心は整理されるもの
私たちは毎日選択を迫られる。
二度寝しようかな。今日は何を着て行こう。勉強するか、ノートの隅に落書きをするか、ずっと向こうの空を眺めるか。
私たちは毎秒選択を迫られている。
そうやって無数の選択肢を選んでいくうちに、いつのまにか、その思考の重さに耐えきれなくなって、身動きが取れなくなる。
それは、大人になっても変わらない。
私は、その感覚に興味をそそられた。まるで自分が知らないところから来た、異星人の話を読んでいるみたいだ。
好奇心から父の書斎に忍び込んで、小説を持ち出した。あとで返せばバレやしない。そう思った私は、青春をテーマにしたその物語を読み、そして夢中になった。
それから私は、時々父の部屋に忍び込み、小説を拝借しては自分の部屋で読書をするようになった。どの本も、私が生まれるより何十年も前に書かれたものだった。
私が生まれる前に生きていた人たちは、とても大変な日々を送っていたんだな。教室の隅、友達の輪には加わらず、私は物思いにふけっていた。
「悩む」ってこういうことなのかな。「悩む」という言葉の響きが気に入ったが、正直、こんな風に考えているだけで、押しつぶされそうなほどの不安なんてものを感じるとは思えない。
「悩む」とは、どういうことだろう。私たちは、「悩む」ということを知らない。そんな言葉があることすら、私は知らなかった。
「楓!そろそろ、整理の時間だよ。」
「分かった。すぐ行くよ。」
そう言って私は立ち上がった。
私たちは、放課後になると、カウンセリングルームへと向かう。頭の上に半球体の形をしたヘルメットのような機器を被り、ゆっくりと目をつぶる。
そうすると、自分たちの脳にAIが侵入し、今考えるべきことを優先的に思考するよう、私たちの心を整理してくれる。
心の整理が終わると、視界がクリアになって、今後やるべきことが見えてくる。
部活や勉強、家族や友達との関係、全部私が望む通りに事が運んでいく。それが当たり前だと思ってた。
そういえば、どの小説にも、カウンセリングルームなんてものは出てこなかった。
“もしかして、私たちは悩まないようにAIによって管理されているのかもしれない。”
そう思った瞬間、私は怖くなった。全てが「正しい」と思わせられてるんだとしたら。
「楓?どうしたの?」
廊下の真ん中で突然立ち止まった私に、同級生たちが声をかける。
どうしよう。私、お父さんと話さなきゃいけない。あの本はフィクションなんだよねって確かめなきゃいけない。怖い。怖いよ。
「楓?ねぇ、大丈夫?」
私の顔は間違いなく青ざめてるだろう。だけど、何でもないような顔で私は笑った。
「大丈夫。ちょっとお腹が痛くなってきたから、ちょっと保健室行ってくるね。」
「保健室まで一緒に行こうか?」
「いいよ。カウンセリングはみんな必ず受けなくちゃ。保健室、逆方向だし。」
「そう?あんまり無理しないでね。」
「ありがとう。行ってらっしゃい。」
そう言って手を振った。
お父さん、昔のこと、ちゃんと教えてね。昔も今も変わらないよって、ちゃんと言ってね。
これが悩むってことなのかな。気付きたくない。気付きたくないよ。
私は、カウンセリングルームに向かう友人たちに背を向けた。