『かか』より
中二の娘と
高二の息子
三人でまずまず毎日上手くやっているとは思う。
話題が日々のことや、エンタメ、未来の世界の話、歴史の話、
そんなんであれば楽しく仲良く過ごせるのだが、
それを一瞬で爆破するのが自分たちの現実的な「将来」の話だ。
せめて、近々の進路のことだけでも冷静に話し合えて、対策が立てられて、
その中で自分(親)ができることを今したいと思うんだけど、
そのことになると話し合いにならない。
そんなにも「将来」は嫌なテーマなのか。
とにかく、進路や将来の話がちょっとでも始まると
娘は殺気立ち、何もしたいことがない、大学にも行きたくない と怒る。
だけどお母さんがそれを許さないんだろう どうせ私を受験させるのだろう と何故か被害者面。
私の話は何も聞き入れず、すみずみまで揚げ足を取りながら否定していく。
息子は、この夏に大学のオープンキャンパスに行くように(オンラインで見るように)と学校から言われているらしいが、ひとつも行かず、勉強している気配もなく、短期間行った予備校、「続ける?」と聞いてみても、返答なく、では勝算があるのか?と言うと「不安をあおるねぇ」と他人事。
就きたい職業がなかったり、目指すものがないことを
「そんなの誰でもそうで、極普通のこと」と言われたとしても
どこに進めばいいか分からない自分にがっかりしたり、不安だったりする っていう子供たちの状態が
ひょっとして、これ、未だにその不安に苛まれている私が
知らず知らずのうちに彼らに影響を、毒を与えたのか、、と恐ろしくなる。
「そりゃぁさ。お母さんがいつまでも若いままで、自分たちもずっと子供のままで、今と同じようにお母さんが働いて、ずっと二人のことみていけたらいいなぁって思うよ。でも、お母さんが先に死ぬから。」
と言ったことがある。
毒でしょうか・・・(._.)
「今」だけ切り取ると
私たちはそれぞれ、今好きなことがあって、それを否定されたり、制限を加えられるわけでもなく自由で幸せで、彼らにとって「将来」を考えることは、親は老いるし、幸せな「今」はなくなることがベース。
ただ、「今」よりもっと良くなる っていう見方もあるはずで。
そこに対する希望の量とかパワーが、私と子供たちでは違うんだろうな、、と思う。
つまり、私の方が、彼らが彼ら自身に持っているのよりも、はるかに強い希望を彼らに持っているということだ。
その希望が、、彼らには毒なんでしょうか・・・(-_-;)
しかし、、避けて通れない 進路の話。
これからも、続く。
町田そのこ 島本理生 尾崎世界観
このところ、「毒親」というか、いろんな状況下で、でも親のせいで大変なことになっている人たちが出てくる小説を立て続けに読んでいて、
そして、読み終えたところなのが宇佐見りんさんの『かか』
最初に川上未映子さんを読んだ時の「なんか、町田康っぽい」っていう印象にすごく近くて、宇佐見さん作品、好きになりそうな予感。
『かか』の主人公の浪人生うーちゃんもまた、多くの小説の中の人間がそうであるように親のことでとても大変だ。
大好きな母親が心を病んで酒を飲んで暴れるし、頼りになる家族は一人もいない。ただ、ずっと「おまい」と呼んでいる弟の存在は気になる。
彼女は電車に乗って、ひとり、旅に出ます。
そして、、
もう!!ここの描写にやられた。
上手すぎる!!
自分が今まで何本も電車に乗ってきて、ずっと窓の外の街を見ながら、
けっこうな確率で淋しくなったり、切なくなったり、ちょっとだけ苦しくなったりしていたのは、こういうことだったのか、、と。
こういうことが。
言葉にならないものを文章にしていくことが
文学なのですね。
午後の淡い黄いろの光が家々を覆って、電車に乗って通り過ぎるたびに軒先やら電柱やらを銀色にきらめかすんです。密室空間ですから風は吹きませんが、きっとぬるこく頭をくるわすような土埃や花粉混じりの懐かしい匂いのする風が吹き抜けているんだろうと、ほのかに揺れる洗濯物を見ながら思いました。
何枚も干されたしめっぽそうな布団やキャラクターの描かれたTシャツやびろびろ靡いている下着類、ペンキの剥げた小学校や美容院やマンションの看板、黒ずんだ赤こい標識に停められたママチャリの、あかんぼうの代わりに野菜を積んだ後ろの席、白いトラックにくくりつけられたはみ出しがちな梯子、マンションにかかった表札の跡、びっしと並んだ無個性なポスト、それらがそれらと意識されないうちに目の前を流れていくんを眺めていると、知らないはずの街が懐かしくて、いきがくるしかった。
置いてきぼり、くったような気いしました。その家のひとつひとつに居住している人間の生活や顔つきがまるで幸福で快活だとは思えんくて、そんなはずもないんに町じゅうに孤独が張りつめているような気いします。
飲み屋のほのぐらい照明の下では美人だが外に出たとたんにきびやしみが目立つ女店主、彼女がひっそし裏手に飼っている栄養失調気味の犬、スーパーの売り場と駐車場をつなぐ階段の踊り場の椅子でひとふくろ百円六本入りのチョコチップスティックパンを隠れるようにして貪り食うおじさん、学校に行かんで昼間からコンビニのイートインで携帯をいじっている金持ちの学生、ドラッグストアの試供品をかたっぱしから手に取り派手に化粧をして不倫しにいく女、妻に先立たれた家で無音の囲碁番組を字幕で見る老人、縦横無尽の電柱に縛られた街。そんなかに何十年か先に生きる未来のかかがいる気いしました。
街じゅうの人間の絶望がうす黄いろい風になぶられて、うーちゃんを波のようにゆったし包んでいるんでした。
なんで、と思いました。かみさまに近い場所だと言うんに、なんでこんなに淋しいんか不思議でした。
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