深読者Vol.7

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Seen3 「COCOON」、「BELEIVER」

 Seen2で《僕C》としての生を歩む意味を見出した主人公。彼はその際に、この物語には

期限が切れる太陽の下で
(「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」作詞:キリト)

と、その「終わり」が存在することと

まだ 行かないで ボーダーラインを越えないで
(「LOVE&PEACE」作詞:キリト)

「終幕」へ向かうにあたり、「性善説の世界を歩む《僕A》の軌跡」をなぞるか「性悪説の世界を歩む《僕B》の軌跡」をなぞるかの切り替えが起きるポイント(=「PARADOX」)が存在し、それはカルマを積む(<選択>をする)ことによってボーダーラインに到達した際に発動する法則を発見した。
 《CREATIVE MASTER》にプログラムされた“アダムとイヴ”の行動は、“誕生と消滅を繰り返し”ながら、“再会の彼方”を目指し、ふたりで幸せに寄り添える理想郷を見つけることである。
 となれば、《僕C》もまったく同じ目的を「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」で見つけたという可能性が大きい。

 ここで前のブロックで述べた仮説である、

「《僕》と《君》が出会いと別れを繰り返すのは、《CREATIVE MASTER》によって仕組まれたプログラムである」
「《CREATIVE MASTER》は《僕》と《君》の歩むシナリオを用意しているが、予想もできない裏切りを期待している」
「《B》は《A》の記憶があり、《C》は《B》の記憶も《A》の記憶も保持している」

という三点が伏線として活きてくる。

 シングル『COCOON』の項で述べたが、このシングルに含まれる楽曲は「三曲すべてで」ひとつの異分子を表している。この異分子=バグが「真っ赤な花」である。
 「花」は何度もループする《僕》と《君》の神話に密かに植えられることにより、今までの──《僕A》と《僕B》の──結末とは違う「終わり」を、《僕C》の神話に呼び起こそうとする。

聖なるこの夜に祝福の幻想は
叶わぬ願いまでも描いてくれるだろうか

 ここで歌われる“聖なるこの夜”は「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」=「“反旗を高らかに翻”すと決めた日、生の意味を見つけた日」のことであり、“祝福の幻想”は、過去《僕A》や《僕B》として成し遂げられなかった《君》と到達する理想郷での姿──そして「ATENA」の女神や「有害の天使」の姿──である。また、

白く漂う不可能の壁に邪魔されて

いた《僕》がたどり着いた『HEAVEN』は、《僕B》が憧れた“理解不能の向こう側”でもあった。

聖なるこの夜に祝福の幻想が
一夜の白い雪と共に消えていくとき
眩く輝いた光の波に君を
もう迷うこともなく 連れ去ってしまえるのだろう
(以上すべて「COCOON」作詞:キリト)

 “白い雪”は「パウダースノウ」であり、《僕》の意識を侵していた罪悪感も、この時点で溶けていくことがわかる。
 『HEAVEN』内で歌われる「COCOON」は贖罪の歌であり、決意の歌であり、赦しの歌でもあるのだ。

 また、《僕C》が発見した「この物語には『終わり』が存在すること」と「『性善説』と『性悪説』のスイッチが存在し、それは<選択>をすることによってボーダーラインに到達した際に発動する」という法則だが、

自由はまさに 何より尊くて
汚すものは 裁かれなくてはならない

精神はまさに 何より尊くて
汚すものは 許してはならない

と、続く「BELIEVER」の中で歌われている。またこの楽曲では

姿さえ見えない 神に願いを

というフレーズで《CREATIVE MASTER》の存在に言及しており、殺し合いや愛し合うことはこの“神”が描いたシナリオの上で行われ、主人公の強固な意志で実行されているものではないことがほのめかされる。

ああ 僕は君を愛したい たとえ禁じられようとも
ああ 僕はさらけ出したい 隠しきれない思想を
ああ 僕は君を愛したい たとえ罰を受けようとも
ああ 僕はさらけ出したい 隠しきれない言葉を
(以上すべて「BELIEVER」作詞:キリト)

 このラストのフレーズでは、“僕は君を愛したい たとえ禁じられようとも”で「プログラムされた《僕》と《君》が愛し合う宿命」に対して皮肉を述べ、“僕はさらけ出したい 隠しきれない思想を”で自らの生の意味を信念にしていることを宣言する。“たとえ罰を受けようとも”というフレーズでは明らかに《僕A》が贖罪した「ICAROSS」や《僕B》が堕ちた地獄である「ゲルニカ」に言及しており、《僕C》のプログラムされた思考、思想以外にも隠している感情が伝わってくる構造になっている。

Seen4 「AUTOMATION AIR」、「壊れていくこの世界で」

 深層意識に「花」を植え、特異点が訪れるのを待つ《僕C》。

気が遠くなるほど 澄み切った
風の吹かない丘の上で 君を思っていたよ

と、「クリア・スカイ」で示した──ピエラーが、そして《君》が待ち望んでいる──“約束のあの丘”へ一足先に到着し、過去の自分の──そして《僕》として歩んだすべての生の──振り返りをする。

もうすぐ空が入れ替わる 何も無かったかのように
立ち止まりたい僕の気持ちも知らず

 このフレーズから分かるように、「AUTOMATION AIR」は「スカイ・シリーズ」の楽曲であり、「クリア・スカイ」、「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」、「PURPLE SKY」と続いた「《僕》の人生の分岐点」を描いたものである。

もうすぐ闇がはがれだす 何も無かったかのように
忘れたくない僕の気持ちも知らず

というフレーズは「HOME SICK」で歌われた「カルマへの懺悔と浄化」であり、この思想は「鬼と桜」にも通じる。
 また、タイトルから仏教の「空」の概念を感じることも可能である。

 最後には

だけど機械的に視界は やっと芽生えた記憶までも
洗い流して「 」 手放して また...LaLaLaLa...
君に聞かせたい答えがある きっと解ってもらえるから
白昼にそよぐ「 」待つ「 」
(以上すべて「AUTOMATION AIR」作詞:キリト)

というフレーズになるが、この空白の「 」では順に“君を”“風を”“僕を見つけ出して”と歌われている。
 この時点ではっきりと《僕》と《君》が別離したことが描かれており、「鬼と桜」や空の概念から、この《僕C》の魂がこの楽曲で輪廻したことが示唆された。
 つまり“約束のあの丘”は──「AUTOMATION AIR」で《僕C》が《君》を待つ“風の吹かない丘”は──肉体の概念を離れた場所にあることが判明するのだ。
 さらに、Seen3で組み込まれた異分子=「花」により、今までの神話上では《僕》が《君》を探し出すというアクションが常に行われていたのに対し、「AUTOMATION AIR」では《君》が《僕》を探し出すように行動が反転している。

 《僕》と《君》の世界には転機が訪れ、今までいた世界は壊れていく。

どうかせめて 同じ蒼ざめた月の下で 笑っていて
触れることも出来ないから
春が過ぎて 同じ景色にたどり着けたら その時には
手をつないで この世の終わりを見よう 二人きりで

何一つも まだ諦めてはいないから

止まらない声 遠い空は 祈りの歌を 掻き消して
(「壊れていくこの世界で」作詞:キリト)

 春という単語には人生の華々しい部分という意味合いが通常は含まれる。その過ぎ去りし日々──本来ならばハイライトにすべき、人生の栄華──を過ぎた場所で、《僕C》は《君》と同じ景色にたどり着きたいと願う。
 《僕》ではなく《君》がパートナーを探すというアクションに切り替わったことにより、《僕C》には《君》と巡り逢えるという確信がこの時点ではまだ持てないでいることもわかる。
 そのためこの楽曲は神話上重要な一曲でありながら、その先の未来が提示されていない曖昧な着地をしているのだ。
 《僕C》の隠された思想とは「『花』を密かに植える」ことであり、「《僕》と《君》の行動を反転させる」ことであり、「何一つも諦めずに“同じ景色にたどり着”く」ことなのだ。

 今までの神話上では常に受動的だった《君》にアクションを起こさせることにより、《僕》は“祈”ることしかできないという立場になる。

Seen5 「OVER DOSE」、「REBIRTH DAY」

 「OVER DOSE」はこのアルバムの中で明らかに異質な楽曲であり、このSeen5にまとめた二曲は<終幕=「FINALE」>へと向けての加速である。

どうだ、もう瞳孔は開いたか?
サイコな覚醒の曉
今日の妄想 ドクロが笑った
最高な革命の曉

 歌詞も攻撃的で曲名も危険性を孕んでいながら、

JUST OVER DOSE...BUT NOT EMERGENCY

とリフレインされる。ここでの「過剰投与」は危険ではないと名言しているのだ。
 ではこの「OVER DOSE」は何に対して行われ、どんな結果を引き起こしたのか。

歯ぎしりして覗いた未来は
麗しきこと夢か幻か
現実逃避など無駄なこと
受け入れるしかないのさ

身震いのトランス・ハイ
理想的な運命の連鎖
君の目の前で
万能になった俺が神になる
(以上すべて「OVER DOSE」作詞:キリト)

 「過剰投与」されたものは、幾度も繰り返される《僕》と《君》の物語であり、通常ならばそのまま「性善説の世界」か「性悪説の世界」かにスイッチされるはずの分岐点で、《僕C》の植えた異分子=バグ(「花」)の効力により、《僕C》の存在がただの《僕》ではなく、“神”と変化するのである。
 《CREATIVE MASTER》の望んだ「予想外の展開」、「手に汗を握る裏切り」が、ここで発動するのだ。

 そして《CREATIVE MASTER》と等しい“神”になった《僕C》は、「REBIRTH DAY」で──「再生の日」で──《僕》と《君》の神話に、もう一度生まれ直すのである。

「木漏れ日が差し込む 愛に溢れた朝
隣には優しく微笑む君がいて
怒りも悲しみも ひとかけらも無くて
寄り添って眺めている」そんなこの世の終わり

 「壊れていくこの世界で」約束した再会の場所では──つまり“この世の終わり”では──《僕》と《君》が寄り添い、微笑み合い、愛に溢れた朝を迎えている。

「頬をなでる風が やけに心地良くて
君の膝の上で 眠ってしまったり
ふいに目覚めても 君はそこにいて
また瞳を閉じる」そんなこの世の終わり

 その場所は「AUTOMATION AIR」で“君を思っていた”“風の吹かない丘の上”だ。《君》と再会することにより、その丘には──“約束のあの丘”には──風が吹くのだ。

見あげてみた空は いまだに灰色で
君がいない日々にも 慣れ始めていて
世界の向こう側の どんな惨劇も
モニター越しの悲劇 そんなこの世の終わり

 再会のこの舞台には、《僕B》の起こした悲劇も、《僕A》が歩んだ悲劇も、すべてが“モニター越し”のように感じられるほどの幸せが満ちている。まさに理想郷である。

それでも 両手を広げて
太陽はまだそこにあるから
いつしか 報いの日射しに
包まれる中 再会の日は…
それでも 足を止めないで
行き先はまだ見えているから
いつしか 報いの日射しに
包まれる中 再会の日はやがて来る
(以上すべて「REBIRTH DAY」作詞:キリト)

 もはや“神”になった──《CREATIVE MASTER》に翻弄されるだけではなくなった──《僕C》は、幸せなこの世界で《君》が自分をもう一度見つけ出してくれることを確信している。“報いの日射しに包まれる中”、その瞬間は訪れる。日射し=光、である。

Seen6 「BIRTH DAY」

 《僕》は「性善説の体現者」=《僕A》として、そして「性悪説の体現者」=《僕B》として輪廻を繰り返した。
 そして《僕C》となり、“神”に弄ばれるだけの存在ではなくなった。
 何度も《CREATIVE MASTER》のおもちゃにされ続けてきた《僕》はその運命を呪い、世界を憎み、《君》に焦がれるだけの自分を嫌ってきた。
 しかし彼は今、祝福の中にいる。

子宮の暗闇をただよいながら
君は何度も旅を繰り返して
まだあきらめずに手を伸ばしている
とても悲しそうに 泣き叫びながら

 《僕》は《君》=《MOTHER》から産まれてきたと前述した。ここで歌われる「君」は、今までのすべての《僕》でありながら、《君》でもあり──このストーリーを同時に追ってきた私たち自身でもある。
 《僕B》は《君》の自覚的な「闇」から産まれ、《CREATURE》として成長した。それは《僕A》が《君》の胎内に宿り、《Newborn Baby》となった瞬間から決められたプログラムであった。

苦しみはまだ終わらない
それでも待ち焦がれていたんだ

 《僕》と《君》の永遠とも言えるストーリーは、《僕》にも《君》にも、そして「裏切り」を待ち続けた《CREATIVE MASTER》にも苦しみを与え続けてきた。

 生物が誕生する瞬間、それは「生まれた」という喜びでもあり、「これから確実に死=<終幕>へ向かう」という苦しみでもある。
 それでも、私たちは産まれる<選択>をすることができない。これから先、自分たちが歩むストーリーの<選択>を、自分だけの意志ですることができない。

 だからこそ、《僕》は歌う。

君が初めて見る世界で 僕が祝福の歌を唄おう
太陽に怯えている その瞳に映る 景色に花は咲き乱れて

 それが<終幕>へ向かう合図──“期限が切れる太陽の下”であり、“報いの日射しに包まれる中”である──であろうと、

君が初めて見る世界で 僕が祝福の歌を唄おう
恐怖に震えている 身体をいつまでも抱きしめてあげるから
だからこの願いが伝わる日まで祝福の歌を唄おう
言葉にはしなくていいから そっと微笑んでくれるだけでいいから

そこにいるだけでいいから
(「BIRTH DAY」作詞:キリト)

《僕》は、「光」の中に産まれてきた「君」を祝福する。
 ずっと《君》の「闇」から産まれてきた《僕》が、「光」の中に産まれてきた《君》をただ純粋に、存在を肯定するのだ。もはや誰に対する憎しみもなく、運命を呪うこともなく、《僕》を、《君》を、私たちを──ただ感謝と愛を込めて──祝福するのである。

Seen∞ 「PARADOX」、「SUPER STRING THEORY」

 さて、このアルバムには隠しトラックが2曲収録されている。
 アルバムを巻き戻し再生するとトラック0として収録されている「PARADOX」と、アルバムを再生したままにしておくと流れる「SUPER STRING THEORY」である。
 以前「PARADOX」については詳細に解説したので、読者の皆さんにはこの楽曲が『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』の最初に隠されている意図はおぼろげにつかめているかと思う。

 すべての物事は<選択>の連続であり、それは小さなことから大きなことまで「自分」で<選択>していること。そしてその<選択>は自らで行っていながらも、必ず世界のなにがしかの要因からの影響があるということ。

 『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』の中で《僕C》が行った選択はまさしくそれであり、《僕A》という生や《僕B》という生を経験していなければ、彼は理想郷に到達することも、世界のすべてを祝福することもなかった。

 アルバムの副題である「〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜」=「利用者の目的に合わせて設定しなおされた景色」。
 これはつまり、生を受けた場所を自らがどのように生きていくかで、「天国=理想郷」にも「地獄=HADES」にもなるという意味だったのだ。
 《僕C》は性善説の世界でも性悪説の世界でもない、リアルな──そして混沌とした──現実に産まれながら、その生きていく舞台を「天国」へと作り替えてしまったのである。

 今まで《僕》の物語を、3つのタームに分けて語ってきた。

 『FINALE』の世界を歩む《僕》は、「性善説の体現者」である《僕A》。
 『PRIVATE ENEMY』の世界を歩む《僕》は、「性悪説の体現者」である《僕B》。
 そして『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』の世界を歩む《僕》は、混沌とした現実から産まれた《僕C》。

 これらは実際にはひとつの連続した人格を持つ《僕》であり、スイッチの切り替え、ボーダーラインを越えること、そして期限がくること──それらによって、強制的に世界観の変更が行われ、自らに性質が付与され生き抜くことを《CREATIVE MASTER》に勝手に決められていただけである。
 《僕C》が《CREATIVE MASTER》の思惑を打ち破ったことにより、《僕》は《君》を探し続ける呪縛から逃れ、この嫌なことばかりが起きる世界を「理想郷」──「HEAVEN」──へと自分でカスタマイズし、見事に残酷な物語を<終幕>させた。
 《僕A》は《僕B》のパラドクスであり、《僕C》は《僕B》のパラドクスであり、彼らは違う性質を付与されていながらも、すべてが同一の《僕》だったのだ。《僕A》としての物語がなければ《僕C》は運命を克服しておらず、また《僕B》としての物語も《僕C》の幸せな結末には欠かせない要素であった。
 彼らは自らの性質を<選択>した訳ではないが、その時に起きるすべてを自らで<選択>し、この<終幕>へとたどり着いたのである。

 私は以前、「《僕》=《CREATIVE MASTER》なのではないか?」という疑問も提示した。

こうして二人はいくつの壁を乗り越え歴史を作るのだろう
誰だって心の奥ではハッピーエンドを望んでいる

得意気な予言者の言葉の意味によく振り回されて
観客がもっと刺激受ける様な展開を見せるのさ

こうして二人はいくつの壁を乗り越え歴史を作るのだろう
手に汗を握る位の「裏切り」を待っている

さあ幕は切って落とされようとしている
自己複製(コピー)を繰り返し増殖しな

ビリヤードの玉の様にぶつかりあいドラマ作って見せてよ
(「CREATIVE MASTER」作詞:キリト)

 《僕》が<選択>したように、《CREATIVE MASTER》もまた<選択>を続けてきた。
 そして《僕》が望んでいたように、《CREATIVE MASTER》もまた、“ハッピーエンドを望んでい”たのだ。

 ここでは<選択>する立場という意味で《僕》と《CREATIVE MASTER》は同列であり、実際にこの神話上で《CREATIVE MASTER》が望んでいた<終幕>が『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』の形だった。
 つまり、何度生を与えても《僕C》のような動きを見せない《僕A》や《僕B》の物語に対して一番いらだちを感じていたのも《CREATIVE MASTER》であり、彼自身もまた誰かの<選択>によって特異点を迎えることを待ち続けていた存在だったのだ。
 実際の神話の主人公は《僕》という連綿とした人格だったわけだが、《僕》と同じように<選択>を続けた《CREATIVE MASTER》もまた、彼の人生における《僕》であり、主人公であった。

 PIERROTが長い時間をかけて綴ってきた神話は、ここで終わりを迎えた。

 そして、そのさらに先──再生を続けてたどり着く先──に待ち受けているのが、「SUPER STRING THEORY」だった。

サイケデリックな朝日を肌に浴びて
君を悩ますその常識を壊しにいこう

難解なかけひきにはもう意味が無くて
涙もいい加減流し疲れた頃だろ

 この神話の終わりを、今までPIERROTとピエラーが追い続けた「神話の完成」を“もう意味が無”いと一蹴し、

同次元で君と僕が こうして出会って
お互いに求め合ってる それが答えさ

私たちの出した答えを肯定しながらも、

想像もつくはずの無い楽園の景色は
とてもシンプルで美しい
諦めかけてる君を連れていこう
そう限りなく超人的に
(「SUPER STRING THEORY」作詞:キリト)

と、この天国──『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』──よりさらに先に、もっとシンプルで美しい景色があると示した。

 PIERROTは私たちを新しいステージへ連れていく際に、「それまでのステージが終わったこと」を宣言し、さらに「その次のステージへ連れていくこと」を宣言することを前述した。
 つまりPIERROTというバンド自身が、神話に頼らない新たなステージへ向かうことを宣言して、──それまでもが「神話」に含まれるというパラドクスを提示して──この長大なストーリーは完結したのであった。

Vol.8へ続く→


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