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早稲田大学入学は、箱入り娘だった自分の「恵まれてなさ」を知る瞬間だった

毎年寒い冬が来ると、早稲田大学を受けた日のことを思い出す。
私が人生で一番緊張した日。風邪をひかないように細心の注意を払いながら日々を過ごしていた。目指していた学部(政治経済)ではないものの、幸運にも入試問題の相性がよかった学部に引っかかって、家族全員涙ながらに合格通知を握りしめた。

これから輝かしいキャンパスライフが始まると思っていた。

私は昔から人と目線が合わなかったり、ADHD特有の衝動で話している最中に何段階か話を飛躍することがある。昔から「アンナちゃんって変な子だよね」といわれていたが、時々、年に1回くらい、私を愛おしい目線で見つめてくれる理解者が現れた。「あなたは人よりも想像力が豊かで素敵な子なのよ。だから、その才能をキチンと開花できる環境に行きなさい」と言ってくれるのであった。そのため、私は、早稲田大学はそのような自分の特性をより一層開花させてくれる学びの場だろうと楽しみにしていた。
私が通っていた高校では、成績上位5%くらいの子達は多かれ少なかれ私と同じような特性を持っていた。彼らとの傷の舐め合いのようなオタク談義は決してキラキラしていなかったが、楽しいひとときなのは間違いなかった。私たちがオタク特有の変な暴走をしても、進学校の「いい大学に行く」という至上命題があったからこそ、宿題の提出忘れや遅刻などは大目に見てもらえていた。

早稲田大学に入学後すぐ、私は「恵まれていない」側の人間だと気づいた。
入学後、ヨーイドンでTwitter「#春から早稲田」のSNS 運用を始めなければいけない。この、知らない人とコミュニケーションをするということが難しい私は出遅れた。知らない間にいくつものグループLINEができているようだが、誰に言ったらそのグループに入れてもらえるのかがわからない。受験勉強では人付き合いは習っていない。

内部進学の人が偉い

そんなこんなしているうちに、「#春から早稲田」でキャッキャウフフしているキラキラ大学生志望(笑)の人たちはまだ二流であることに気づいた。
早稲田大学には、内部進学がいる。
私の学部は学部カーストが低い戸山キャンパスだった。
初日のクラスで「高校3年間全然勉強しなかったからここの学部しか行けませんでした〜笑」と自己紹介で曰う内部進学者がいた。

内部進学の中でも、早稲田シンガポールの輝きは異質を放っていた。18歳にも関わらず、この世のすべてが俺の手にあると言わんばかりの、道明寺司のような傍若無人さを持っていた。バレンシアガのロゴがドーンと胸元にある服をきて、口を開けば
「お父さんが投資用で買ったタワマンに住んでるからうちのパーティールームでみんな飲もうぜ」
とか
「中学時代からお父さんに毎年110万円生前贈与でもらってて、自分で投資やってるから、運用だけで働かなくていいわw」
とか
自分の知らない世界のことを話している。

さらに早稲田シンガポールは、大学内の有名サークルの幹部(彼もまた早稲田シンガポール)との親交も深く、入学後に有名サークルの幹部の舎弟として次期幹部候補が約束されているのだった。こうして受け継がれていく早稲田シンガポールの絆を痛感する。

親ガチャを痛感する

内部進学の人を見ていて思ったのが「この世は親が全て」ということだった。
それは内部推薦だけではない。どっかの地方の豪族たちの娘息子も、幼少期から手厚い教育を受けて育っているようだった。福岡の名前が知らない高校から推薦で早稲田に入った人は、「親がこの高校が早稲田の推薦枠がたくさんあるから入れって中学3年の時に言ってきたけん、少しレベルを下げた高校に入ってずっとトップとっとった」と言ってた。
そりゃあ15歳と、40何年生きてきている人間が考えることなんて差が出るだろう。お父さんの言われたことをやる中学生は生きるのが上手い。
生まれた段階で、このしょうもない大学受験戦争に巻き込まれないように、のびのびと子供を育つように決めている、上流家庭がいることを知った。

幼少期からSAPIXに行って自称進学校の中高校でガツガツ勉強した結果、早稲田大学くらいにしかいけなかった奴は二流だ。
私たちがSAPIXで重たい教材を背負って「受験戦争!」とか言って、テストで点数を取ることだけが意味があると思っていた時代が間違いだったのだ。私だってのびのびと育って、中学までは(良い地域の)公立で、受験なんかしなくってよくって、高校になったら学校のプログラムで夏休みのオーストラリアのホームステイに行きたかった。なんだよAO入試って。そんなの恵まれている子供しかできない、特別な経験を提げなければ受ける土俵にすら立てないじゃないか。

「入学」のときに痛感したこの第一期を経て、「生活」「就活」という第二の第三の親ガチャ痛感期がやってくる。

生活が違う。東京に実家があるのに早稲田のお膝元(鶴巻、面影橋エリア)で一人暮らししている学生がいる。
あの時の先輩は家賃13万円くらいの1DKに住んでいたけど、アラサーになった私でも一人暮らしに家賃13万円はそうそう出すことができない。せいぜい8万円だろう。学生だったら6万で十分、そんな家庭に育ってきたのって私だけなのかなあ。
普通に13~17万円程度の、オートロック付きの新宿区のマンションに住んでいる人がゴロゴロいる。そうなるとサークル仲間が宅飲みの聖地や終電逃し後の宿として押しかける。素晴らしい親御さんはそれを知っていたのだろうか??
私の知っている富裕層の親はたいていがリベラルで、知っていて「友達がたくさんでいいなあ」くらいに捉えていた。だからこそ憎かった。

一人、早稲田で知り合った彼氏と半同棲していて、家賃12万円の家を8万円で’’また貸し’’している女がいた。彼氏と毎日セックス三昧できる上に、キャッシュで8万円が手に入るなんて、さすが頭が良いと思った。こんなに素晴らしい親の元に生まれてきて、品性の悪い不法行為ができるなんてさすがだと思うが、頭の作りが違うからそのようなだるい姑息な真似を思い浮かべることができるのだろうか。

富裕層はバイトを本気でしない。まったくバイトをしないわけではなく、ガクチカのエピソードに使える程度の社会勉強程度にバイトをしろという親が多いように見えた。「学生の大切なモラトリアム期間を時給1000円で消費させない」という親の意思が見えたのが、気持ち悪いほどに美しかった。
とある北海道の地主の娘が、
「『お前はもう大学3年生なんだから後輩にちゃんとご馳走しなさい』ってお父さんに言われて、仕送りが5万円増えた」と言っていた。

「親が投資用に買ったマンションに住んでいる」という人は何人かいた。私がいた頃にマンションを購入していた人は、この2025年のタイミングで売却すればかなりの利益が出るだろう。都内の一等地のマンションを買って、そして今まで空室のまま保持しているなんて、私には考えられない世界だ。
「生前贈与として自分名義のマンションを買ってもらった(税金対策)」みたいな人はゴロゴロいる。

恐ろしくお金がありリベラルな親というのは、子供が学歴さえ手に入れれば、学生生活をどのように過ごすかは全く関心がないように見えた。「門限はない」「朝帰りするのが学生の仕事」「旅行でもなんでも言っておいで」「彼氏との旅行も喜んで」という放任っぷりだった。
私が門限を理由に途中帰宅すると「箱入り娘のお嬢様だ〜〜」と揶揄されたが、中流階級の私のようなエセお嬢さんの傍で、もっと金持ちの人が酒で泥酔して幹事長と肩にもたれかかっていたことを覚えている。

ガクチカは親ガチャが8割

就職についても、私は本当に不快感を感じている。
早稲田での就職活動は、日本の格差社会の再生産を意識せざるを得ないからだ。

「学生時代に力を入れたこと」は、親ガチャで8割が決まる。
親が社長の女の子は、お小遣いがいっぱいあるから無給インターンとして出版社に週3で通い、「学生でありながらも興味を持った業界に飛び込む行動力」をアピールして平均年収900万円の三大出版に合格していた。彼女は「親の力を借りずに、自分だけの力で手に入れた第一志望合格!」と言っていたが、私はそうは思えなかった。
大学3年生のとき、友達がカンボジアのインターンに参加して、年末年始を恵まれない子供達のお世話をしていた。私は彼女のような恵まれている人間が(その旅行代理店は非常に高いパッケージだった)、「恵まれない子供見学ツアー」みたいな24時間テレビのジャニーズがやっているようなことをするのは酷ではないかと思った。友達は「子供たちめっちゃ可愛かった〜〜」といって返ってきたが、ガクチカでは立派にそこで奉仕の精神や社会問題への興味関心、そして興味を持ったことはすぐに現地に行く行動力というところをアピールしていた。

OB訪問ってクソほどに最悪で、この文化って早く廃れることを心より祈っている。本当に最悪だった。
お父さんの知り合いの知り合いの、有名企業の役員クラスとOB訪問できている人がいる。私はサークルの先輩のつながりが関の山。この段階での差を強く感じた。「実は私、●●の役員とOB訪問があって、3次審査までは上げてもらうように口聞いてもらったんだよねー」というサークルの同期がいて、私は就職活動をする前から戦意が喪失していた。私なんか、マッチングアプリみたいなやつでOBと出会って、「このOBは酒を飲ませたりしないだろうか」と不安になりながらも夜の六本木に行く日々を送っていたのに。

なかには「俺の親が社長だから将来継ぐために入れる会社に行きたいな」と就職活動をしている男がいた。この男は「親のコネ」ということを大学3年生の夏のインターンで色んな人に自慢していたが、結局、リク●ートやアクセン●ュアに落ちたから、レバ●ジーズに入社していた。逆にリク●ートやアクセン●ュアがとても好きになった。

まだ、商学部の就活最強ゼミに入って就活無双しているならまだいい。私の周辺の戸山キャンパスはろくに勉強もせずにサークルで遊んでいると思っている奴らから先に就職活動がうまく行っているのを見るとやるせない気分になった。
「そうか彼ら/彼女らは将来うまく行くことが決まっているから遊んでばかりいたのか」と納得してしまった。

こういうことを書くと「それでも私は頑張った〜」「頑張ってない人の戯言」という自己責任論のコメントがつくが、私はそうとう頑張った。この後ろ盾も何にもない、リクルートスーツすらも自分のバイト代で購入するという状況下で、サークルでも数人しか行けないような、内定先を話したらサークルの人から口を聞いてもらえなくなったくらいの、超絶有名な会社に行くことができた。(そこでうつ病になって辞めたけど)

私が問題にしているのは、その過程に非常に差があることである。
内定者懇親会で「○○さんの娘」や「社長の親族」がたくさんいて、『ちくしょうコネばかりじゃないか』と片腕を押さえてつげ良治のようなことを呟いてしまっていた。
「私は最終選考からの参加だったから、普通の学生がリクルートスーツを着て3階に行こうとしているエレベーターで、私だけが最上階のボタンを押して変な顔をされた」といっていたNijiUのリマのようなすごく美人なお嬢さんがいた。きっと、金持ち父さんと美人なお母さんの間に生まれた子供なんだろう。
隣にいる某すごい人の娘と、ブラックカード自慢をしていた。最悪な気分になった。しかもそういう人に限って留学経験があるから英語がペラペラだ。海外旅行で何ヶ国も回っていると言っていた。「すごいねー」と相槌を打つ私を一瞥し、「え〜〜アンナちゃん行ったことないの〜〜可愛い〜〜本当にピュアだね〜〜〜」という。途端に惨めな気持ちになった。
しかも何が嫌かって、私はうつ病になって辞めている。こんなに狂っている金と酒の業界についていけないし、たくさん働くのも、上の人に責められるのももう嫌だ。でも、彼女たちはコネ入社だから入社してすぐにホワイトな部署に配属され、存在しているだけで彼女の親たちとの紳士協定的なものが組まれるからビジネスとしての利益が生じている。そして彼女らのインスタには今日も「●●(企業名を匂わす言葉)。同期大好き!」とアフターファイブが充実している姿が写っている。

おかしいだろう。大学に合格したら勝ち組になれるんじゃなくって、勝ち組が子供を早稲田に入れてるだけだろ。
何がムカつくかって、そういう上流階級は慶応に行くのだと思ったから早稲田に入ったのだ。バンカラな早稲田の、貧乏学生が安い酒を飲む時代はどこに行ったのだ。結局は内部進学や推薦でぬくぬくと育ったやつか、バンカラを履き違えた(下駄で大学に来てロータリーで大暴れする)ような二極化した大学だった。それ以外の、普通に進学校で頭が良くって、進学校の部活動のように優しく和気藹々とオタクをしたい・酒を飲みたくない人間いとっては居場所なんてものはなかった。

学校の先生だって学生で芸能活動している子のことをたくさん贔屓していたし、早稲田ウィークリーには有名な人ばっかりが乗っていた。「学長を囲む会」はごく一部のスポーツか芸能で結果を出した学生が呼ばれていた。私はこの大学の中で高い学費を納めるだけの、いなくても良い存在なんだと思った。

私の目から見た早稲田はこうだ。

私の彼氏に聞いたらそんなことはないといってた。
もしかして、その中で素敵な出会いがあった人たちは最高の友達を見つけてのんびりゆったりできる環境だったのかもしれない。
私から見れば、自意識を肥大させる仕組みがたくさんある上で、格差社会は埋まらない、そんなことを実感させられる4年間だった。

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アンナカリイナ
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