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私をただのメンヘラじゃなく、サブカルメンヘラにしてくれた歴代彼氏へ

私はクソメンヘラでありながらも、何に問題を感じていたのかすらもわからない未熟者だった。根源的な問題の追求などできず、とにかく不快感をあらわにしてピーピー泣いているだけだった。
これが変わったのは、今まで出会ってきた彼氏たちが、私に書を与えてくれたからだ。結局、私の感じるこの世への虚しさは、遠い昔から哲学者が言っていたことだし、小説でも何度もテーマになっていることだ。メンヘラは太宰を読むが、太宰以外にも文学的に優れている小説は多くあり、ほとんどのものが岩波文庫でワンコインで読める。

現在では、不快感はそのままに、共感できる映画や小説、哲学書を読み、語りあうことができる。
この進歩がなければ、ただのヒステリーになっていたかもしれない。「私が不快なのは周りのせいだ」と周囲を責め、自分が異能だからこそ周囲と馴染めないと言わんばかりの傲慢さを持っていた。そんなことは一切なく、凡人ながらも何者になろうと足掻いていて、現実がそうならずに焦っているだけだった。


私は小さい時から親に愛されずに育った。
高校時代まではよかったし、放任な親に居心地の良ささえ感じていた。一人の大人として承認されているような気がしていた。

それまでは「受験」という目標があって、周りと自分を比べるのは「成績」が指標だった。
それが変わったのは大学生になってから。
周りには親ガチャ成功の人が多くいて、毎月10万円も仕送りしてくれる上に家賃を負担してくれる親、一緒に海外旅行に行く親、英語がペラペラで子供の留学についてレールを敷く親、いろんな羨ましい親がいた。
私は途端に不安になってしまったし、他人と比較して自分がすごく惨めに感じた。
これでいいのか、と思った。

うちの場合は、母は非常に危なっかしい人で、いつも少女のようだった。機嫌がいい時と機嫌が悪い時の差が激しく、定期的に姉と結託して私を仲間はずれにした。(逆に、私と結託して姉を仲間はずれにすることもあった)
気づけば、母よりも自分の方が頭が良くなってしまった。母のことが、外見がいいだけのヒステリー女だと思うようになってしまった。世間体を過度に気にして、哲学などはなく、週刊誌のゴシップが大好きな、馬鹿。これが自分の母親だった。

(ちなみに父親は本当に最悪な人なので割愛。一言で言って地獄)

私は「本当の人格」と「母が求める自分を演じる人格」が二重になっていて、どっちがどっちかわからなくなってしまった。

ただの勉強と部活をするマシーンだった高校生活と比べて、大学生活になったら自由時間が増える。
そうなったとき、私には何もなく、何もやりたいことがなく、興味あるものもなく、どうしたいかと言われると「母親が喜ぶ方へ」進んでしまうのであった。

大学に入って最初に付き合った彼氏との恋愛は、「普通の恋愛がしたい彼」と「母親が求める自分を演じる人格」が付き合うことになった。
ひいては、性交渉など親が嫌がりそうなことは避け、互いを高めあう恋愛(耳をすませばのような……)を求めていた。女は奢られないと意味がないという母親の意見を間に受けたせいで、同い年の彼は頑張ってアルバイトをしてくれた。
結局1年半もった。なんでセックスしなかったのに一年半ももったんだろう。その頃のことは、誰もわからない。
とにかく、愛されたくて、相手の携帯を覗き、覗かれ、浮気を疑い、疑われ、サークルに行かないと約束し、全ての時間をお互いに使った。離れていくのは怖かったし、一緒にいても苦しいから離れてほしいと願った。

別れた後、彼がツイッターで「メンヘラと別れた」と言ってて、やっぱりそう思われてたんだなーと思った。
言ってることもやってることも全部がすっちゃかめっちゃかで、揺れる感情を都度毎ぶつけていた。

そんな行き場のないメンヘラを救ってくれたのが、彼氏N、Kだった。
その次に付き合った彼氏Nは、年上でモラハラ気味だったけど「君は美しいのだから教養を身につけなさい」が口癖で、さまざまな本を課題図書に出してきた。
今思うと彼はマイフェアレディをやりたかっただけなんだと思う。懐古するたび「気持ち悪いなー」と感じる瞬間もあるけれど、彼に勧められて読んだ本や、彼に身につけさせられたオーセンティックバーでのマナーや喫茶店でのマナーなどは今も活きている。

Nの推薦図書↓

ワーニャ伯父さん

戯曲は小説と違って、セリフで構成されているので読みやすく、これからハマっていろいろ読んだ。チェーホフだと「かもめ」「桜の園」とか。
「ドライブマイカー」で出てきて懐かしい気持ちになった!!

19世紀ロシア文学にある薄暗さと絶望、それでも生きていこうとする葛藤がメンヘラの気持ちに寄り添ってくれた!

「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。
長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。
運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。
安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。
そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう」

コンビニ人間

村田沙耶香自身が発達障害の典型みたいな人だ。その人がどのように生きるのかというのが言語化しているところが読んでて心地よかった。
生きているだけなのに自分が異星人のように感じる感覚……!!ああこれを共感してくれる人がいるんだなあと思うと救われる。
村田沙耶香の本は全巻揃えたってくらいにハマった。


その後別の彼氏K(今の彼氏)とずっと一緒にいるけど、彼も色々と進めてきた。

Kの推薦図書↓

セールスマンの死

かつて敏腕セールスマンで鳴らしたウイリー・ローマンも、得意先が引退し、成績が上がらない。帰宅して妻から聞かされるのは、家のローンに保険、車の修理費。前途洋々だった息子も定職につかずこの先どうしたものか。夢に破れて、すべてに行き詰まった男が選んだ道とは……

自分の冷え切った家庭環境(エリート)と同じような感じなので、とてもとても辛い話だったが本を読んでいるときは自由になれた。

人形の家

ノラ  はい、ちっとも幸福ではありませんでした。幸福だと思っておりましたが、実はすこしもそうではなかったのです。
ヘンメル(ノラの夫)  幸福ではなかった――幸福ではなかったっていうんだな!
ノラ  はい、ただ面白かっただけです。あなたはあたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。でもあたしたちの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。あたしは実家で父の人形っ子だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてこんどは、子供たちがあたしのお人形になりました。……

家庭の幸福(ヴィヨンの妻収録)

短編でありながらも読後感が爽快でコスパが良かった。

***

すなわち、私は付き合うたびにカーヴィーみたいにその人を一部にするのだ。
空っぽの私に栄養分を与えてくれた歴代彼氏たちに感謝している!!

君たちのおかげでただのメンヘラは、教養あるメンヘラになりました。
教養のあるメンヘラとは、かつての教養人のそれであります。
今思うと、教養ある人の方が生涯年収は低い(私調べ)だし、知らずにOLとして立身出世した方が今までの私っぽかったかもしれない。下手にジェンダーなんて学ばない方が企業でも上手く立ち回れた気がする。
でも、今は幸せだ。立派に育っている。メンヘラよ、本を読め!!


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