深読者Vol.5

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Ⅸ.新しい時代(ステージ)を祝う記念日〜<PARADOXICAL GENESIS「ANNIVERSARY」>〜

 前記事で書いたツアー<PARADOXICAL GENESIS>は2001/09/14の仙台を終わりとしたが、オーラスとして開催されたのが9/23に行われたこのライブである。
 ツアータイトルにはっきりと「ANNIVERSARY」と付け足されていることからお分かりのとおり、PIERROTが用意した「物語の転換点」としてこのライブは機能した。
 YOKOHAMA ARENAで開催され、ドキュメントを含めたVHSをファンクラブ限定で、ダイジェストを一般流通でリリース。<GENOME CONTROL>を開催した時と同じように、この神話をなぞる者に強く注意を惹きつけさせるアクションである。

 セットリストは以下の通りだ。


本編
1.ENEMY
2.DRAMATIC NEO ANNIVERSARY
3.DOMESTIC VIOLENCE
4.有害の天使
5.AGITATOR
6.Adolf
7.MASS GAME
8.ICAROSS
9.Waltz
10.Screen1.トリカゴ
11.鬼と桜
12.ゲルニカ
13.FREAKS
14.満月に照らされた最後の言葉
15.自殺の理由
16.FOLLOWER
17.ドラキュラ
18.HAKEN KREUZ
アンコール1
19.COCCON
20.ATENA
21.THE LAST CRY IN HADES(NOT GUILTY)
アンコール2
22.クリア・スカイ
23.MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜
24.蜘蛛の意図
25.DRAMATIC NEO ANNIVERSARY

 Ⅷで引用した<PARADOXICAL GENESIS>初日のセットリストと比べてもらえば分かるのだが、このライブの一曲目は「それまでの物語の振り返り」ではない。
 最初に「ENEMY」を演奏することにより、《僕C》のスタンスが《僕A》とも《僕B》とも違うことをまず観客に理解させ、その後「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」でこの数奇なる運命の「記念日」が今日であること──そして、“反旗を高らかに翻して”いくこと──を宣言する。そのまま《君》との祈りを「DOMESTIC VIOLENCE」で歌い上げ、「有害の天使」で何者かが《僕C》に示唆を与えたことを匂わせる。
 《僕C》はその後「AGITATOR』となり、「Adolf」と冠されるほど成長し、「MASS GAME」ができるほど民衆を操り──「ICAROSS」で贖罪する。それでも「Waltz」で《君》を求め続け、それを《僕C》も《CREATIVE MASTER》もどこか離れた視点から観察し続ける。

 「Waltz」の後に演奏された「Screen1.トリカゴ」は、MVにいくつかメタ的視点が折り込まれている。引用すると、

“実在していると確信をもてない「不安」”
“同様に実体の掴めない「恋愛」”
“見えない場所──もしくは次元。仮想と現実が対極ではなく同質のものだったらという仮説”
“彼は重要な事実を知っているのかもしれない”
“予め設定された「障害」”
“それを通過する上での「生態」”
“同時に存在する二つの異なった空間”
“知ろうとする欲求と知ってはいけないと感じる本能との葛藤”
“そうした事象を観察するにあたっての外殻──トリカゴ”

である。
 恋愛を匂わせる歌詞にこの文言を被せることにより、《僕C》の正体に肉薄する楽曲となった。さらにこの後演奏された「輪廻」をするターンの楽曲はやはりインディーズ時代の名曲「鬼と桜」であり、

輪廻を終えた魂には
どれだけの記憶が残っているのだろう

と、今までの「輪廻」としての転換曲とは違い、前世の記憶への疑問を投げかけている。ここでは「《僕B》は《僕A》のアクションを知っていて、《僕C》は《僕B》のアクションを知っている」という前提にすこしだけ揺らぎをかけていることが分かる。《僕C》は自分の持っている《僕A》と《僕B》の記憶すら、《CREATIVE MASTER》に植え付けられたものではないかと疑問を感じているのだ。

浄化の果てに辿りついて見たものは
虫ケラの様に交わう姿

 何度も繰り返す輪廻は性善説と性悪説が交錯したものであり、「ENEMY」からスタートしたこの<時代(ステージ)>も、《僕B》=性悪説の主人公からバトンタッチした世界線であり、それをここでは“浄化”と表現している。
 この“浄化”は=GENOME CONTROLでもある。

禁区を越えた 俺の身体が
形を変えて 生まれ変わる
水面に映る 鬼の形相
君を忘れる 桜が舞う
(以上すべて「鬼と桜」作詞:キリト)

 “禁区”とは超えてはいけないラインであり、それは《僕A》と《僕B》が到達できなかった──《CREATIVE MASTER》のいるであろう──高みであることも示唆される。

 《僕C》は「ゲルニカ」で街を焼き尽くし、「FREAKS」で<怪物=“浄化”を繰り返した自分>の悲しみを吐露し、「満月に照らされた最後の言葉」で

もう少し演じていれば
君の願いも上辺だけなら叶えてあげられた
濡れた瞳と震える肩を
感情も持たずただ眺めていた
(「満月に照らされた最後の言葉」作詞:キリト)

と、《君》への感情をぶちまける。「自殺の理由」で自ら高みに行くために転生しようとし、「FOLLOWER」に<怪物>──それはイコール<ユートピア>の救世主である──として生きていくことを押し付けられ、「ドラキュラ」で

光る首筋に背後から
口付けるように牙を向けた
振り返った君が翳した
無責任な-救世主-
振り上げた十字架を この胸に突き刺すなら
悔やみ始めた僕の 目が覚める前に

惨劇に明け暮れた 猟奇に縋る孤独を
あの人に似た君に 幕を降ろして欲しい
(「ドラキュラ」作詞:キリト)

と、<創り出されてしまった「怪物=主人公」>としての僕の終わりを、《君》に託す。
 それは「FOLLOWER」の存在する世界では異端であり、勇気のいる行動であったことがラストの「HAKEN KREUZ」で分かる。

 アンコールではこの時の新曲「COCOON」と、<次のステージ>を指し示す女神──「ATENA」──を演奏し、《僕B》とは違い自らは「無罪」であると確信にも満ちた「THE LAST CRY IN HADES(NOT GUILTY)」を演奏した。

 ダブル・アンコールではこの世界があくまで《CREATIVE MASTER》に仕組まれた「性善説と性悪説が交錯する場所」だと認識させるために「クリア・スカイ」と「MAD SKY〜」を立て続けに演奏し、「蜘蛛の意図」(これも「クリア・スカイ」にカップリングとして収録されたインディーズ時代の人気曲である)を演奏したことにより、今までよりはるかに舞台の構造が複雑であることを示唆し、最後にはこの《僕C》としての生を、今度は誰にも想像がつかないほど素晴らしく組み立てるという意思をもって「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」をもう一度演奏した。

 このライブで提示されたのは「この日が記念日になる」ということ以外に、「《僕C》も性善説の主人公《僕A》や性悪説の主人公《僕B》のように輪廻を繰り返している」ということと、「その度に《僕C》は《CREATIVE MASTER》へ反旗を翻す」ということだった。
 《僕C》が神へ宣戦布告する日であり、それは間違いなく神話上の記念日だったのだ。

 アンコール1で披露された「COCOON」は、そのタイトル曲よりもカップリングが重要だという恐るべきシングルだった。その楽曲たちをこれから分析していく。

*脳裏に咲く赤い花*

Seen1 COCOON

 このシングルは2001/11/21にリリースされ、「PIERROT初のクリスマス・ソング」という位置付けだった。
 実際キラキラとしたポップなメロディが目立つ楽曲で、歌詞も

聖なるこの夜に祝福の幻想は
叶わぬ願いまでも描いてくれるだろうか
眩く輝いた光の波に君を
闇から抜け出して 連れ去ってしまいたいけれど

とサビで歌われるように、かなりとっつきやすい印象を与える。
 しかし今までセットリストで<PARADOXICAL GENESIS「ANNIVERSARY」>のストーリーを追って行った方にはお分かりのとおり、アンコールの一曲目に演奏されたという事実からこの歌詞の“聖なるこの夜”とはライブその日のことであり、新しい時代へと進む「記念日」を指していることが理解できる。

 また、このシングルは三曲連続で聴くことでかなり強い効果をリスナーに与える。

渇いた地上に優しく救いの雨が降るまで
今はせめてそこに咲いていて

というのは《僕A》の世界線であった「クリア・スカイ」を彷彿とさせ、

白く漂う不可能の壁に邪魔されて
踏み出す事あきらめていた君が待っている景色

記憶を濡らす涙の雫を拭える日まで
今はせめてそこに咲いていて

という部分は《僕B》が「ATENA」に出会うまでの道のりを想起させる。
 ラスサビでは

聖なるこの夜に祝福の幻想が
一夜の白い雪と共に消えていくとき
眩く輝いた光の波に君を
もう迷うこともなく 連れ去ってしまえるのだろう
(以上すべて「COCOON」作詞:キリト)

と決意を歌っており、ここが《僕C》の目指す場所であることを暗示した。
 では、“そこに咲いて”いるものは一体なんなのだろうか?

Seen2 真っ赤な花

予告もなく浮かびあがる
深層意識のドグマ
震える手を見せないように
君に知られないように まだ・・・

目を閉じても浮かびあがる
絶対不変のロジック
逆らわずに流れに乗る
不条理なラブロマンス

 これは二曲目に収録されている「真っ赤な花」の歌い出しである。位置付けとしては「PARADOX」に近く、メタ視点が多分に挿入されている。
 しかしここでの「メタ」は、決して《CREATIVE MASTER》の視点ではない。輪廻──“浄化”であり、それは<GENOME CONTROL>でもある──を繰り返した《僕C》が到達した“禁区”の次元で、自らが手に入れた力、もしくは真理を《君》にはまだ伝えてはならないという自戒なのだ。

ただ肌に伝うとても小さな温もりだけをたどって
モノクロの景色に真っ赤な花びらを描こう 一ひら
ただ肌に伝うとても儚い温もりだけど これから
色褪せた景色に真っ赤な花を咲かせようか そっと

ただ肌に伝う祈りに近い温もりだけど
これからあきらめた景色に
真っ赤な花を咲かせようか もっと
(以上すべて「真っ赤な花」作詞:キリト)

 ここでの“色褪せた景色”や“モノクロの景色”とは《僕A》、《僕B》の記憶であり、彼らのステージである。《僕C》もこのままだと同じような、何度繰り返しても果てが見えない輪廻に囚われてしまうが、そこに異分子──ここではそれが「真っ赤な花」と呼ばれている──を投入することにより、そのステージすらも変えてしまおうという歌なのである。

Seen3 サルビア

 その咲かせた花は、薔薇などではなく、そのままズバリ楽曲のタイトルにもなっている「サルビア」である。
 サルビアの花言葉は「尊敬」「知恵」「家族愛」「良い家庭」などだが、これが「赤いサルビア」と限定すると花言葉が変わる。
 赤いサルビアの花言葉は、「燃える思い」。
 さらにサルビアは中世ヨーロッパで、少女たちが未来の夫を予見する力がある花だと信じていた。

 さて、歌詞である。

深く閉ざす闇にサルビアが咲き乱れて
何も言えぬ二人を静かに包んだ
凍りついた空に響き渡る鐘の音よ
絡み付く悲しみを今だけ掻き消して

 この視点、誰のものなのかお分かりいただけただろうか。
 力を持った《僕C》の視点でもなく、《CREATIVE MASTER》の視点でもない。このか弱い叫びにも似た視点は、明らかに《僕C》というアダムとつがいになる運命の《君》というイヴのものである。

─震えが止まらない静寂の中に答えを隠して─

から、ラストの

固く閉ざす闇に聞こえる微かな声は
迷いの淵で君を静かに包んだ
凍りついた空に非情な朝が巡るまで
幻覚のような夜に今だけ身を任せて
(以上すべて「サルビア」作詞:キリト)

までが唯一《僕C》の視点であり、ここでも《僕C》はこの「ふたりにとって不都合なステージが終わる」ことを示唆している。

Ⅹ.深層意識から浮かび上がるものは何か?〜<Alrequin Limited Circuit「SUBLIMINAL FLOWER」>

 2002年に入ってPIERROTが始めに起こしたアクションは、FC限定でのライヴ・サーキットであった。東名阪3ヶ所で6公演を行い、タイトルには「SUBLIMINAL FLOWER」と冠した。
 『COCOON』を聴いていたリスナーは、この時にまさに「真っ赤な花」が私たち──現実世界線の《君》たち──に刷り込まれていたことに気づいた。
 セットリストでも一曲目に「真っ赤な花」を、二曲目に「サルビア」を演奏し、《僕C》がこの世界に放り込んだ「異分子」は、深層意識の中で増殖した。
 そしてラスト2DAYSであった横浜ベイNKホール。PIERROTは新曲であり、それまでの「神話」の終わりへの最初の一歩である楽曲「壊れていくこの世界で」をアンコールで演奏する。
 それは《CREATIVE MASTER》が描いたシナリオの崩壊への序章であり、「この物語の主人公は誰だったのか?」という疑問を抱かせる楽曲だった。

Vol.6へ続く→


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