深読者Vol.1

前置き

 こちらはピエラー全盛期だった学生の頃に、友人宅のPCを借りてぽちぽちと書いていったPIERROTについての定義しにくい文章です。
 PIERROTというのは変わったバンドで、メジャー・デビューからずっと、リリースやツアー・タイトル、セットリストなどで一本のストーリーを紡いでいったバンドです。
 これは限定シングルの「PARADOX」がリリースされた時の文章で、その後のツアーからの動きがどうなるのかという部分までを書いています。PIERROTが描いたストーリーの完結までは書いておりません。
 昔の文章に少々手を加えただけなので読みづらいかとは思いますが、ご興味のある方はどうぞ。また、本当にPIERROTというのは変なバンドで、こういう深読みをしているのは私だけではなく、ピエラーに多数いたことも付け足しておきます。
 書いていたらクソほど長くなってしまったので、3つに分けて公開させてください。

深読者

 PIERROTというバンドは特異だ。なぜなら彼らがバンドを形成している状態が「主体」ではないからだ。彼らの行動を分析していってもたどり着くのは全体像ではなく、ほんの表面に浮かんできた一部分にすぎない。それは分裂して進化した細胞のようなもので、常にそこには「第三者」の視点が存在する。
 PIERROTはリリースする音源の歌詞、敢行するツアーのタイトルやセットリストなどで描いた軌跡を物語とし、一種の神話を築き上げてきた。
 その物語には《僕》と《君》の他に必ずもうひとつの側面が存在し、ここでは便宜上その存在を《CREATIVE MASTER》もしくは《Newborn Baby》、あるいは《CREATURE》と呼ぶ。
 この三者の視点が絡まりあい、反転し、混ざり合うことにより、彼らの描いた物語はより複雑さを増すこととなる。

 なお、この「報告書」は一人のFOLLOWERによるものである。FOLLOWERがAGITATORを“analyze chat”し、見事な心理的すれ違いが起きることによって、新しい“PARADOX”が生まれることを期待している。

Ⅰ.「クリア・スカイ」と「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」

 メジャー1stシングルである「クリア・スカイ」。

澄み渡る空に気づく暇もなく潰し合う下等な生き物に
切れ間無い青は終わりの前触れさえきっと見せないだろう
(「クリア・スカイ」作詞:キリト)

 1998/09/10にリリースされたこのシングルは、「ノストラダムスの大予言」で示唆された「この世の終わり」、終末を表しながらも

壊れていくこの世界で 迷わず待っていて
あの日決めた 約束のあの丘で
降り注ぐ灰の雨に打たれて抱き合って
そう 濡れたまま寄り添いながら眠ろう
(「クリア・スカイ」作詞:キリト)

と、「終わりがきた時にそばにいるのは自分たちだ」という希望を匂わせる楽曲だ。

 一方、そのたった三ヶ月後にリリースされた2ndシングル「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」。

暴走する常識の狭間で 操られていることも知らずに
君は少し考えたふりして 予定通りの未来を選んでいく
(「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」作詞:キリト)

  まるで「クリア・スカイ」で見せた優しさと無力さが嘘かのように、自分の手のひらで《君》が踊らされていることがわかる。

やがて僕は最後の鍵を解く 待ち焦がれた君を連れて次の舞台へ
何も言わず狂った空の下 腕の中で身を任せて眠っていて
(「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」作詞:キリト)

 さて、キリトはこの2曲は表裏一体の曲だと述べており、実際に読み比べるとまったく正反対の性質の歌詞であることがわかる。

 「クリア・スカイ」の《僕》は、やってきた終末を打破する何かを見つけることができず、状況を解決することができない。なにもできないからこそ、《君》と寄り添って眠る(つまりここでは「死ぬ」、「運命を最後までともにする」の意だと思われる)ことはできると言っている。

 「MAD SKY〜」の《僕》は、人の運命さえ掌の上で弄べる強者だということを示唆し、《君》の生死ですら自分が握っているということを告げる。

 「弱者」と「強者」という構図になってしまいがちの反例だが、この2曲によって人間の中に存在する二面性を描いている。
 「クリア・スカイ」で描かれた「何もできない弱さ」というものは、「MAD SKY〜」で描かれた「なんでもできる狂気」と「君のために実行される」という点では同一であり、両極の存在が必ずPIERROTの描く世界には存在するということをこの2枚のシングルで真っ先に示したのだ。
 これは人間の精神でいうところの善悪であり、この二極は今後常にPIERROTの世界でのキーワードとなる。

Ⅱ.「ハルカ…/カナタヘ…」と武道館公演、「ラストレター」

 3rdシングルである「ハルカ…/カナタヘ…」は両A面シングルで、2曲でひとつの世界を作り出す実験をしていた。

幾億の時を重ねて 無限に募る想い寄せて
絶え間なく変り続ける景色で 眠る君に会える日まで

遥か遠い過去の記憶を呼び覚ます 荒れ狂う海原で生命が産まれた
太古の日差しをあびてふたりはめぐり逢った まだ知らぬ未来を疑いもせずに
(「ハルカ…」作詞:キリト)

という「ハルカ…」のフレーズからわかるように、太古の昔から《僕》は《君》を探している、求め続けているという歌詞が綴られる。それは地球上に生命が産まれた時からの運命であり、これからもそれが続く。

導かれるままに進化を繰り返し 儚い文明を幾つも築いた
灰色にひしめくコンクリートの上で 君の姿だけを何度も探した
(「ハルカ…」作詞:キリト)

と、その行動は現代(私たちリスナーの時代)まで続く。
 さらに、最後のフレーズでは

最期にふたりで誓った再会の彼方へ向かって
(「ハルカ…」作詞:キリト)

と、収録されている「カナタヘ…」の道筋をつけた。
 その「カナタヘ…」だが、

あてもなく時に身をまかせて 誕生と消滅を繰り返して
そのたび記憶は罪に汚れ 君の笑顔がもう思い出せない
(「カナタヘ…」作詞:キリト)

という歌い出しから始まり、ここでも「クリア・スカイ」と「MAD SKY〜」で示された「二面性」というものが強調されていることがわかる。

 「ハルカ…」では、あてもなく《君》を探し求めている永遠とも言える時間軸のポジティヴさを描き、「カナタヘ…」ではその長大な時間のネガティヴさを描く。

 PIERROTはこのふたつの側面(つまり「両面」)を、「両A面」というリリース形態で表現しただけではなく、初の武道館公演<RISING A 「MAD SKY」 FINAL at 日本武道館>にて、「ハルカ…」の世界と「カナタへ…」の世界に分けた二部構成のステージを行うという行動で表した。

 そしてアンコールで初披露されたのは「ラストレター」。

未来も選べずに死にゆくこの心は 汚れなく澄み切った川の様に
どこまでも流れて まだ見ぬ向こう岸へと 迷いもなく渡っていくのだろう
(「ラストレター」作詞:キリト)

 第二次世界大戦の特攻隊隊員をモチーフにした小説をつけてリリースしたことでも話題になり、この小説はキリト自身が執筆している。
 武道館で初披露となったのは、この地に英霊を祀っている靖国神社があるため、戦争の犠牲となった全てのものを弔う気持ちがあったからなのだろうか。

Ⅲ.コニファーフォレストで見せた計画的な罠〜<Dictators Circus IV【vier】
-Birth of Newborn Baby->

 1999/07/20に行われた、PIERROTの記念すべき初の野外公演。この日は歴史的な日となった。メジャー・デビューしてから一貫して、彼らがひとつのストーリーを描いていることが内外に公式に知らされたライヴだったのだ。
 当日のキリトのMCからわかるように、メジャー・デビューしてから十月十日で開催されたこのライヴ。十月十日といえば、子供が母体から産まれるのに必要とされる年月だ。
 ここで多くのピエラーが、自分たちが《Newborn Baby》と呼ばれるキチ*イな子供──ここでは「種」と呼んでもいい──を孕んでいたことを知る。そしてその「種」は、これからPIERROTとピエラーの行動により、進化していくことが暗示された。

 さてここで、この<Dictators Circus IV【vier】
-Birth of Newborn Baby->でもっとも効果的、なおかつ暗示的な役割を果たすために必要だったアイテムを紹介する。
 1999/07/07にリリースされた、メジャー1stフルアルバム『FINALE』。
 この作品はリリース日からすでに「アンゴルモアの大王とはこのアルバムだった」とプロモーションされるほどのものであり、1stでありながら「最終」という意味を冠している。
 そのアルバムの中で綴られたストーリーを解読していこう。

Ⅳ.「FINALE」=「始まり」だという真の意図

 直訳して「最終」。「終幕」という意味もある。なのになぜキリトはこのアルバムを「始まり」だといい、1stアルバムのタイトルにもってきたのか。
 彼のいいたいことを要約すると、「何かが始まるということは、その前の何かが終わることだ」となる。
 1曲目の「FINALE」の歌詞からもその提示は理解でき、

薄笑みを浮かべた支配者は自らのシナリオ通り
破滅へとたどったステージのフィナーレに酔いしれていた
(「FINALE」作詞:キリト)

と、まさにそういった歌い出しから始まる。

 この1曲目に収録されたタイトル曲「FINALE」により、今までシングルで築き上げてきた世界は一度終わりを迎える。

 さて、この『FINALE』というアルバムは楽曲が進むにつれ、ストーリーも進行していく。
 いくつかのシーンに分けて、それらをなぞっていこう。

Seen1 「FINALE」、「ハルカ…」

 それまでの全てのストーリーの終幕から、物語は始まる。それはリスナーの意識を「このアルバムの1曲目から新たな物語が始まる」と向き直させる仕掛けであり、実際に別れのシーンを描いた「FINALE」の次に「ハルカ…」が流れることにより、《僕》と《君》に連続した魂を感じさせることができる。
 人が出会い別れることは太古の昔から繰り返されてきたことであり、それが《人間》という生き物に与えられた運命だと言うこともできる。一度この星は滅亡という「終幕」へ近づいてから、新たな生命を根付かせていく。その生命の代表として描かれているのが、《僕》(アダムと言ってもいい)と《君》(だとしたらこちらはイヴだろう)なのである。

Seen2 「CREATIVE MASTER」、「カナタヘ…」

 《僕》と《君》は《創生神=CREATIVE MASTER》の手により、出会いと別れを繰り返す。もはや《僕》が《君》を探し続けるのは逃れられない呪縛であり、《僕》自身がその存在をうっすらと気づいていても、手の届かない存在によって描かれたシナリオを歩んでいくしかない。
 そうして繰り返された歴史は少しずつ変化を遂げ、想像も超えたドラマを見せるようになる。

こうして二人はいくつの壁を乗り越え歴史を作るのだろう
手に汗を握る位の「裏切り」を待っている

さあ幕は切って落とされようとしている
自己複製(コピー)を繰り返し増殖しな

ビリヤードの玉の様にぶつかりあいドラマ作って見せてよ
(「CREATIVE MASTER」作詞:キリト)

 消滅を何度も経験しながらも、「誕生」を恐れない《僕》。まるで<再会の約束>こそが組み込まれたプログラムかのように。
 そして、《創生神》の望んだように、ここで物語はひとり歩きを始める。

Seen3 「Eco=System」、「MAGNET HOLIC」

 神の手から離れた物語はバランスを失い始める。

バランスのとれた共存の仕組みで
君に触れることはもう出来ない
見えない鎖を断ち切るその時
過ち犯す覚悟を決めたけど
(「Eco=System」作詞:キリト)

 タブーを犯しながら、再会を目指す《僕》。

モニター越しに出逢った君は
千年前より何倍も綺麗さ
少しは僕もあの時代より
いくらか出来ることが増えているよ
(「MAGNET HOLIC」作詞:キリト)

 《僕》が電子の溢れる世界で意識だけの存在になり、姿形が変わってしまった彼が見つけた《君》に、現代の伝達手段──例えばコンピューター──で話しかける。そんな映像を思い浮かべるシーンだ。
 さらにこの発達した電脳社会では、これら全てが《僕》の妄想にも思えるではないか。
 “あの時代より いくらか出来ることが増えている”《僕》は、《君》を手に入れるために──もう二度と引き離されないように──力を手に入れ、またそれをコントロールしようとする。

Seen4 「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」、「SACRED」、「ICAROSS」

 やがて力を手に入れた《僕》は、その力を隠しながら《君》を次のステージへと誘う。ここで《僕》が手に入れた力は《創生神》にも匹敵するものであり、「次の舞台(ステージ)」とはすなわち「誰にも操られずにふたりが幸せになれる世界」である。《僕》はここで力を行使することによって、自分も散々ふたりを振り回した《CREATIVE MASTER》と同等だということに気づけない。暴走する彼は、自分の考えるふたりの幸せのためならばどんな犠牲も厭わないのである。
 タガの外れてしまった、自分には手に余る強大な力を使ってしまったただの人間──繰り返すが彼はあくまで投影される対象であり、一個の人間である──に、なにが出来るというのだろうか。《僕》は驕りによって《君》をまた失ってしまうのだ。

どれだけの痛みを君に感じさせたろう
許しを乞うには罪が重すぎて
(「SACRED」作詞:キリト)

とあるように、ここまで《僕》の考える「理想」に向かってふたりは歩んできたが、その最中に《君》が何を考えていたかは全く書かれていない。しかしこのフレーズにより、《君》は《僕》が力を手に入れることを望んでいなかったことがわかる。

翼を広げて地上に別れを告げた
懺悔する訳を誰にも言えないままで

だからせめて貴方だけには残したい
日に焼きつくされて消えてしまう前に
だからせめて貴方だけには話したい
これでもまだ許されない僕の罪をどうか…

だからせめて…

生まれ変わっても重ねていく償いを君に…
(「ICAROSS」作詞:キリト)

 《君》を失った《僕》は、その懺悔のために愚かしい終わり方を選ぶのである。

Seen5 「ラストレター」、「クリア・スカイ」、「CHILD」

 《僕》と《君》が綴る物語は変化していき、次に転生した人生で《僕》は《君》を見つけても、想いを告げるのを拒む。

叶うはずのない二人の願いは 夕闇の奥へと滲んでいく
君に伝えたかった僕の想いは 舞い上がる砂嵐に掻き消され
(「ラストレター」作詞:キリト)

 想いを告げない、ということは力を使わないということとイコールであり、無力でありながらも《君》と寄り添っていられる自分を選択する《僕》。
 それは灰の雨に打たれても、灼熱のアスファルトに倒れても、《君》の求める《僕》であろうとする努力でもあるのだ。

 さて、Seen3で述べた「意識だけの存在」となった《僕》の仮定を少しだけ先に進めよう。
 ここではこんなこじつけも可能である。

 電脳世界で共通する単語の「砂嵐」と「灰色」。これらの言葉は「ラストレター」の歌詞である“舞い上がる砂嵐に掻き消され”と、「クリア・スカイ」の歌詞である“降り注ぐ灰の雨に”に含まれる。
 “砂嵐に掻き消され”たのは、力を手に入れた《僕》がその時抱いていた《君》への再会の憧憬ではなく、「MAGNET HOLIC」で“モニター越しに”ででも伝えたかった、純粋だった《僕》の本心ではないだろうか。

 「CHILD」で《僕》と《君》のストーリーはひとつめのターンを終え、無力な《僕》から力を手に入れた《僕》へと変化し、その力を行使しないという「強さ」を手に入れた《僕》が、内へ秘めた決意で締め括られる。

僕は母なる海の底へとは戻りはしないよ君がまだ来ないから
腕に突き刺さる風を受けて生き延びていくよ
このホシが朽ち果てるまで

強く響け僕の歌声よ行き場を無くした君のもと、届くように
そしてまた新しい命を産み落としていて
このホシが諦めるまで
(「CHILD」作詞:キリト)

 まだ来ない《君》を待ちつつも、「ハルカ…」の時のような希望や「カナタヘ…」のような焦燥感は感じられない。
 すでに存在に気づいている《創生神=CREATIVE MASTER=母なる星の意思》に対して、諦めずに対抗していく覚悟が感じられる。《僕》の成長が感じられるエンドだ。

 しかし物語は新たなターンへと突入していた。それが最後に収録されている「Newborn Baby」である。

Seen6(Next Stage) 「Newborn Baby」

未来に怯えた母胎の中で
やがて塗り替えていくステージを睨みつけた

気まぐれな世界の創り主は
いつの時代も一人悪魔を存在させる
(「Newborn Baby」作詞:キリト)

 “やがて塗り替えていくステージ”とあるように、ふたりの歩む物語は次のステージへと進むことがわかる。そこでは主人公は《Newborn Baby》という存在であり、この恐るべき赤ん坊は《君》を“進化”させるために産まれてくるのだ。

きっと君は驚くほど進化する

出来ごとには理由なんか無くて
突然変異だけが流れを変えていくのさ

連れていこうか常識が無駄なものになる瞬間へ
きっと僕は全ての想像を超える
(以上全て「Newborn Baby」作詞:キリト)

Ⅴ.まさに逆説とも言うべき<実験>という名のヴァーチャル・ライヴ

 「モニター越しのライヴ」。<FORETELLER'S-MUTATION FINAL
THE GENOME CONTROL>と題された前代未聞のライヴが、1999/12/22に行われた。
 このライヴは先に行われたツアー<FORETELLER'S-MUTATION>のファイナルとなり、コンセプトとして掲げられたのは<不可能が可能になり、可能が不可能になる>という一文だった。

 突然変異の先を占う、といった意味のツアー・タイトル。最後につけられた「遺伝子操作」の単語。
 これらは明らかに私たちの意識改革を謳ったものであり、突然変異とは先に述べた《Newborn Baby》のことだと誰しもが思った。その成長を、共に確認するのだと。

 <FORETELLER'S-MUTATION FINAL
THE GENOME CONTROL>はインターネットやテレビでの生中継、ストリート・ヴィジョンで放映という、「公平」な、誰にでも参加できるライヴ。しかしピエラーにとっては、メンバーと会場の空気を共有することができないという誠に不本意なライヴだった。少しでもその空気を誰かと共にしようと、クローズド・サーキットはどこもSOLD OUTし、遠方のピエラーは友人たちと集まって放映会を行い、街頭はキリトと同じ動きをするピエラーに占拠された。
 誰しもがわだかまりを持ちながらも、誰も取りこぼすことのない“不公平のないユートピア”──そう思われたライヴ。

 その認識はライヴの後半で、キリトの口から飛び出した言葉によりガラリと変わる。
「新宿で一時間後にライヴを行う」。
 誰しもが「公平」だったはずのライヴは突如その姿を変え、一転して「不公平」そのものとなってしまった。
 アルタ前はパニックになり、ゲリラ・ライヴは全国のピエラーだけではなく一般人を巻き込み、騒動はHPへと場所を移してページが閉鎖されるまで続いた。

 こんなことをしてしまったら、不満の声が上がるのは当然である。それを見越してまでこの「実験」を実行したからには、確実に何らかの「意図」が存在した。
 では、キリトが危険を伴ってまでも提示、誘発したかったものはなんだったのか。それは<FORETELLER'S-MUTATION>というライヴで何度も演奏された5thシングル『–CREATURES–』に収録された楽曲たちから読み解ける。

 まず結論から話すと、キリトは《CREATURE=Newborn Baby》としながら、かつ《CREATURE=人間の本性》と位置付けていた。
 あまりに理不尽な行動を取られた場合、人間は理性を鈍らせる。そこで自分がどんな行動をとるか、どんな選択をするのかという「本能」の部分を曝け出させたかったのだ。それもコントロールできるように“進化”させるのがここでの、そして次のツアー<PROGRESS BODY>での目的だったのだ。

 『–CREATURES–』に収録された3つの楽曲は、見事な起爆剤となった。その楽曲たちを解説していく。

*果たして《「CREATURE」=怪物》であったのか、それとも…*

 『–CREATURES–』に収録されているのは「CREATURE」、「GENOME CONTROL」、「パウダースノウ」。
 CREATUREという単語は「怪物」と直訳できるが、単語の意味を調べていくと「神の創造物」という含みがあることがわかる。このシングルによって『FINALE』で孕んでいた《Newborn Baby》は正式に《二人目の僕》として、私たちの中に産み落とされるのだ。
 ここから先では『FINALE』までで《僕》と呼んでいた人物を《僕A》とし、『CREATURES』で産み落とされた主人公──つまり《Newborn Baby》でもある──を《僕B》として話を進めていく。

 正反対の性質を持っている《僕A》と《僕B》。これは性善説と性悪説を体現していると言ってもいいだろう。つまりそれは、人間の中に潜んでいる二面性を表していると言い換えてもいい。

Seen1 「CREATURE」

 この報告書を読んでいる皆さんは、聖書の大まかなストーリーはご存知だろうか。神に次いで力を持っていたという天使・ルシフェルは、反旗を翻し戦いを挑み、敗れる。彼はその後堕天使・ルシファーとなり、地獄を統べる者となる。
 光とはつまり善であり、闇とはつまり悪である。元々善の性質をもったものが、あまりに善に憧れるが故に悪へと堕ちる。さらに悪が存在することにより、善なるものはより善として引き立てられるのだ。

無感情な愛しい人よ どうかまだ狂わずにいてね
(「CREATURE」作詞:キリト)

 このフレーズからわかるように、世界の仕組みに気づいていながらも、闇の存在──つまり、性悪説の体現者として産まれた《CREATURE》──は強く呼びかける。

地獄へ堕ちていくしかない
僕の姿を見つめていて

剥がれ落ちた“理性”という名のぬけがらを今ここに置いていこう
さらけ出した神経にもっと感じたい君の中に潜んでる“怪物”を
解き放たれた本能にゆだねてあざ笑う声に耳をかたむけて
(「CREATURE」作詞:キリト)

 その進む先が破滅しかないことを、彼は産まれた瞬間から理解している。だからこそ“理性”を脱ぎ去り、「本能」を見せつけるのだ。

Seen2 「GENOME CONTROL」

予想外の展開を待つのさ
何もかも与えるから
心焦がす涙も必要さ何もかも
予定されているけど

四つのアルファベットが
組み替わる(C.A.T.G)
全ては記号の並びで決まる
(「GENOME CONTROL」作詞:キリト)

 この視点は明らかに《CREATIVE MASTER》のものであり、このシナリオを彼が描いていることがわかる。遺伝子情報であるアデニン (A) 、グアニン (G) 、チミン (T) 、シトシン (C)を歌詞に組み込むことにより、この視点を持つものは生命の誕生に対しての絶対的な権限を持っていることが明かされる。

 さらにこの「GENOME CONTROL」という楽曲では、ここから先描かれるストーリーが、今までとはまったく違うものになることにも触れている。

愛と平和を夢見た
生易しい時代が終わる
行くあてのない未来は
「怪物」と手を結ぶしかない
(「GENOME CONTROL」作詞:キリト)

 《CREATURE》という「怪物」の誘いに乗るのを、《創生神》自体が望んでいることが示唆されるのだ。
 しかし《僕A》はそのことに気づいておらず、また《CREATURE》となった《Newborn Baby=僕B》もそのシナリオを知らない。この先の未来がどうなるか知っているのはあくまで《CREATIVE MASTER》のみであり、その神本人は《僕A》や《君》に代表される《人間》──ここではピエラーとしてもいい──がどういった選択肢を選ぶのかを楽しみにしているのだ。

 『FINALE』で《僕A》に歩ませた「性善説」の世界を捨て去り、性悪説の世界へ流れていくことを、絶対的正義であるはずの創生神自身が示す。

 このマキシ・シングルで「性善説=光」である世界は終わりを迎え、「遺伝子操作=GENOME CONTROL」により、

見てご覧、誰もが同じ涙を
流してくれるよ
ここがあれほど願った
不公平の無いユートピア
(「GENOME CONTROL」作詞:キリト)

が今後進むストーリーの土台となる。

Seen3 「パウダースノウ」

 今まで《君》の意思については、ほぼ触れずに書いてきた。それは《君》とは私たちリスナーの代弁者であり、あくまで思いを投影する対象だからでもある。つまり、PIERROTの描くストーリーの中での《君》の思いとは、この物語を読んだ読者、そしてリスナー本人の心境である。
 今まで性善説の世界で過ごしていた私たち──つまり《君》──には、そう易々とは《僕B》を受け入れることができないのは当然だ。
 「CREATURE」の項目で述べた通り、《僕B》は愛しい人が狂わないことを願い、その一方で永遠に近付かないと思われた《君》との距離を、「GENOME CONTROL」で創生神の手によって世界を反転させることにより縮めさせられる。
 あくまでも《僕B》は性悪説の体現者だが、《君》はそのままの私たちなわけだからここでは性善説の世界からやってきたことになる。
 なお憧れる光の人に対して、自分という存在で《君》が穢れることを恐れ、近づくことを受け入れられず、別離という痛みを《僕B》は選ぶことになる。

何が僕をこうさせるのだろう
地獄へまた近づいていく

君を見つけた季節は真っ白な雪に包まれて
かじかんだ体を暖めあったね
いつかくる別離の影で
(「パウダースノウ」作詞:キリト)

 ここでも前述した通り、《僕B》が自分に組み込まれたプログラムを知らず、《CREATIVE MASTER》の思惑の通りに生きていることが知らされる。
 《僕B》はあくまで《僕A》の裏返しの存在であり、同じだけの情報や力しか与えられていないのだ。

もっと降り積もってこの目を潰して
身動きもとれない位に
血のかよわない怪物はここでただ叫び続けるから
もっと憎みきって
存在をせめて君のなかで生きていかせて
抉りとられた想い出はいつか粉雪のように溶けていく
(「パウダースノウ」作詞:キリト)

 こちらのフレーズでは、二通りの読み方ができる。“存在を責めて”と“存在を、せめて”だ。これはどちらも正しい読み方で、性悪説の体現者として産まれながらも葛藤の中にいる《僕B》の心境を如実に表している。

Vol.2へ続く→

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