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記憶と頭の傷
アンソニー・ドーアの『メモリー・ウォール』を読み終える。
記憶を自由に保存・再生できる装置を手に入れた認知症の老女を描いた表題作、ダムに沈むの中国の村の人々、
赴任先の朝鮮半島で傷ついた鶴に出会う米兵、
ナチス政権下の孤児院からアメリカに逃れた少女など、
異なる場所や時代に生きる人々と、彼らを世界に繋ぎとめる「記憶」をめぐる6つの物語。
どれも読後、文字から想像して自分の頭の中にできた豊かな色々の映像が残ったが
この中でも「ネムナス川」
両親を失った15才の女の子がアメリカを一人出てリトアニアのおじいちゃんのところで暮らすようになる話は、特に映画を観ているように読んだ。
八月はほぼ毎日、サボおばあちゃんと私はチョウザメ釣りに出かける。
わたしは川上へボートを漕ぎ、流れに乗って帰る。ときどき錨がわりのコンクリートブロックを下ろし深い穴に釣り糸を垂れる。私は舳先に座り、サボおばあちゃんは船尾に座り、ミスハップはまんなかの腰かけの下で眠り、
わたしはどうして記憶はあるときはここにあるのに、一分後にはなくなってしまうのだろうと不思議に思う。どうして空は広大で青くてなにもないのに、守ってくれるような感じがするのだろうと思う。
先月ある日曜の早朝に倒れた。
首に何かが付いてて気持ち悪いとうっすら思った、ような気がする。
首を触った手にぬるりと血が付いて、私は台所の床に横になっていて、
床に血が小さく溜まっていて
ああ、大変だと思った、ような気がする。
その辺あまり覚えていないのに、
自分で近くにあったタオルで血をふきとっていたし、
洗面所まで行ってタオルを後頭部にあてて、その時には
その日部活の試合があって娘を車で送ってかなきゃなので、
とにかく早く娘に起こして、自分でJRで出かけてもらわなきゃと
しっかり思っていて、二階の彼女に部屋に行く。
頭から血を出している母親に、子供たちはあわてて、「救急車よぶ?」「おばあちゃんに知らせる?どうする?」と騒いでいるが
「それはいいから、自分で(試合に)行ってくれる?」と伝え、しばらく止血しながら横になる。
私はどこで後頭部を切ったんだろう・・・。
その日大学の学園祭で出かける息子は、自分が運転して病院に連れて行く と言うが
日曜日だ、休日の外科、、、唯一やっている病院は、もう小旅行になっちゃう程遠くだ。
傷口を見るのを嫌がる息子に、定規を渡し、とりあえずどれくらい切れているか計ってと頼む。
「5センチくらいかな」
息子には「ちゃんと病院には行くから」と言い、学祭に行ってもらう。
時間が経つとどんどん痛みがなくなっていく。
つい、病院に行くのは明日でもいいんじゃあと思えてくるが、
電話相談先の看護師さんには「傷もだけど、倒れる前の記憶がない っていうのが心配だからすぐに受診を」と言われるし、紹介された、そのめちゃめちゃ遠い病院の看護師さんは
「診れるけれど、きっと今日一回では終わらないから、そうなるとここは通院するには遠すぎる」と、ここなら日曜でも診てくれるだろう大病院を教えてくれる。
近くとはいえ、車で30分ほどかかる大病院の救急。
車を運転しながら私は
自分のこの脆い皮膚と髪の毛に覆われた頭蓋骨の内側にある柔らかい脳を思う。
これが私の全てを司る、神で宇宙で全てみたいなもので、
そこが傷つき、ぼろぼろ崩れていくのを想像する。
運転しながら
今日みたいに、すんって記憶がない時間が生まれるようになったら、仕事も運転もできなくなるし、いや、それ以前に私、何もできんやん って思う。
私がいつか、この脳を壊してしまうんじゃないかとか暗い気持ちになりながら、
きっと、この後救急のお医者さんに質問されるだろうこと
「どういう状況で倒れたのか?」
覚えている場面をかき集めて、
きっとこうだったんじゃないかな、、という話をまとめ始める。
「縫う?ステイプラでいける?」などなど、背後でお医者さんたちの声がする。
若いお医者さんが、私の後頭部をぱちぱちと針で止めていく。
それを見守る上司っぽい女医さんが「そうそう、、上手い」とか「あ、今、入ってないね」とか彼に声をかけている。
されるがまま。
もう「痛い」とかどうでもよくて、とにかく、何とか明日からも最低限”過ごして”いける状態にしてほしくて、委ねる。
そして、何より 倒れた時に記憶がない ということを問題視され、いろんな検査をされる。
こうなると、もう自分を助けてくれたお医者さんたちに
「もう大丈夫ですから、検査はいいです。帰ります」って言えない。
「は?素人が何を言ってるの?」ってなるよね。
もう、言われた通りにしようと思う。
心臓内科をちゃんと受診してと言われ、24時間の心電図もつけられた。
1週間後、後頭部の傷口を止めていた芯は、本当にホッチキスの芯みたいに簡単にぴんぴんと取られ
心臓の検査結果も「心臓、めっちゃ普通です!!」で
私はまた晴れて、健康な人みたい になって、病院を出る。
頭の傷は髪の毛で隠れて見えないけど残る。
私は、とっても頼りなさそう と 自分では思っていたのだけど
今回、
私がただ毎日仕事して元気で生きているだけでよい人たち
私がそうじゃなきゃ途端に困ってしまう人たちがいることを自覚する。
だから、体を大切にしなきゃ のこの気持ちも
また倒れたりしたら今度こそ大事になるから、もっと体を・・・って
そう思ったことも
ほんの少し時間が経って、もうどこも痛くなくなると、
病院で目にした場面も、あの心細い気持ちも、それと一緒に割とすぐに薄れて、また忘れてしまう。