終わらないえんそく〜つれづれメモ12 5次元ドアから飛び出したモノ〜
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次元上昇したえんそくがその後同時リリースした作品が、5thミニアルバムの『5次元よりの使者(M盤)』と5thフルアルバムの『5次元よりの使者(F盤)』である。
「○次元よりの使者」の元ネタは五井野正による著書『七次元よりの使者』だと思われる。これは約40年前に出版された全5巻のSF小説なのだが、現在の地球が瀕している温暖化や都市発達による危機を予言していたと言われ、スピリチュアル界隈での人気がここ10年ほどで高まった絶版本だ。こんな茶化したらめちゃくちゃ燃えそうな界隈をあえていじっていく精神、嫌いじゃないです。
MとFに分かれている理由とその名称の理由は特に明かされていないようだが、単純に「ミニアルバム」の「M」と「フルアルバム」の「F」、そしてジャケットから推察するに「Male(男性)」と「Female(女性)」なのではないかなと勝手に思っている。
まずは5thミニアルバム『5次元よりの使者(M盤)』の方から確認していきたい。
F盤と共通のメロを使用したSE扱いの楽曲、「5次元ドア-M-」からこの音源は始まる。割とストレートに「ド○えもん」を連想させるタイトルなのだが、この流れは後程F盤に活きてくる。
ドアが開いてく 頭出た出たら 目を見開いてごらん
(「5次元ドア-M-」/えんそく)
このメロの部分、かなり上手い。直接的にド○えもんから引用しているように見えないのに、「頭出た出たら」が歌唱されることにより往年のド○えもんのEDの歌詞、「頭テッカテカ」にオーバーラップする。
そのためここで開かれる「5次元ドア」が、よりひみつ道具感を増し、期待を高めていく。
なお、
「土曜日、四時限目の授業は終わり、あるはずない5次元の鐘は鳴ります。」
(「5次元ドア-M-」/えんそく)
という歌い出しの通り、やはり明確なターゲットは土曜日午前中に授業があった世代であり、えんそくというバンドの中で「土曜日の午後」が特別な時間であることがわかる。これに関しては「ブルーハーツ」や『5次元SUMMER SUITS』に触れる時にまた引き合いに出そうと思う。
また、この歌詞によって二曲目の「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」へのスムーズな引き継ぎが行われている。
「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」は、えんそくがまさに曲タイトルの行動を否定しないバンドであることが伝わる曲である。
授業が終わった放課後(おそらく土曜日の午後だ)、見慣れない少年が教室にいるのを発見した主人公はその少年に話しかける。少年は転校を繰り返しながら、見世物小屋の一座を装って旅をしながら家業の手伝いをしているという。
少年の話すお喋りの内容は、主人公にとっては信じがたいものである。99年(えんそくの描く「中二」は99年なのだ)には見世物小屋はほとんど絶滅しているし、発売前のドラクエをやったことがあるなんて言ったらクラスでは「嘘つきだ」とバカにされるからだ。
しかし主人公は少年のお喋りを否定せず、ただ受け入れる。
そんな孤独な君を
問い詰めるような野暮なことは言わないで笑い合ってあげよう
今がよけりゃ逃げてきてもいいさ
(「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」/えんそく)
だが、この調子で続く少年のお喋りを受け入れているように見える「主人公」は、実際には少しだけ少年を見下している。
受け入れることは優しさだが、主人公の少年に対する優しさは、「こんなに嘘ばっかりつかないと現実がつらくてやってられないんだろうな」という憐れみ、同情からくるものだからである。同じレベルの存在や雲の上の存在には、普通は同情などはしない。
事実2Bメロでは
ずっと独りぼっちだったと言う君の秘密暴けば
君はここからまた逃げ出して
いなくなってしまうのだろうか
(「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」/えんそく)
と、少年の話を理詰めで否定したいという「意地悪さ」が垣間見える。
主人公は、明らかに少年の話を嘘だと決めつけているのである。
だが、ラスサビで話は大きく転換する。
「話 聞いてくれてありがと 微笑んでくれたから特別!
君だけには「ボクの内緒の話」をしてあげる
ボクはある遠足の途中 肉体を捨てて
14歳の精神体のまま生きることにしたのさ
ホントは君の親でもおかしくない年齢かもだけどね
町を転々と中二を続けてる
都合の悪いこと
全部忘れてヘラヘラしてりゃ、現実世界に追いつかれる前に逃げ切って
逃げ勝っちゃったり いつか笑える日が来るかもだろ?」
(「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」/えんそく)
と、明らかに主人公にとっては「大ホラ」でしかない話をした少年に対して、その存在を肯定する人物が登場するのである。
その時 別のクラスの先生がやってきて
君の顔を見て腰を抜かすほどに驚いて
「遠足で死んだはずのアイツが返ってきた…」と呟く
君はその夜この町から消えた
(「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」/えんそく)
本当に「14歳の精神体のまま中二を繰り返している」ことが主人公に真実として受け止められた瞬間に、少年は主人公の前から姿を消す。孤独だった少年は、この瞬間に主人公からまるでつまらない日常から抜け出したヒーローや救世主のように変換されるからである。
ここでの少年のアクションは、この『5次元よりの使者』のM盤F盤両方の流れを決め、その後リリースされた『僕の宗教へようこそ~Welcome to my religion~』へとつながっていく。
「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」は、「遠足から飛び出した少年」の歌である。
三曲目に収録されているのは「飛び出すメガネ」。ライヴではAメロ2ブロック目でイイコが一斉にメガネを探す振り付けがあり、対バンの動員の度肝を抜く曲としてセットリストに組み込まれることが多い。
イントロの空間系エフェクターがバリバリに効いたギターフレーズで「超次元的存在」を表現しており、このフレーズがメガネ前とメガネ後を切り替える役割も担っている。
さて、曲の導入部分として
「彼がボクにくれたのは、かの有名な あの「グ●グリメガネ」よりも凄い
かけるだけでありえないものまでが思うがままに飛び出すと言う「飛び出すメガネ」でした。」
(「飛び出すメガネ」/えんそく)
と「物語」に組み込まれているからには、筋肉少女帯の「少年、グリグリメガネを拾う」にも少し触れておく。
筋少の「少年、~」に登場する「グリグリメガネ」は、かけるだけでそのレンズを通して視た相手の「中身」が透けて見える不思議なメガネである。憧れた少女の中身は無数の目玉、ネコの中身はバラ、サラリーマンの中はネズミ。相手の内面を抽象的な属性で可視化することが可能な、ものすごいメガネだ。
しかしこのメガネは、相手の中を覗くことは可能でも、覗いたことによる何らかの現実世界への干渉は不可能である。
だからこそ「飛び出すメガネ」は現実世界への干渉を可能にする、「グリグリメガネよりもすごいメガネ」なのである。
見知らぬ小太りの男から「飛び出すメガネ」を受け取った主人公。彼が「飛び出せ!」と念じるものは以下になる。
ノートの落書き飛び出せ!(妄想 空想 飛び出せ!)バスケ部のコーラ飛び出せ!(練習帰りに飛び出せ!)
パンから焼きそば飛び出せ!(不良のパンから飛び出せ!)つっかえた本音飛び出せ!(学校や会社を飛び出せ!)
(中略)
イキがるおっさん飛び出せ!(この信号を無視して飛び出せ!)理想の彼女も飛び出せ!(画面の中から飛び出せ!)
あの娘へ真実飛び出せ!(彼氏の本性飛び出せ!)どいつも内蔵飛び出せ!(醜く哀れに飛び出せ!)
(中略)
隠れた才能飛び出せ!(明日こそ勇気飛び出せ!)作られた枠を飛び出せ!(さぁ物語を飛び出せ!)
(「飛び出すメガネ」/えんそく)
ポイントなのが、ここで少年が「飛び出せ」と念じたものが実際には飛び出していないことである。
「さぁ貴方がこんな世界をもう見たくないと言うなら
この赤と青のフィルムを張った一見何の変哲もない、
しかし魔法のようなメガネをかけてごらんなさい。
するとどうだろう!そこはめくるめくような新世界!」
(「飛び出すメガネ」/えんそく)
小太りの男は少年にこう話して「飛び出すメガネ」を渡した訳だが、男は嘘を吐いていない。少年に渡した「飛び出すメガネ」が、「メガネを通じて見たものを飛び出させる力がある」とは一言も言っていないのである。
しかし「ものすごいメガネ」であると信じた少年は、そのメガネをかけることにより他者に干渉できると思い込む。
そして実際にその干渉は少年の予期しない形で起こり、「メガネをかけた少年自身が曲がり角から飛び出してきた原チャリに轢かれてしまう」という結果を引き起こす。
「死」やそれに匹敵する事故、大怪我というのはアセンションのきっかけになりやすい出来事であり、少年の今の鬱屈した現実から飛び出すための踏み台として、確かに「飛び出すメガネ」は機能したのだ。
「飛び出すメガネ」は、「少年が現実世界を飛び出す」歌である。
四曲目に収録されているのは「瞬間、母。」だ。過去に何度かえんそくのバンドとしてのプリプロ力の高さ、楽曲の構成の上手さに触れているが、「瞬間、母。」もまた、「こんな展開をするのか……」という、目から鱗的楽曲である。
いじめられっ子の主人公の少年。彼は「絶対食べ残すな」と消しゴムを無理やり食べさせられたり、教科書に落書きをされたり、上履きや筆箱を隠されたりしている。「奴」は、そのいじめを強要している主犯である。
しかし、「奴」はうっかり「母ちゃん」──小学生が先生のことを「ママ」と呼び間違えるように──と、少年に呼び掛けてしまったことにより、少年の中に「母性」が芽生え、少年は「彼(奴)の母」となる。
物語としては(まあこれをV系ロックとしてやるバンドはおそらく他にはいないだろうけれども)ある程度筋道が立っていなくもない……いや、結構強引だな? という感じのストーリーなのだが、この強引さが歌詞よりも曲展開の方で演出されているのがすごい。
この世界は、今まで見えなかった一面を見ることで、その姿を180℃変えることができる。だから……
(「瞬間、母。」/えんそく)
これがイントロに挿入されている語り部分である。Aメロでは少年が「彼」に受けたいじめについて歌い、Bメロではまるで讃美歌のごとく美しいコーラスを響かせながら、
もう二度と戻らないけど
廻り廻る宇宙の中で貴方を愛す時もあるでしょう
時に貴方へ母性までも芽生えるでしょう
(「瞬間、母。」/えんそく)
と、まるで「赦し」をお互いに求めるかのようなフレーズになっている。
そしてサビで「彼」が少年を「母ちゃん」と呼んだ瞬間に、世界はひっくり返る。
「かあちゃん」って 奴は突如そう呼びかけてしまった
その声が教室に響いていたその瞬間に
世界がひっくり返ったんだ
あまりに幼くって可愛らしかった「かあちゃん」て呼んだ声で
ボクに母性が目覚めた
性別も年齢も超えて ボクがほら
その瞬間、母ちゃん。
(「瞬間、母。」/えんそく)
サビでこう歌われた瞬間、まるでふたりの関係の歴史をを巻き戻したかのようなスクラッチ音が入り、1番とは異なるサウンドで演奏陣の表現する「関係が違えば捉え方が変わる」という、少年の受けたいじめの内容が2Aメロで歌われる。ただしここで変容したのは少年の意識のみなので、歌メロ自体は1番と同じである。しかも「間違えて呼んでしまったのがかわいいな」程度の意識の変革であり、実際にふたりの関係が変わったわけではない。
だから歌メロは一緒だし、少年は
絶対食べ残すなと無理やり食わされた消しゴムも
階段で投げ飛ばされできた痣のあの痛みも
奴が重ねていた「間違い」をしっかり刻み付けて
ずっと恨み続けた昨日までのボクには もう二度と戻らないだろう
変わり続ける記憶の中に置き忘れることができるでしょう
行こう 新しい世界へ
そう・・・行ける! だって気付けば母性までも芽生えたでしょ?
(「瞬間、母。」/えんそく)
と、かなり強い決意を持って「奴との関係を前向きに捉えよう」とするのである。
そのためラスサビで、少年は「物語」の中では
「かあちゃん」って 奴は突如そう呼びかけてしまった
その瞬間に気づいて 真っ赤なガキの顔をしていた
誰でも間違うことがあり 誰もがいつか子供だった
そう 彼だって!
その瞬間にボクは世界をひっくり返したんだ
まるで何度も生まれ変わり出会って来たかのように
どうしたって許せなかった今世の関係を変えて
性別も年齢も超えて ボクはその瞬間、母となり
彼は わがままで暴れん坊で最低最悪な
でも愛すべきボクの息子となった
(「瞬間、母。」/えんそく)
と「建前」を綴っている。が、この直後表記されていない語り部分で
……そう思うことにした
(「瞬間、母。」/えんそく)
と続いて楽曲は終わる。
「奴」から飛び出したのは「失言」であり、それをきっかけに「少年」からは「母性」が飛び出す。それはつまり世界の転換、ステージの上昇である。
ラストに収録されているのは「メメメント・メメモリィ」。「メメント・モリ」は「死を想え」だが、この楽曲では「思い出を想え」という意味でパロディしたタイトルとなっている。
区切りになるライヴやイベントでの終盤に位置されることが多い曲で、15周年記念公演でも第二部の、怒涛の前向きソングブロックとしかいいようのない位置へと組み込まれていた。ファン人気も高く、えんそくがずっと説き続けている「方便」の集大成と言ってもいい。
サウンドとしてはこの一曲だけ(私の耳の調子がおかしいのでなければ)少しだけアナログ盤を想起させるエフェクトがかかっており、この楽曲のテーマである「思い出を想え」を支える処理となっている。
歌詞の内容としては、「つらいことばかりだと言うならちゃんと思い出してごらん、楽しいこともあったはずだよ、楽しいことばかりだった!」と繰り返すものであり、ここにやや押し付けがましさを感じる人間もいるかもしれない。自分の人生は自分だけしかそのつらさを理解することができないからだ。
だが、これが「方便」のひとつであることを思い返してほしい。
例えば君が「産まれてこのかた楽しいことなどなかった」と言うなら
そんなのは君が後から作った事だよ
それは「確か」だ ほら ちゃんとよく思い出してごらん
(「メメメント・メメモリィ」/えんそく)
個人の育成環境によってはつまづいてしまうこの歌詞だが、えんそくがなぜこの『M盤』のラストにこの曲を配置したのか。
「嫌なコトからは逃げちゃえ!!」の14歳の姿のまま中二を続ける少年は、
楽しかったことばっかを繰り返せ
それを「逃げ」と言われたって何度でも思い出して
(「メメメント・メメモリィ」/えんそく)
と肯定され、「飛び出すメガネ」で世の中にフィルターをかけて見ていた少年は
輝く思い出 夜に咲け 楽しいことばかりだった
子供の瞳で夜を見て 眩しいものばかりだった
(「メメメント・メメモリィ」/えんそく)
と、その「メガネ」──フィルター──を外すことを勧められる。「瞬間、母。」でつらい日々を送っている少年は、
例えば「明日の良いこと」がどうしても思い描けぬ夜
孤独に「最後の時」を思う日々
「過去にすがるなよ」なんて責める人らが忘れてしまった小さな灯火で
輝き探して目を凝らせ
(「メメメント・メメモリィ」/えんそく)
という「なにかをきっかけに前向きな気持ちになれる」という励ましにより世界を反転させることに成功する。
「メメメント・メメモリィ」は本当に「楽しいことばかりだった」というあけすけに明るい楽曲ではないのである。
そうは思えない人々のために、数々のサンプルを用意し、考え方の転換点を与える楽曲なのだ。
死を想うより思い出を!
刻まれた思い出のあのメロディーを想え!
(「メメメント・メメモリィ」/えんそく)
生きていくのがつらい日々をやり過ごすのに、ふと聴いた音楽が力になることがある。だからあえてこの楽曲は底抜けに明るいメロディをしていて、前向きな言葉ばかりが連なっている。
それを本当の生きる力に変えるのは、受け取ったリスナーである。
この楽曲から飛び出したものは、「過去に起きたいいことの思い出」を振り返ることのできる、ちょっとした勇気である。
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