深読者Vol.4

Vol.3はこちら

前置き

 前回までの記事を読んでくださった方ありがとうございます。高校の時の私の魂が半分くらい成仏しました。
 さて、元になっている文章は全てVol.3までで使い切り、もう残っておりません。
 しかし先日、『「BIRTHDAY」まで読んでみたい』という感想をTwitterで見かけまして(ありがとうございます)、もう少しだけ続きを書いてみたいと思います。
 PIERROTの描いた神話は3rdアルバムの『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』で完結を迎えるという発言をキリトがしており、私自身も当時そこまでは書こうと思っていました。
 歌詞とリリースとツアータイトル、そして判明している分のセットリストでしか追っていくことは出来ませんが、これから先は『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』のリリースを含めた「神話の完成、そしてその後の崩壊まで」をざっと新規で追っていこうと思います。
 現在の解釈が多分に含まれてしまいますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

Ⅷ.逆説の世紀に紡がれた「表裏一体」の存在の心情〜ツアー<PARADOXICAL GENESIS>

 PIERROTが今まで常に相反する二面が交差させながら物語を紡いできたことはお分かりいただけたかと思う。
 渋谷タワーレコードのみで販売されたインディーズ流通の一万枚限定シングル「PARADOX」をリリースした後に2001/07/17から始まったツアー<PARADOXICAL GENESIS>。直訳すると<逆説的な発生>となるが、ここでの<GENESIS>は=<創世記>のことでもあり、イコール「PIERROTが描いてきた神話の軌跡が、どのように発生しそれを繰り返したのか」という証明でもあった。
 結論を言うと、このツアーの目的はセットリストで神話の現在の状況について訴える、というものになる。

 ここでツアー初日であった武道館公演のセットリストを引用しておきたい。

本編
1.FINALE
2.MAD SKY -鋼鉄の救世主-
3.ENEMY
4.MAGNET HOLIC
5.AGITATOR
6.MASS GAME
7.ICAROSS
8.CREATURE
9.Adolf
10.Waltz
11.SACRED
12.ゲルニカ
13.Newborn Baby
14.自殺の理由
15.PARADOX
16.FOLLOWER

アンコール
17.DRAMATIC NEO ANNIVERSARY
18.クリア・スカイ
19.CHILD
20.満月に照らされた最後の言葉
21.HAKEN KREUZ

 このツアー<PARADOXICAL GENESIS>では他に「FINALE」で始まったセットリストは存在しない。つまりこの最初の一曲がこのツアーでの非常に重要な役割を果たしていたと言えよう。

薄笑みを浮かべた支配者は自らのシナリオ通り
破滅へとたどったステージのフィナーレに酔いしれていた
(「FINALE」作詞:キリト)

 いちばん最初に「FINALE」を持ってくることにより、「ここからまた主人公が変わるのだ」「ここから新しい《僕》の人生が始まるのだ」という意識の切り替えを強制的にさせている。さらにこの楽曲は

流れ出す涙は本当の僕の気持ちを隠しながら

君に捧げる次の舞台の物語を描こうか
二人に似せた「アダムとイヴ」の足どりに胸躍らせ

晴れた空と燃える空で終わりなく求めあう
この二人はやがていつか出逢えると信じている…
(「FINALE」作詞:キリト)

というフレーズがあり、うっすらと《CREATIVE MASTER》の心情を察せさせるものになっている。
 ということは、このツアーが「FINALE」から始まることにより、ここから歩む《僕》の足取りに対し、「逆説的な発生」というツアータイトルの意味による「《僕》たちの始まりの物語」という証明と、「逆説的な創世記」という意味でのツアータイトルだった場合に生じる「《CREATIVE MASTER》はこの物語たちにどういった気持ちを抱いているのか?」「むしろ、《僕》=《CREATIVE MASTER》なのではないか?」という疑問両方を提示しているのである。

 《僕A》が性善説の体現者であり《僕B》が性悪説の体現者だという話は以前持ち出した。「PARADOX」というシングルをリリースすることにより、その両面がひとつの存在の中では入れ替わり、善に傾くのか悪に傾くのかという<選択>は自分がしたものかすらわからなくなる、「主体」と「客体」は常に入れ替わるという話もした。
 ということは必然、ここから《CREATIVE MASTER》によって生み出されその生を繰り返していく主人公は《僕A》の側面も《僕B》の側面も持っており、いままでの《僕》として描かれないことが理解できる。

 便宜的にこれから先『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』収録の「BIRTHDAY」までは、主人公=《僕C》として話を進める。
 よって、どのポイントで主人公である《僕》が明確に《僕C》となったのかを確認しよう。

 《僕B》の物語は「THE LAST CRY IN HADES(NOT GUILTY)」で一度幕をおろしたが、《僕》の物語は「PARADOX」という《CREATIVE MASTER》の視点が挿入され、もう一度「FINALE」によって幕があいた。
 先ほど引用したセットリストで歌詞を追っていって欲しいのだが、この物語上の《僕》は2曲目の「MAD SKY〜」ですでに権力を持った存在として生まれ、3曲目の「ENEMY」で<反逆>し、4曲目の「MAGNET〜」で《君》と再会する。
 5曲目で再び権力を持った「AGITATOR」として降臨し、6曲目の「MASS GAME」で人々を操る存在になり、7曲目の「ICAROSS」で自らの罪に焼かれて生を終える。
 しかし8曲目の「CREATURE」で再び力を持った怪物として誕生し、9曲目の「Adolf」(ご存知の通りアドルフ・ヒトラーから取られたタイトルで、インディーズ時代のPIERROTの代表曲と言ってもいい)で再び独裁者ほどの権力を持ち、10曲目の「Waltz」で《君》とまたしても再会を果たし、そのあまりに一方的な思いが引き起こした結果に11曲目の「SACRED」で懺悔し、自分に嫌悪して12曲目の「ゲルニカ」ですべてと心中しようとする。
 13曲目に置かれた「Newborn Baby」で、《僕》はあくまでもこの世界(「性悪説」のステージ)から逃れられないことを理解し、14曲目の「自殺の理由」で世界(ステージあるいはユートピア)から逃げ出そうとあがく。
 15曲目の「PARADOX」で「主人公」であるはずの《僕》は、「主体」と「客体」が入れ替わり、まるで自分が独裁者のように君臨していた世界を牽引していたのは「FOLLOWER」──本編ラストの楽曲である──であることに気づいてしまう。
 それに気づいたのは《僕》だけではなく、ライヴを観ていた私たちピエラー(=《君》)でもあった。

 アンコールでは新曲である「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」が演奏され、この日が新しい《僕》の物語が始まる、まさに「劇的な記念日」であることを示した。そう、まさにここで《僕》の物語は何度も繰り返された(そして省略された)《僕A》や《僕B》の物語ではなく、《僕C》の物語に転換されるのだ。
 18曲目には「クリア・スカイ」で

壊れていくこの世界で 迷わず待っていて
二人決めた 約束のあの場所で
灼熱のアスファルトに 倒れて抱き合って
そう 焼けたまま寄り添いながら眠ろう
(「クリア・スカイ」作詞:キリト)

と歌い、19曲目は『FINALE』の中で《僕A》の歩んだ軌跡の終わりであった「CHILD」を置き、20曲目ではインディーズ時代からの人気曲「満月に照らされた最後の言葉」で

道化師が指差した方角を歩いている
行先きは彼のみぞ知る
抱く程駄目になる事まで解っていた
満月が照らす

もう少し演じていれば
君の願いも上辺だけなら叶えてあげられた
濡れた瞳と震える肩を
感情も持たずただ眺めていた
(「満月に照らされた最後の言葉」作詞:キリト)

と、「あくまでこの物語は作為的である」と匂わせた。
 そうして演奏されたラストの「HAKEN KREUZ」はPIERROT指折りの人気曲であり、またシングル『神経がワレル暑い夜』に「*自主規制」というタイトルで収録された──つまり「分岐点」であったシングルに放り込まれた異存在のメタ的視点の──楽曲。どんな楽曲かはタイトル通りとしか言いようがない。

不気味に光る瞳に映る 洗脳された×××の群れ
思想を持たぬ廃人達に 独裁者は笑み浮かべ
悪意に満ちた教育を受け 全てを信じ成人になる
貴方の住む世界は 汚れの無い満たされた場所ですか?
出来れば触れてみたい まだ見ぬ貴方の白い手の平に

常識に問いかける 紙一重の今は不安で
時折天を仰ぐ 迷いの中「今」はこのまま
(以上すべて「HAKEN KREUZ」作詞:キリト)

 「鉤十字」が象徴するナチスドイツのイメージを発端に、選民思想やそこから逃れたい人間の葛藤を描いた歌詞であり、この曲単体ではそこまで深い意味は存在しない。
 しかしこのライヴのこの位置に「HAKEN KREUZ」が置かれると、この楽曲は《僕C》がこれから歩んでいく数奇な運命を暗示しているものへと変化する。

 こうして追っていくと本編は《僕B》、アンコールはその正反対の性質の《僕A》のものとも言える楽曲が並べられ、その中でもアンコールの最初と最後にはまるで《CREATIVE MASTER》の視点とも言うべき、メタの視点が垣間見える。

 このツアー<PARADOXICAL GENESIS>は視点が複数入れ替わることにより、我々は性善説と性悪説、どちらを基盤にこの物語を読み解いていけばいいか混乱するトリックだった。しかも「善と悪どちらを選ぶのかは自分自身」であり、なおかつ「PARADOX」が存在したことにより「<選択>したのは自分の意思だけではないかもしれない」という自覚を持たせる仕掛けでもあったことが同時に突きつけられる。
 常にリスナーを<選択>する立場に置くことにより、これからのPIERROTがどういった神話を描くのか、俄然その期待は高まった。

 このツアー<PARADOXICAL GENESIS>で重要な役割を果たしたのが2001/8/29にリリースされ、ツアーのすべてで演奏された新曲の「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」だ。次の項でその役割について分析していく。

*遺伝子が描いた新時代の幕開け*

Seen1 「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」

 この時の最新曲である「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」。直訳すると「劇的な新しい記念日」となるが、頭文字をとると「DNA」──「デオキシリボ核酸」、つまりそのものズバリ「遺伝子の情報」──になってしまう。
 《僕C》という新しい主人公が物語を歩み出す記念日であり、私たちが<選択>をする記念日であり、それは仕組まれたものだと匂わせる──なにせ私たちは「GENOME CONTROL」されている──楽曲だ。
 歌詞もまさにそのままの意味で、

化学変化を繰り返して
かなり歪んだ僕の道徳は
切なくなるほど 君を求めてる

加速は限界を超えて
溢れ出したアドレナリンの海
歴史が今から始まろうとしている

というかなりメタフィクションを匂わせる内容だ。《僕C》は自身が《CREATIVE MASTER》に操作されている──化学変化を繰り返している──ことを自認しており、さらに自分の道徳が“かなり歪ん”でいることも知っている。しかしこの前のターンで《僕》たちは「GENOME CONTROL」されているため、もはやプログラムのように“切なくなるほど 君を求め”ることをやめられない。
 そうして新しい歴史──「PARADOX」で言うところの“ヒストリー”であり、《僕A》と《僕B》が紡いできた神話の続きでもある──をこれから積み重ねることを、宣言した。

 《僕C》が今までの主人公たち(《僕A》と《僕B》)と歴然と違うのは、自らが「両面性を持っている」ということを知っている点だ。さらに言うと『PRAIVATE ENEMY』の世界で《僕B》が『FINALE』の中で《僕A》の起こしたアクションを知っていたように、《僕C》も《僕A》と《僕B》の起こした今までのアクションを認知している。
 だからこそ、サビで歌われる

ダイナミックな未来を君に見せてあげよう
歓喜の期待を身にまとって微笑んで
ダイレクトな世界をこれから創り出そう
反旗を高らかに翻して新しい時代(ステージ)へと
(以上すべて「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」作詞:キリト)

という歌詞は、《僕C》が「性善説」でも「性悪説」でもない性質の主人公である裏付けであり、なおかつ《僕C》の進む道の終わりがバッドエンドにはならないという示唆でもある。

 私たち(=《君》)を新しいステージへ連れていくことをPIERROTが約束した楽曲は、今までに3曲存在する。
 ひとつ目はメジャー2ndシングルである「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」であり、これをきっかけにPIERROTは「世界が両方の側面でできていること(1stシングル「クリア・スカイ」と2ndシングル「MAD SKY〜」での対比、3rdシングル「ハルカ…/カナタヘ…」の誕生に対する感情)」と「輪廻は繰り返すこと(4rhシングル「ラストレター」)」を提示して、性善説の《僕A》が歩む物語の舞台である『FINALE』へと連れていった。
 ふたつ目は『FINALE』のラストナンバーとして収録されている「Newborn Baby」で、“やがて塗り替えていく舞台(ステージ)を睨みつけた”という歌詞が出てくる。
 そこで登場したステージは、《僕B》が歩んだ物語の舞台である『PRIVATE ENEMY』である。このアルバムの中に収録された「ATENA」では、“理解不能の向こう側へ”いくことをはっきりと歌っている。これがみっつ目の「新しいステージ」である。

 PIERROTはステージを新しくするたびにそれを私たちにまず説明し、そこにきたのだと説明する楽曲をその次にリリースすることがお分かりいただけたと思う。
 ということは、「ATENA」の中で《僕B》が示した「理解不能の向こう側」が《僕C》の歩むこれからのステージであり、《僕C》はそのことを知っていて──《僕A》が「CHILD」で性善説の舞台が終わることを告げた後に「Newborn Baby」こと《僕B》が新しい舞台を睨み付けるように──その上でその軌跡は“ダイナミック”かつ“ダイレクト”であり、“歓喜の期待”に満ちたものであるという予言をしているのだ。
 この「《A》の世界が終わる時《B》はすでにその世界に存在しており、なおかつ《B》は《A》の歩んだ道を知っている」、そして「《B》は自分の世界を歩む前に《A》の世界での価値観を一度振り返る」ということを前提にする。
 まるで遺伝子の二重螺旋のように交錯し、舞台は転換し続ける。その交差点が《僕》が新しく誕生する瞬間だ。
 それは「MOTHER seenⅡ」であり、「CHILD」であり、「Newborn Baby」であり、「CREATURE」であり「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」である。それが読み取れるように、今までの神話上では描かれていた。
 そうすると《僕B》が《君》から生まれた<怪物>であることも(「Newborn Baby」=「CREATURE」は「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」で《君》から産まれている)必然前提にしなければならなくなり、「《僕C》はどこから生まれたのか?」という疑問が生じることになる。
 それについてはこの先で述べることにする。

Seen2 「DOMESTIC VIOLENCE」

 カップリングとして、これ以上直接的なタイトルは存在しないかもしれない。ドメスティックバイオレンス──もはや単語の訳を置かなくても誰しもがどういった英単語なのかを理解できる、日本語として定着した言葉と言ってもいい──「家庭や国家など特定の単位の集団の中での暴力」という曲名だ。

 一応の説明として補足しておくが、当時は「家庭内暴力」という社会問題が深刻になった頃であり、そういった一種プライベートな、さらに異性的な関係が絡んだ話題をタイトルに持ってくるということは斬新な行為だった。
 あまりに社会問題として有名になりすぎたため、どうしてもこの単語をみると「家庭内暴力」と訳してしまいたくなるが、本来「ドメスティック」とは「国家の」という意味であり、過去に『–CREATURES–』を<怪物>と<神の創造物>とダブルミーニングしたように、またしてもPIERROTが複数の意味を込めて命名したことは想像に難くない。

 前項で「《僕C》はどこから誕生したのか」という疑問を提示したが、「性善説」でもあり「性悪説」でもあり、私たち(《君》)の選択の結果誕生した彼は、このリアルな世相から生まれたと言っていいだろう。
 《僕A》が存在した善きものだけで構成された場所でもなく、「GENOME CONTROL」で作り出された《僕B》の住んでいる性悪説の<ユートピア>でもなく、その両面があるこの「現代」とまったく同じ価値観の世界である。
 よって《僕C》は、私たちの息子とも言える。

さあ、戸惑わずに見つめて皮肉な現実を

 という歌い出しで始まるように、まずはこの“新しいステージ”が皮肉にも、「性善説」でも「性悪説」でもない混沌とした──そして「神話」というファンタジーからはかけはなれた──“現実”であることをリスナーは受け入れなければならなかった。
 タイトルには「暴力」とある訳だから、両面性が《僕C》の中には存在すると言われても、この段階ではまだ「性善説」と「性悪説」の割合は見えてこない。やや「性悪説」の方が強いのだろうか、といったレベルである。
 しかしそのパーセンテージというものはリアルな人間でも測定できるものではなく、ここから『HEAVEN〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』のリリースまでに、《僕C》がどういった存在かと言うものは「点」では表されるものの、「全体像」としては見えてこない構図になっている。

さあ、戸惑わずに捧げて皮肉な連続を

というメタ視点や

これでお別れをしたなら明日また生きて会えるの?

という《君》の視点(そして“誕生と消滅を繰り返”す《僕》の視点)、

だからそう、そばにいて
押さえがきかないこの身体を静かに抱きしめて
「こんなにも祈っている」
何も変わらない
この日常が少しでも続くように…
(以上すべて「DOMESTIC VIOLENCE」作詞:キリト)

という《僕C》と《君》両方の祈りの視点が挿入され、ますます神話は混乱の度合いを深めていく。

Seen3 有害の天使

 「PARADOX」で提示された条件に、「《A》の性質と《B》の性質が交錯してこの物語は進んでいく」というものがある。
 実際このシングルでは「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」で外部に対し“新しい時代(ステージ)へ”と連れていくことを宣言し、外面の《僕C》が映し出された。そして「DOMESTIC VIOLENCE」では《僕C》と《君》の本心の祈りが歌詞に挿入され、内面の《僕C》を表現したものになっている。

 ではこの「有害の天使」は一体どのような役割を果たしていたのか。

貴方が素晴らしい恋に
目覚めて報われる為に
ただ一つ不必要なモノ
それはね、汚れた肉体
貴方が素晴らしい夢を
その手につかみ取る為に
ただ一つ不必要なモノ
それはね、汚れた肉体

 このAメロ部分で繰り返される「ただ一つ不必要なモノ」のフレーズ。
 不必要だと言われているもの自体は「汚れた肉体(いれもの)」だと、同じことを言っている。
 しかしその「肉体」を捨てさせるための前提が、“素晴らしい恋”と“素晴らしい夢”と、微妙にニュアンスが違う。
 つまりこれは同一人物に同じような説得を繰り返しているのではなく、それぞれ別の人物に方便を使っていると考えた方がいい。
 そうやって考えていくと、“素晴らしい”何かに目覚めたがっているのは《僕A》と《僕B》に思えてこないだろうか?
 だとするとこの楽曲は《CREATIVE MASTER》の視点が多分に挿入されていることになる。

 サビではこのようなフレーズが出てくる。

「二人が混ざりあう為には
タブーを犯さなければならない?」
目を閉じて 本能で 生き急いで
「正義を踏みつける為には
タブーを犯さなければならない?」
目を閉じて 本能で 選び取って
(以上すべて「有害の天使」作詞:キリト)

 さて、この記事ではあらすじのように振り返ってばかりで恐縮だが、《僕A》と《僕B》についてもう一度振り返りたい。

 《僕A》は『FINALE』収録の「ECO=System」で

バランスのとれた共存の仕組みで
君に触れることはもう出来ない
見えない鎖を断ち切るその時
過ち犯す覚悟を決めたけど
(「ECO=System」作詞:キリト)

と歌い、次の収録曲である「MAGNET HOLIC」で

プラスとマイナスの
配列が変換されるその度に
刺激を受けてしまう[ココ]は
もしかしたらイカレちまったかも

モニター越しに出逢った君は
千年前より何倍も綺麗さ
少しは僕もあの時代より
いくらか出来ることが増えているよ
モニター越しに積もり積もった
思い出話を語り明かそう
君に話しておきたいことがあるよ
だから落ち着いて聞いていて
(「MAGNET HOLIC」作詞:キリト)

と歌った。そして「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」で

大地を蹴る 鋼鉄の救世主は思うままに人の群れを動揺させる
隔離された 箱庭の楽園で愛し合おう次の答えが見えるまで…
(「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」作詞:キリト)

と力を手に入れ、それを行使したシーンを描いた。
 ここから「SACRED」で力の行使により《君》を失い、「ICAROSS」で懺悔し、輪廻を繰り返しながら《CREATIVE MASTER》が諦めるまで、「性善説の自分」のままで生きていくことを選びとる。

 一方《僕B》は忌み子として「THE FIRST CRY IN HADES(GUILTY)」で誕生し、「CREATURE」として育てられ、「ENEMY」で《CREATIVE MASTER》にも脅威と言える存在に成長し、「MASS GAME」で民衆を操れるほどの「AGITATOR」に成長し、《君》へようやく自分が《僕》であると告げる。
 しかしその「不謹慎な恋」では

ハチキレそうなこの想いは誰にも邪魔できない
LaLaLaLaLaLa
小指を繋ぐ赤い糸が見えるのは僕だけ?

グロテスクな恋をこれから始めませんか
貴方はただ寝てるだけでいいのです
踏み越えればあっという間に楽になれるでしょう
たとえ二度と戻れなかろうと
(「不謹慎な恋」作詞:キリト)

と、のちへ繋がる《君》(=MOTHER)への大罪を犯してしまう。
 「Waltz」で逃げる《君》を追い詰め、「パウダースノウ」で贖罪を誓い、「ゲルニカ」でその身を世界ごと燃やし尽くす。
 しかしユートピアの住人(「FOLLOWER」)によって「力を行使する者」という立場にもう一度祭り上げられ、それは「FREAKS」の自意識となって自らを苛む。
 この世界では《僕》と《君》が祝福されるものではないと気づいた《僕B》は、

もうすぐさ骨組みの透けたエルドラド
聞こえるかい? 転生を祝う鐘の音が

半信半疑の君を抱き寄せ 理解不能の向こう側へ

研ぎ澄ませて異常なスタイル
吹き抜ける非難の風をうけて

どんな姿に染まろうとも
君だけがここにいればいい
(「ATENA」作詞:キリト)

と、“禁断のカプセル”を飲むことによって《君》とふたりで、このステージの脱出をはかる。そのゆく先は“理解不能の向こう側”であり、《僕》と《君》がどんなかたちで存在していてもふたりを“祝う鐘の音が”響く場所であり──「DRAMATIC NEO ANNIVERSARY」で提示された──「新しい時代(ステージ)」なのだ。

 今までの物語の中で、《僕》たちはこのままでは《君》と望んだ未来へと進めないことを理解している。
 そこで囁くのがこの「有害の天使」なのだ。
 肉体を捨てることを唆し、タブーを犯すことを唆し、そうすれば《僕》たちは幸せになれるのだと耳打ちする。
 その<選択>はもはや“本能で選び取”るものであり、それは《CREATIVE MASTER》自身が組み込んだプログラムとは違うものに変容しているかもしれないという期待をこめた内容なのである。

 《僕A》に過ちを犯させ、[ココ]がいかれてしまったかのように彼自身を作り替えた存在と、《僕B》に禁断のカプセルを飲ませるきっかけとなった

髪を振り乱し 奇形の常識を踏みつぶす破壊の女神
至福の吐息で 邪魔な迷いを跡形もなく吹き消してくれた
(「ATENA」作詞:キリト)

の女神は、この「有害の天使」と同一の存在だと──つまり《CREATIVE MASTER》の意志をほのめかす存在だと──読み取れるのである。

Vol5へ続く→

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