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趣味の読書002_山椒魚戦争(カレル・チャペック)

チェコのSF作家で、ロボットという言葉を生み出したことで有名な、カレル・チャペックの代表作の一つ、「山椒魚戦争」。原著は第二次大戦直前の1936年で、1978年に現行の日本語訳が出版、私が借りて読んだ本は、1998年出版の早川書房のものと、まあ大概年季が入っている。
すでに早川書房でも絶版なのか、オンラインでちゃっと調べた限りは、早川書房版の前の岩波文庫版、さらに言えば、グーテンベルク21の翻訳版のほうが入手しやすそうだ。グーテンベルク21は、翻訳が更に古いバージョンだし、そもそも著作権上の扱いが結構グレーなので、あまりおすすめしないが…

時代が時代の本なので、解説があったほうが結構わかりやすい本でもあるのだが、早川&岩波版の翻訳者兼解説者の栗栖継という方は、結構自己主張が激しいので、そのあたりは注意したほうがいいかもしれない。

サンショウウオとは何者か

早川版冒頭の作者の言葉では、「私がこの作品で描いたのは、ユートピアではなく、現代なのです」となっており、時代的背景を鑑みれば、最終的に人類に宣戦布告をすることになる山椒魚チーフとは、すなわちナチスと読むのが基本的なラインだろうか。ただ、個人的には文字通り、「現代の全て」であり、ナチスなど特定の国や政治に偏って解釈しなくてよいのでは、と思う。チェコからナチスへのズデーテン併合は、本作の出版から2年後の1938年であり、もちろんすでにチェコにもナチスの脅威は迫ってきていたのだろうが、英仏はそれを間接的にせよ容認し、端的には帝国主義的にチェコの自決権を無視して動いていたし、それこそが国際政治であった。
全体主義へと至る石畳は、我々すべての前に等しく敷き詰められており、モチーフをナチスに矮小化させないだけの、懐の深さのある作品であるとも言えるだろう。

あと、この論点で面白かったのは、「移民問題の寓話」として読んだというレビューがアマゾンであったこと。確かに山椒魚を移民と捉える読み方もあるのか、と驚いた。たしかに、過去の特定の政治体制と紐づけるよりは、より現代的な読み方なのかもしれない。

近代は何を恐れたか?

作中で最も面白かったのは、早川版のp357、「同種の社会でのみ、幸福な社会であることができる」「この達成可能な幸福を、あらゆる人間・民族・階級・水準から一つの人類、一つの秩序社会という、偉大だが実現不可能な夢の犠牲にしてしまった」という、現代ではまあまあ怒られそうな、ヴォルフ・マイネルトの主張が、最終的にナチスを打破せよ、と読み替えることもできる、ミスターXの山椒魚反対運動を導き出した(同p364~)、ということだ。逆説的に、人権主義はナチスを容認せ得ざるを得ないことを暗に示したともいえる。

ハクスリーの「素晴らしい新世界」にせよ、この時代のSFは、人権主義=人間理性への疑い的な作品が、第二次大戦以後よりも多いように感じる。「素晴らしい院世界」は、一般にはディストピア小説扱いされているらしいのだが、あれは前提として「多くの人が幸福を感じている(だから、孤独を感じている主人公が浮いた存在になる)」のだから、個人的には十分ユートピア小説なんじゃないかと思っている。きちんと分析した評論はいくらでもあるのだろうけど、ちゃんと読んでいないからわからない。

いずれにせよ、第二次大戦以降は、核戦争の恐怖、共産主義vs資本主義、IT技術の黎明を描いたSF作品が多くて、それは勿論面白いのだけれど、描かれる恐怖の質としては、第二次大戦前の、「科学的思考」に基づく全体主義的帝国主義的発想のほうが、より現代的な意味を持っているような気がする。
特に反全体主義、思想の抑圧という観点では、例えば「1984年」は、(共産主義にせよ資本主義にせよ、)敵と敵でないものに世界を二等分し、敵の殲滅に全ての資源を投入するという、戦時体制的全体主義の恐怖、な気がしている。確かに冷戦構造とは、各国における戦時体制を超え、世界を反共、反資本主義の全体主義的体制に巻き込んだ体制と考えれば、そういった恐怖が描かれても違和感はないと思う。

他方、第一次大戦以前の全体主義は、優性主義的な、全体の定義の側を狭めて、結果として全体性、統一性を担保しようとする試みであり、「同種の社会でのみ、幸福な社会で」あろうとする、という全体主義な気がしている。
そして現代では、こういうエコーチェンバー的全体主義のほうが、「社会の危機」としてはリアルなんじゃないかなぁ。

最後にもう一つ、山椒魚と人類との最初のコミュニケーションは、人類が話すことのほぼオウム返しのようなものから始まるのだが、このあたりのやり取り、現代のAIによるコミュニケーションとすごい近いな、と思った。そのコミュニケーションが、成立しているようで成立していない不気味な感じとかも含めて。

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