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RURUTIA熱が過去一再燃している

RURUTIA熱が再燃している。
それも、過去一自分の中で盛り上がりまくっている。

RURUTIAは日本の女性シンガーソングライター。
2001年にシングル曲「愛し子よ」でデビューし、アニメ主題歌やゲームのテーマ曲なども手がけつつ、紆余曲折あって現在まで個人で活動していた。


「活動していた」というのは、昨年11月から公式の活動をお休みしているから。

「また、いつか」という彼女の言葉を信じて復帰を静かに待っている。

……静かに待っているつもりだったのですが、ひょんなことからそんな場合じゃない!と思い立ち、こうしてnoteを書き始めた次第です。

万人向けではない。
1人でもいいから、この記事が読めて良かったと思ってもらえたら嬉しいです。

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きっかけは旦那との雑談。
「最近の曲って、心情描写が多くて情景描写が少ないよね」という旦那の言葉が始まりだった。

私は流行りの曲を追いかけないので、最近の曲がどうだとかは全くわからない。
けれど、自分の極少な音楽視聴経験の中でパッと「情景描写」に特徴のあるアーティストがいた。
それがRURUTIAだった。

RURUTIAの曲のほとんどは情景描写から始まるが、中でも7つあるオリジナルアルバムの1曲目はいずれも歌の世界観を決定づける強烈な表現になっている。

笑いながら剣を翳して 羊飼いが来る
笑いながら静寂を裂いて 羊飼いが来る
残されていた アザミの森さえ 
無防備な姿に 焼き尽くされていく 

RURUTIA「エレメンツ」(2001年)歌詞より抜粋

翡翠や銀の食器 浴びるほどの葡萄酒
胸開け踊る女 飛び交う金貨
芳しい蘭の花を纏い 微笑むモナリザの顔さえ
淫らな欲望に汚され 恥辱と苦痛に歪んでいる
涙はいつか頬を伝って 地を這い川となった

RURUTIA「パヴァーヌ」(2003年)歌詞より抜粋

遠くこだまするは 獣たち
深い夜に 罪を笑い語る
血塗られた正義
汚れた体を 錆びた雨が磨く
重ねた過ちで飾られた街に 死の灰が降る

RURUTIA「ハレルヤ」(2004年)より抜粋


「ね! RURUTIAの歌詞、めっちゃ情景描写でしょ!?」
カラオケで意気揚々と歌ってその歌詞を説く私。

そんな私に旦那が二言。

「これもう黙示録じゃん。」
「黙示録になぞらえて、現代社会の闇を描いているよねこれ。」

……なるほど????

「俺RURUTIAよくわからんけど、どう聞いても聖書の世界観だし、現代社会の核とか格差とか、そういうものへの警鐘の歌に聞こえるよ」
(うちの旦那、お祖父様がその道で有名な牧師さんなので聖書めちゃ詳しい)

「RURUTIAはそういう社会的なメッセージも込めていたんじゃない?」

……なるほど!!???
旦那の感想を聞いて、すっごく大雑把に言うと衝撃を受けた。

一つは「納得」。
確かにRURUTIAは5つ目のアルバムあたりから社会問題に対して直接的な表現を使った楽曲を出している。

皮膚の色や形や生まれた場所で 命の重さが変わる
そんな事が許されるはずないだろう
でも 争いはまだ続いてて
銃声の音が届かない場所でもやっぱり 赤い血は流れていく

RURUTIA「Time Traveler」(2006年)歌詞より抜粋

託児所は子供が溢れて
行かないでと伸ばす手は剥がされ
母の帰りをひたすらに待つ
子供達の声が響く 今も
ニュースでは シッターを雇って
黒塗りに乗った大人達が
芝居がかった言葉を叫ぶ
“子供達と若者の為に!”

RURUTIA「In The Majority」(2012年)歌詞より抜粋

そしてなにより、「RURUTIA」というアーティスト名はタヒチの神父様につけてもらった本人の“洗礼名“であるということ。
その背景から考えても、結びつけない方が難しいまである。

もう一つの衝撃は「後悔」。

私は今まで、RURUTIAの曲をそういう風に捉えたことは一度もなかった。
綴られた言葉の表面だけなぞって、自分が気持ち良く受け取れるように切り取って、自己を投影して感傷に浸ったり、その歌が醸し出す世界観を「うーん素敵!」くらいの気持ちで受け取っていた。

もちろん、あまねく創作は世に出した瞬間から受け手のものでもあるし、その解釈に正解も不正解もなく。
私の受け取り方もまた一つの「在り方」ではあると思う。

RURUTIAの公式インスタグラムに掲載されたメッセージより抜粋。


でも、もしかしたらRURUTIAが歌で紡いできた世界観はもっとずっと奥が深くて、深める余地はめちゃめちゃあったのにそれをしてなかったんだったら、何だかそれって勿体無いというか、RURUTIAが伝えたかったメッセージを受け取りきれていなかったんじゃないかというか、、(この辺で厄介オタクみたいな思考になっていく)

要はもう一度、一つひとつの楽曲を「受け取り直したいな」っていう気持ちがどばーーーーっと湧いてきたのです。

RURUTIA自身が持つ背景、言葉の意味、当時の状況、それら全てが織り重なって楽曲が作られているのだとしたら、それをできるところまで汲み取りたい。

そんなこんなで、再びRURUTIAのアルバムをひっくり返し、Wikipediaや各アルバム発売時の特集記事をかき集めながら、彼女の軌跡を辿ることを始めました。

一番盛り上がっていた時期の公式サイトが見つからないのだけめちゃめちゃ悔しいですが、、
なんとか色々集めたりインプットしたりしながら考察していきたいと思っています。

「考察」なので正解不正解はなく、あくまでも「私はこう解釈しました!」くらいのものなのでそこは大目に見てくださいm(_ _)m

願わくば、誰か1人でもRURUTIAが好きな人にこの記事が届いたらいいなと思います。
それは明日かもしれないし、1年後とか5年後かもしれないけれど。
ネットという海に1通のボトルメールを流す、そんな気持ちで書いていこうと思います。

それでは今日はこの辺で( ˘ω˘)

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