢れる光は この身を拒絶した
(「CREATURE」作詞:キリト)
《僕B》は生命を受けたその瞬間から憎まれることが確定しており、それはすなわち《GUILTY=有罪》の烙印である。
Seen2 「ENEMY」、「MASS GAME」
怯えるだけじゃ飲み込まれるのさ
誰もあてに出来なかったら
仕掛ける方にまわってみるのさ
恐れていたものは見えているかい?
(「ENEMY」作詞:キリト)
ストレートに「敵」というタイトルを冠したこの曲は、視点が複雑に入り組んでいる。先の<精神的外傷>で括られた二曲とは違い、《CREATIVE MASTER》の視点として描かれているように見えて、
今も虫唾の走る素敵な劣等感と敗北感は
腹で蠢いたまま全て食い潰せとけしかける
(「ENEMY」作詞:キリト)
と、まるで《僕B》のトラウマを前提にして書かれているようなフレーズがある。
つまりAメロとサビは《CREATIVE MASTER》の視点であり、Bメロは《僕B》の視点なのだ。この入れ替わりにより、より「ENEMY」とは誰なのか? が曖昧になっていく。
過去「民衆を統率するには簡単な動きを覚えさせるのがいい」と発言したのは、独裁者として悪名高く、何度もPIERROTの楽曲のモチーフとなったアドルフ・ヒトラーである。
すでに“仕組まれて”しまっている《僕B》は、こんな世界に自分を生み出した創生神と、性善説の世界で憧れの対象になっていた《僕A》に対して“劣等感”と“敗北感”を覚えてしまっており、その感情をバネに“不公平のないユートピア”でのし上がって行こうとする。
簡単な動きと言えば、北朝鮮が行う大規模なマスゲームが有名である。こちらもそのままのタイトルで「MASS GAME」という楽曲に連続しており、内容は「GENOME CONTROL」の進化系と言えよう。
波がうねる無数の腕が生きていく術を決めかねている
善と悪が演出されて息を飲む様なエンタテインメント
(「MASS GAME」作詞:キリト)
と、《CREATIVE MASTER》から見た現時点での世界の俯瞰、そして
そうね 君を例えるならば 実験ケースの白いマウス
(「MASS GAME」作詞:キリト)
という《僕A》と《僕B》、さらに《君》までをも嘲笑うかのようなフレーズが登場する。
この二曲は<反逆>という言葉で括られ、それはつまり《僕B》が創生神の敷いたレールを外れ、自分の望むように生きようと反旗を翻したという意味なのだ。
Seen3 「AGITATOR」「不謹慎な恋」、「Waltz」
これらの楽曲は<狂気>で括られた。なぜその単語が選ばれたのかを解読していく。
割れそうな頭の中で君の?は膨張する
何気なく過ごした日々が首を締めていたと気付く
胸を突き破る孤独が見えるよ
オカシクなるまですでに秒読みさ
死んでしまえば楽になれるの?
“愛してほしい"って言っちまえばいい
(「AGITATOR」作詞:キリト)
手垢の一つもついていない微笑みが
巧みに罪の意識を消してそそのかす
それは純粋な戯れ
グロテスクな恋をこれから始めませんか
貴方はただ逃げまわればいいのです
諦めればあっという間に好きになれるでしょう
たとえ僕が*チガイだろうと
(以上ふたつ「不謹慎な恋」作詞:キリト)
芝居じみたパフォーマンス斜め後ろから自分で見てる
今一つリアルじゃないから麻痺して求めるね
もっと泣き叫んでもっと逃げ込んで
もっと近くに来てもっとうろたえて
ネジ曲がったやり方で二人の愛を深めよう
誰から見てもイビツな位が丁度いいから
ネジ曲がったやり方でどこまでも堕ちてみよう
白い目が心地よくなる様な愛撫を受け入れて
(「Waltz」作詞:キリト)
シングル・リリース時には大衆に対して呼びかけていた「AGITATOR」が、ここではアルバムの流れに組み込まれることにより「自らの敵(PRIVETE ENEMY)」への呼びかけへ変化している。
さらに「不謹慎な恋」では、《僕B》がそれまでに獲得した人々を煽動する力により、《君》へ歪な愛情をぶつけている。『FINALE』ではこの位置に「MAGMET HOLIC」が挿入されており、再会を喜んだ《僕A》が力を行使するきっかけの曲となっていた。
しかし「不謹慎な恋」では《僕B》は自分の力の性質をしっかりと理解しており(ここが不幸な結末を呼んだ『FINALE』の流れとは違う)、それでも《君》に対してその力を使わねばならないことを“グロテスクな恋”と開き直っている。
通常の恋愛ならば、それは個人同士の愛情の通い合いである。しかし《僕》と《君》の恋愛はプログラムされた出会いであり、《CREATIVE MASTER》への皮肉を吐き出しているのだ。
そうなると「Waltz」の視点が、《僕》でも《君》でもない視点で描かれていることがわかってくる。
これは《ENEMY》の視点で描かれた歌詞であり、《僕B》が「不謹慎な恋」で感じた違和をそのまま、《ENEMY》が嘲笑っているかのような内容だ。ここで《ENEMY》の視点をはっきりと《僕B》に重ねることにより、「内なる敵」の存在はまさに《僕B》の中にいるのだと暗示する。
ここでもう一度「AGITATOR」の歌詞を振り返りたい。
今 ここで目をそむけないでその網膜に焼きつけな
怖いくらい溢れてるよ覚醒のアイデアが
だからひざまづいて救いの手を待ちわびな
怖いくらい震えてるよ もうチョットで触れあうのに
今 ここで吐き出しちゃって振り切りそうなヴォルテージ
怖いくらい感じてるよ 限界を超えてるんだ
だから引き裂いちゃって素顔かくすヴォンテージ
怖いくらい愛してるよ もうチョットで間にあうから
(「AGITATOR」作詞:キリト)
《僕B》は自らの力──自分自身と言ってもいい──を「グロテスクなもの」と認識していながら、その行使を《僕A》のように止めることができない。つまり、《ENEMY》とは《CREATIVE MASTER》のことでもありながら、《PRIVETE ENEMY》と冠することにより《僕B》が持ってしまった力そのもののことを指すのである。