『あなたは良い人ね』


 カレーを作り終えた私は、少女が起きるのを待ちながら友人の言葉を思い出していた。
 
『意味ないって。あの子はもう詰んでるよ』
 
 「人助けに正解も間違いもないわ」

 一抹の不安を覆い隠すように呟いた。
 この子はシンデレラのようになりたいと言った。元奴隷は多くの苦労をするだろう。元奴隷を信用する人は少ない。でも、いない訳じゃない。将来への希望をもつこの子ならば……。
 あと数年もすれば、元の世界に帰る方法も見つかるはずだ。その時、この少女に会いに戻ろう。まだ沢山の友達はいないかもしれない。でも、心から信頼できる友達が数人はできて、きっと、笑顔で再会できるはずだ。
 
「ここは……?」
 
 元奴隷の少女は目を覚ました。名前のない奴隷から少女になったこの子の、新しい人生が始まるのだ。
 
「お腹空いたでしょ?取り敢えずご飯食べよっか」
 
 今は夜の八時。彼女が元居た奴隷商、あそこの奴隷は夜ご飯しか食べれない。栄養不足では何もできない、多少強引でも今日からは三食とらせよう。
 私は中途半端に助けるつもりなんてない。それは友人に言われたからではなく、もともと決めていたことだ。今日から一週間は共に暮らす。
 すべての奴隷を救うことはできなかった。私にそんな力はなかった。だからせめて、この子一人は助けたい。
 
「……」
 
 少し薄味の甘いカレーにしておいてよかった。栄養があって、弱ったからだに優しくて、流し込みやすいカレーだ。喉に詰まらせる心配もないだろう。
 
「おかわりはいっぱいあるからね」
 
 食べ終わったら今後の話をしなきゃいけない。この世界の人たちも学校に行く。貴族と平民、階級の差があり、それぞれ専用の学校に通う。
明日からこの子は平民向けの学校に通う。編入の手続きも済ませた。勉強についていくのは大変かもしれないが、きっと大丈夫。学校の子や教師たちが信頼できる人であることは確認済みだ。
 
「おいしかった……です……」
 
「お粗末様です」
 
 食器を片付けて向き合うように座った。
 
「ここは私の借りている宿。これからの話をするね」
 
 もちろん、恵子の話は省いた。嫌なことをいう人だと思ってはいたけど、まさかあんな酷いことをいう人だとは思わなかった。
 
 少女はかすれた声で言う。
 
「学校に通わなきゃいけないの……?」
 
「大丈夫。私も一緒だし、勉強だって努力すれば追いつけるよ!」
 
「でも、だって……苦しいよ……」
 
 少女は必死に言葉を探し、泣きそうになりながら言う。
 
「私は しんでれらになりたかったの。これなら奴隷のままでよかった……」
 
 少女はそう呟くと扉の方へ歩いて行く。
 
「待って!」
 
 足を止めて振り向いた少女は最後の希望に縋る。
 
「それなら、お姉さんがずっと一緒にいてくれるの?」
 
「……」
 
 無理だ。私は元の世界に帰らなければいけない。向こうに残してきた人がいる。この世界でずっと暮らすつもりはない。
 
 私が肯定できないことを理解した少女は私に背を向けると、扉を開けて出て行った。
 私は追いかけることができなかった。
 
 
 数日経って、最近多発していた窃盗の犯人が成敗されたという噂を聞いた。どうやら下町へ遊びにきていた貴族の持ち物を盗もうとしたらしく、その場で首を飛ばされたそうだ。
 
「わざわざ女の子あいてに殺すことないわよねぇ。これだから貴族様は……。それより聞いて、うちの旦那が今朝からねぇ……」
 
 というのが仲良くしているおばさんの話。
 
 
 私は恵子に奴隷を保護したと伝えたときのことを思い出していた。
 
『あなたはいい人ね。人間みんなが努力できると思ってる。明るい未来を信じて、それに向かって突き進めると思ってる。どうしようもないやつなんてこの世界にいないと思ってる。
あの子は悲劇のヒロインなの。どうあがいても幸せになれないから努力をせずにすんでいたの。したくてもできないんじゃない。したくないから、しないですむ現状に甘んじていたのよ』
 
 せっかくあの子を自由の身にしたタイミングで何てことを言うんだこいつは。
 
『でも、「シンデレラみたいになりたいって」あの子が……』
 
『それこそ、一から十まで助けてもらえる可憐なお姫様を羨んでるだけよ。自分の力で成り上がろうとする人間は“可憐なお姫様”に憧れはしない。大体、今から学校に行って何になるの? 他の子の劣化互換。十二にもなってあんな世間知らず、学校にいって大恥かいて、手に入れる対価がそれ? バカみたいね』
 
 慌てて否定の言葉を口にしようとして……
 
『でも、そんなこと……』
 
 続く言葉は口からでてこなくて……。
 恵子は”物分かりの悪い子供”でも見るように、呆れた顔で下を向くと「はぁー」と溜息をこぼす。そして、元居た世界から持ってきた最後のタバコに魔法で火をつけて口に咥えた。
 
『事実よ。今回の救出劇に意味はないの。あの子はもう詰んでるのよ。もしかして、あの子が何か特別だと思ってるの? どこにでもいるわよ。あんな子。こっちにだって、向こうにだって。くたびれたサラリーマンとかやる気のない大学生とか。もう少し努力すれば何か変わるかもしれないのに、環境のせい、周りのせいって何もしないでいい理由ばっか探してる。そんな人間にチャンスが巡ってきて、モノにできるわけないじゃない。』
 
 今思えば、この件において、恵子にとって私はただの”物分かりの悪い子供”だったのだろう。
 
『あなたも無駄な仕事、ご苦労様。わざわざ時間、金、それから治安のいい下宿付きの学校まで手配して。やっぱり、無駄に賢くて良い人は損ね。奴隷から解放しただけで満足するような独りよがりのバカなら今頃は酒場で気持ちよく自慢話でもしてるんじゃない? “可哀そうな子供を一人助けた”って。その子が今どうしているか、なんて気にも留めずに。』
 
 
恵子は私と一緒にこの世界へきた人だ。
 大学三年なのは私と同じだが、会ったことはない。いや、正確には私が一方的に知っていた。彼女は不真面目の擬人化のような人だった。いつも頭を多様な色に染めたチャラ男たちと大きな声で話している。知らない方がおかしいぐらいだ。当時の私に今の彼女と私の関係を伝えても、決して信じないだろう。それだけの“距離”が私たちにはあった。
 この世界に来た当初は激しく戸惑ったものだ。近くに見知った顔(というか日本人的な顔)がこいつしかいないのだから。今は不思議と目立った問題なく、二人旅を続けている。
街での活動は私が計画立て、恵子が装備や食料の収集ときれいに役割分担ができてしまった。今回のことは私が無理をいって街に滞在させてもらっている。その上、「私がいても邪魔でしょ」と数日家を空けてくれていた。
 
 
 恵子は来週までに戻ってくると言い、宿から出ていった。この街での新しい男でも作るのだろう。最近の私たちの装備は高価なものが多い。すべては恵子の功績だった。やめさせようともしたが、それに助けられているので何も言えない。また、彼女自身もそういった行為が好きというので余計に止められない。「心配でもしてるの?」とからかってくるのだ。その上、たまに誘ってくる。「ちょっと男と話すだけよ? それに、あなたの好きな葡萄のワイン、今日は飲み放題よ」(釣られかけたのは内緒だ。)
 
 彼女は奴隷の少女に対して、終始ドライだった。私がシンデレラの話をして少女に希望を持たせたが、彼女は叶わない希望を抱かせないようにしていたのだろう。
 彼女は意外と優しい。あのタイミングで私に言ったのも私の邪魔をせず、その上で立ち直れるように、諦めがつくように、ということなのだろう。
 “意味がない”とは彼女らしい言い方だ。助けようとも助けなかろうとも、あの少女の結末は変わらない。今となっては、あの子の死を自分の責任だと感じている私への励ましの言葉にしか思えなかった。今だって、私がゆっくり考えを整理できるように、彼女は家にいない。
 
 いや、やっぱり欲求不満だっただけかもしれない。タバコがなくなったけど、ゆっくり男を探せてラッキーとか思っていたのかも……。
 
「はぁー、次は私もついていこうかな。一回だけ。」
 
 これは私が彼女にできる“お礼”の仕方として正しいのかな、と少し不安に思いながら。
 分かっていたつもりで何も分かっていなかった、今まで理解しようとしていなかった彼女に歩み寄った。

 
 鼠をつかったひどい実験を聞いたことがある。糸に餌をつけて鼠の前に置き、食べられそうになったら糸を巻く。数分続けると鼠は餌を諦めるが、一時間ほど経過するともう一度餌を追いかける。しかし、これを何度か繰り返すと餌を追いかけなくなる。
手の届く所の餌はたべる。しかし、少し離れた位置に餌を置くと一切興味を示さない。餌に一切の細工をしていなくても。
 鼠を中心とした半径一メートルの円に入らないよう大量に餌を並べたとき、前述の状態となった鼠の中の二匹に一匹は空腹でも餌を食べようとせず餓死するそうだ。
 近づいてきたチャンスを生かせるのは今までチャンスを掴んできたものだけなのだ。
 
 
 あーあ、何もしなければよかった。


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