終わらないえんそく〜つれづれメモ10 箱庭、おもちゃ箱、「セカイ」〜
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えんそくの楽曲を読み解く上で、頻出するキーワードがある。
「箱庭」や「おもちゃ箱」、「セカイ」、「柵」である。
これらのワードは「この一般的に『世界』と呼ばれているものに不満があるから、それらを自分の望む『世界』と区切るために一時的に名付けた」名称であるのだが、えんそくが稀に「セカイ系」と呼ばれるのはこのワードたちによる。
そもそもセカイ系とは物語形式のひとつで、令和の現在では「すでに終わったジャンル」とされることが多い。また定義も難しく、受取り手が「これはセカイ系である」と思った段階でそうだと認定されることが多く、はっきりと「これはセカイ系である」「これは違う」と分けることのしにくいジャンルだ。
ただ、セカイ系の始まりが「新世紀エヴァンゲリオン」であり、90年代後半〜00年代前半にかけて一大ブームを起こしたジャンルで、「自分たちの納得しない『世界』に、自分たちの納得する『世界』で立ち向かう」というものが類型としてあることを踏まえれば、「えんそくはセカイ系」と言われるのも理解が及ぶかと思う。
えんそくの音源の中で、いちばんその香りを強く漂わせるのが『12モンスターズ』である。
タイトルにあるようにマーチ風のSEで始まり、ポップな悪夢のような表題曲、ハードなミクスチャー・ナンバーが収録されているこの音源は、えんそくが当時綴っていた複数の物語の主旋律であり、なおかつ「総統閣下の物語」の副旋律でもある。
星座が煌めくかのようなオルゴールの旋律で始まる「Sweet Nightmare March」。表題の「12モンスターズ」━━<怪物達>━━が、「甘い悪夢」からやってきたものだということをここで明示する。
その「12モンスターズ」だが、頭にサビを持ってきて、Bメロ部分はミクスチャー感の強いまさにおもちゃ箱を思わせる、一聴すると楽しい楽曲となっている。
しかしこの楽曲は、現状の世界に納得していない少女たちを叩き起こすアラームなのである。
歌だけ聞けば「ボクが空見上げながら 夢に見ていた 落ちて来なかった星に代わり さあ<12モンスターズ>暴れ出して!」とヒアリングできる頭サビの部分は、ぶうの綴る物語(歌詞カード)ではこう表記されている。
ボクが夏空見上げながら夢に見ていた
落ちて来なかった星に代わり
さあ怪物達よ暴れ出して!
(「12モンスターズ」/えんそく)
「夏空」。
つまりこれは、1999年のあの夏の日、世界が終わらなかったことを歌っているのだ。
そして、その終わらなかった「世界」を、えんそくの描く世界では「終わらせる」という宣言なのだ。
実際に「世界を終わらせる」ということは、どういうことなのだろう。
まさか本当に一介のバンドマンが天変地異を起こしたり大災害を呼び起こしたりできるわけはない。核ミサイルの発射ボタンも近寄ることすらできないだろう。
ここで、ぶうがよく使う方便が思い浮かぶ。
そしてその方便は、もちろんこの「12モンスターズ」の中でもしっかりと挿入されている。
君がどうしょうもないこと どうにもならずに
どうしても泣いちゃう そんな夜には
街にやってくる奴等の姿を思い描いてごらん
星座の物語のように荒唐無稽な怪物達を
奴等を解き放っているのはもちろんボクラさ
どうせこの世界では
いくら泣き叫んでも助けなんて来ない
おせっかいな正義の味方なんていない
だからねぇ
本当はボクラのやりたい放題なんだ
(「12モンスターズ」/えんそく)
実際にはここは語りパートとなっていて、複数の人物がこれらをセリフとして分けて発言する、この物語の肝の部分だ。
複数の登場人物が現実に疲れて怪物達を想像する瞬間。それはまるでアカシックレコードのように、同時多発的に「世界」への反逆を記録する。
ぶうは常に「自分の考え方次第で世界は変わる」と説く。
つまり、世界の終わりを呼び起こすものは一介のバンドマンの力による介入ではなく、「世界が終わればいいのに」と願う人間がそれを思った次の瞬間に、考え方を切り替えるというアクションである。
えんそくは常にマイノリティの味方だ。それはつまり、「悪役」であるということでもある。
世界が崩壊する時、そこに正義の味方は存在しない。正義の味方がいるのだとすれば、その世界の終わりを願う人間もまた存在しないからだ。
だから、この圧倒的に正しい「多数派の世界」の終わりを願うときに寄り添うのは、「少数派の世界」を代表する存在である。
つまり、現状の世界に納得していないハミ出し者の代表。
あの頃ボクラが空を見上げながら待ってた
「落ちてこなかった希望」に代わり
君が「どうしても無理」と目を瞑った夜に
悪の怪物達は「全部壊してあげる」と出てきて
アタリマエに何も見えなくなっちゃう前に
「ほら すぐ傍で見てな」って君をさらうぜ!
(「12モンスターズ」/えんそく)
「落ちてこなかった希望」とは、降臨しなかった「アンゴルモアの大王」のことであり、「自分の納得しない世界を強制的に終わらせてくれる存在」である。それは1999年以降の夏を生きているマイノリティの誰しもが思っている存在であり、決して「あの7の月に世界が終わることを願っていた人間」のみが望む存在ではない。
そしてえんそくは、その「希望」を「総統閣下」というキャラクタに仮託した。
箱から出ない「壊れたセカイ」は
ぐちゃぐちゃにしてオモチャにして遊んであげる
「食べちゃダメ!」って言われてたって
さぁ 噛み砕いて 何でも組み換えてしまえ
(中略)
俺はなんだってする相当な悪さ
なんたって総統閣下
「ワケわかんないからダメ」って言う奴は
じゃあアリモノで死ぬまで満足してな
さぁボクラは「見たことない化け物」を創るぞ!
俺の名はイルキメラキッドa.k.aイルザリリシスト
(「イルキメラ・キッド」/えんそく)
甘い悪夢から飛び出した怪物達は、この正しい世界を「壊れたセカイ」とし、組み換える。
それは善と悪がひっくり返ることであり、多数派が少数派になることであり、明と暗が入れ替わるということだ。
私たちがもがく、リアルで苦痛に満ちた世界をえんそくははっきりとここで「壊れたセカイ」だと明言し、これまでこの「リアル」こそが正しいとしされてきた「私たち個人の人生」の中で、考えを━━そして物語の中での━━反転を行う。
自分たちの納得する世界こそが、正しい世界なのだと。
箱から出ない「壊れたセカイ」を
ぐちゃぐちゃにしてオモチャにして遊んであげる
食べちゃダメって言われてたって
噛み砕いて組み換えてずっと遊んであげるから
こんな「セカイ」ずっともて遊んでやらぁ
(「イルキメラ・キッド」/えんそく)
ここで「箱から出ない」と言われているのは、決められた枠組みの中でしか生きられない、少数派から見た多数派の存在のことであり、この歌詞はすでにハミ出した私たちを肯定する力強い宣言だ。
以後総統閣下の物語が一度終焉した後も、えんそくはその「納得しない世界を強制的に終わらせる存在」を常に示し、えんそくというバンド本体と重ねてきた。
何度も「考え方によって世界は変わる」と説き続け、私たちの存在する「柵」の反対側にいる人間は損をしているのだと、ハミ出しても構わないのだと、ハミ出してしまったのならば一緒に遊び続けようと、声をかけ続けてきた。
確かにセカイ系は終わったジャンルかもしれない。
しかし、世紀末以後も「新世紀エヴァンゲリオン」は新作を発表し、「納得しない世界にいかに立ち向かうか」の答えを、その瞬間の回答として出した。
そしてえんそくもまた、物語を綴り続けることにより「この世界からハミ出した者への応援」を続けているのである。
セカイ系は終わったジャンルではなく、すでにジャンルとして区分される必要のないほど、この「世界」を生き抜く私たちの中に「神話」として定着しているのかもしれない。
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