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#3 同期の絆 〜雨、泥、酒が強くする〜
つい先日、私がアメリカにいた際のルームメイトから久しぶりに連絡が来た。何かきっかけがあったわけではない。どういう思いで連絡をくれたかはわからないが、繋がりを再確認できたのは非常に嬉しかった。
#2の記事にも出てきたので、今回は米陸軍士官学校についてを序盤に書いていきたいと思う。また、今回繋がりを感じれたこと、G'sアカデミーでまさに今素晴らしい同期に恵まれていることもあるので、後半は同期の絆についても書いていこうと思う。
1. ウエストポイント 〜世界一の士官学校の一番汚い寮にて〜
![](https://assets.st-note.com/img/1698282473992-MHp1WbSIjB.jpg?width=1200)
米陸軍士官学校 〜その一日〜
米陸軍士官学校(United States Military Academy)、通称ウエストポイントはニューヨーク州にあり、マンハッタンから電車で1時間ほど、ハドソン川のほとりにある。自然豊かで、建物は煉瓦造り、まるでハリーポッターのホグワーツのような感覚に陥るような場所であった。1802年に創立され、ダグラスマッカーサー、パットン、アイゼンハワーなど著名な将軍を輩出している。
ここに通う学生はcadet(士官候補生)と呼ばれ、将来少尉以上の幹部になる。入学も難しく、推薦状をもらわないといけなかったり、事前にprep schoolという厳しい学校に通わないといけなかったりする。ちなみに私はというと、派遣希望先をブラジル(1週間)で出していたところ、やる気のある防衛大学校生が最も希望するアメリカ派遣になぜか選ばれてしまったという感じである。
ウエストポイントでの一日の流れは大まかに以下の通りである。
06:45 朝の点呼
(自衛隊のように起きてから5分以内に整列とかではなく、早めに起きて準備してゆっくり出れる。)07:00 朝食、もしくは部屋に戻る
(AMIという部屋のチェックがあるみたいだが、私もルームメイトも部屋でめちゃくちゃ寝ていた。)07:30~ 授業をとっていれば授業
授業がない時は基本自由。12:00 昼食
(これは全体で集合して向かい、全員で食べていた。)13:00 授業をとっていれば授業
以降、授業がない時は基本自由。尚、外出はできない。
上記を見て分かる通り、授業がない時は基本自由に過ごしていい。敷地内のジムに行ったり、睡眠を取ったりしていた。(ちなみに私は授業を4個くらいしか取っていなかったのでほとんどが自由時間であった。)
また、ウエストポイントではアカデミック期間と訓練期間がはっきりと分かれており、銃を持ったり、野営したりといった軍事的な訓練は私はほとんどしなかった。
片岡少尉の待遇 〜ゴキブリ寮とお笑い担当〜
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当時私は3学年。I-1中隊に配属された私を待っていたのは物置がごとく部屋であった。年季の入った建物。部屋は埃だらけ、ベッドの枠であろうところにはバケツがたくさん積んであった。また、1日に2匹、ゴギブリのご遺体、もしくはご存命のお姿を拝むことができる場所であった。現地の学生曰く、Dirty Sherm(シャーマンという寮であったのだが、汚いのでこう呼ばれていた。)という俗称があるとのこと。
I−1中隊において、私はSafety Officer(安全幹部)の任についた。大層な名前であるが、毎週金曜日に皆の前で「避妊はしましょう、飲酒運転はしないようにしましょう」とテンション高く言うだけの仕事であった。
ちなみに、通常この任についた者は毎回同じパターンで同じことを言うそうであるが、私は関西人の血が騒ぎ、毎回内容を変えた。日本のことを話したり、時事ネタを持ってきたり、時には紙芝居を作ったりした。お陰様で5ヶ月間を通じ、「I-1のSafety Officerはやばい。」と他の中隊からも認知されるようになった。
かくして、私は確実に現地の仲間と親交を深めていった。エアコンが効かない寮で、厳しい時を共に過ごした仲間だからこそ、数年越しにでも連絡が来るようになったのではないかと思う。
2. 一生ものの絆 〜死んだ後もなお〜
![](https://assets.st-note.com/img/1698330933578-WkP3DXMdSt.jpg?width=1200)
アメリカで過ごした友もそうであるが、防衛大学校時代の友人とも、私が自衛隊をやめた今でも繋がりがある。特に上級生からの理不尽な扱いに共に耐えた同期や、大雨の中、匍匐前進で泥だらけになった後、衛生環境最悪な状態で酒を酌み交わした同期達とは強い絆で結ばれている。
今年、私が1学年のときに同じ部屋で共に過ごした同期が逝去した。その葬儀には、幹部自衛官となってすでに全国に散らばっている中、遠くからも同期が参加し、その友を見送った。
生きている時もそうであるが、自分が死に、この世にいなくなっても繋がる。それが苦楽を共にする同期ではないだろうか。今大人になり、あまり同期という存在を作ることができない中、自分を曝け出せる、素晴らしい同期に恵まれるというのはこの上なく幸せなことである。
つまらない感情、変わることへの恐怖、1円にもならない不安、こんなものはさっさと捨て去って、今というこの時を同期と楽しむことに全力を尽くせ。(自分に対して言い聞かせておりますが、何かを考えるきっかけになれば幸いです。)