終わらないえんそく〜つれづれメモ17「コドナチャダルド」に見る「えんそく」の目指すベクトル〜
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さて、ここでシングルとしてリリースされた音源の中でも、ターニング・ポイントとなったものについて振り返りたい。
この記事はのちほどまとめる予定のメモだが、この17メモ目だけは先に原稿として執筆したものを掲載する(もちろんこの後加筆修正は入る)。
冊子としてまとめられた際の雰囲気をつかむ記事として参考にしてもらえれば幸いである。
2011年6月8日に7thシングル『魔夏のマッケンロー』を、2011年10月26日に8thシングル『魔冬のマルコム』を、2012年5月23日に3rdアルバム『カミュの左手カフカの右手』をリリース。Joeが加入し9thシングル『終演後のペテン』を2013年2月13日にリリースすると、ここからえんそくの音楽性のベクトルが多少変わる。
ここまでは「とにかくみんなで盛り上がれる曲を」という目的で作られたのだろうという楽曲が多い反面、「この展開をするからここにはこのフレーズが必要だ」という理論的な部分は垣間見えなかった。どちらかというと「熱量さえあれば、それがリスナーにも伝わる」という信条があったように思える。
しかし2nd 1st SINGLEと銘打たれた2013年10月2日リリースの『コドナチャダルドの日』は、まさしく別のバンドのファースト・シングルかのように音楽理論に裏打ちされたロック・ナンバーとなっている。
『コドナチャダルドの日』
1.ある日の話
2.コドナチャダルド〜人生の続編〜
3.ツンドラの暴君
4.ハロー・ゴッド・モーニング(REBORN BY SEX-ANDROID)
5.コドナチャダルド〜人生の続編〜(カラオケVer.)
このシングル一曲目の「ある日の話」を聞けば、どんなストーリーを描きたいのかというのが明確に伝わってくる。一曲目に語りがメインの曲を入れるという手法はえんそくの最重要元素である筋肉少女帯もよく行うものであるが、これは筋少が「おまけの一日」を描いた時と同じように、「人生の続編」という物語を描くにあたっての最適解と言えよう。
ここで描かれるストーリーは、「全世界で同時多発的にいい歳をした大人が幼児退行をする現象があらわれ、様々な憶測が飛んだがこれらは原因不明の奇病とされ、その罹患者はのちに固有の領土を持たない『旅する国家』を建設する」というものである。
そして表題曲の「コドナチャダルド〜人生の続編〜」でその奇病の罹患者(もしくはその奇病の詐病者)の心境を描き、「ツンドラの暴君」で『旅する国家』の暴君を描き、SEX-ANDROIDの手によってリアレンジされ生まれ変わった「ハロー・ゴッド・モーニング」で「人生は考え方さえ変えれば、自分が思うよりも簡単だ」というメッセージをまたしても届ける。二度目の「ファースト・シングル」でも、届けたい核の部分は変わっていない。
Joeの加入により音楽的に「整った」えんそくは、彼らの届けたいメッセージや楽曲への──数学で例えるなら──方程式、を手に入れた。
その方程式に則って作成された「コドナチャダルド〜人生の続編〜」のクオリティは非常に高い。
ビブラートを効かせたイントロのギター・フレーズ、口上での楽曲への引き込み、Bメロではテンポを落とし、サビを勢いよく聴かせるための前振りをする。そのサビではえんそくの持ち味であるパワー・コーラスを活かした構成で、シンプルながらもキーが変化することにより飽きることなくノらせてくれる。ギター・ソロではクラオカの得意とする「泣きのギター」が存分に聴け、えんそくというバンドの魅力がこれでもか! と詰まった一曲だ。
イイコに課せられた振り付けもパッと見は複雑ながら、実はジャンプなどその場で真似できる要素がメインであり、「コドナチャダルド〜人生の続編〜」は当時のえんそくのキメ球のひとつとしていいのではないだろうか。
この時点でえんそくは、「自分たちの行っている楽しい『えんそく』を見せつける」バンドではなく、「楽しい『えんそく』へ周囲も巻き込んでいく」スタイルのバンドへの変貌を遂げた。
次回へ続く