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水不足のカリフォルニア、私の悔し涙で大歓喜

こんにちは。清家です。

ロサンゼルスに来て1か月半が経ちました。時の流れははやいなあと思う日もあれば、なんだまだ1か月半しか経っていないのかと思う日もある。

目が覚めたとき自分の部屋ではない天井の景色に不自然さを覚えることもあれば、ぼーっと信号待ちをしているとき、またはバスの降車ボタンを押す瞬間、まるで生まれてからずっとこの街に住んでいたように感じることもあります。

1か月半。短いようで、実はとても長いのかもしれません。

たくさんの経験をしました。数えていたら日が暮れてしまうほどのトラブルとも対峙した。でもそれと同じくらい学ぶこともたくさんあって、「来なければよかった」と思ったことは幸いまだないように思います。

けれどたくさん、本当にたくさん悔しい思いをした。日本語においては誰よりも上手に伝える自信があった自分の気持ちを、「語学力の不足」そして「知識の不足」によってうまく伝えることができずに相手を困らせることがたくさんあった。

今日は、そんな「悔しさ」にまみれた日々で、自分なりに辿り着いた新しい考え方について。


▽偽りのトップ意識

物心ついたときから英語に夢中でした。中学でも高校でも1番をとることが私の誇りだったし、たとえ苦手な理科で8点を取り続けたとしても、たとえ嫌いな体育をサボり続けた挙句単位を落としそうになったとしても、英語で100点をとれていればそんなの気にならなかった。

「私は英語が得意なんだ」とずっと思っていました。でもそれはある意味正しくて、ある意味では間違いだったのかも。

リーディングが得意です。英米文学を大学で学んでいく中で、腐るほど英語の本を読んできたから。ライティングが得意です。人前に出るのが苦手なぶん、なんでも文章にする癖がついているから。リスニングが得意です。ビートルズが好きな母のおかげで、生まれてからずっと英語の音楽を聴いてきたから。

よくも悪くもテストで自分自身の能力を判断される日本での「英語」において、この3つを得意としていることは高得点につながりやすい。

でも実際にアメリカで生活をする上で大事なのって、リーディングでもライティングでもないんですよね。当たり前だけれど。

リスニング力がついていたことはとても役に立ちました。多くの留学生が何か月もかけて相手の言っていることを理解できるようになる中で、その何か月かぶんを先に習得していたのはかなり有利に働いたと思います。

でも相手が何を言っているのかわかっても、スピーキングに慣れていない。頭の中で日本語で返事を組み立てることはできても、それだけでは英語を話す彼らと会話を成り立たせることはできない。

言葉にどもると、相手は私を「英語を理解できない人」だとジャッジします。大抵の人は辛抱強く待ってくれますが、小声でバカにされることもあった。たぶんどんな英語を言っても私に意味は伝わらないと思ったのでしょう。でもその小声の中傷はしっかり理解できる。それなのに言い返すスピーキング力と瞬発力はない。

すごく、すごく悔しかったです。

私が誇りに思っていた自分の英語の成績は所詮紙きれの上に書かれた文字と空気中に舞う言葉だったのであって、実践力にはならなかった。

今までの努力はなんだったんだろう、と泣きたくなりました。


▽マジョリティvsマイノリティ?

生まれたときから英語で育ってきて、世界中で学ばれている言語ゆえに、ほとんどは苦労せずにどこの国に行っても大抵は現地の人と意思疎通をとることができる。そんな彼らがとてもうらやましくて、それと同時に恨めしくも思いました。

こんなに苦労をして英語を習得するために何年も必死になっている語学学生たちの横で、英語を話すことが当たり前の環境で流暢にその言葉を使いこなす彼らは、私たちが語学学習に使っている時間を他の事に使うことができる。他の分野を学ぶことができる。最新の論文だってまずは英語で出されることが多いなかで、一番にそれを読むことができる彼らはどれだけ幸せなのだろう。

本当に羨ましい。悔しくてたまらない。「英語が母国語だったならば、私だって」と何回思ったのだろう。数えきれない。


▽「嫉妬」のパワー

でもそれをうらやましがったところで、事実は何も変わらないから。私たちはマイナー言語を話す「日本」という国に生まれてきたことをしっかりと受け止めて、その上でネイティブスピーカーたちと闘っていかなければならない。

だからこそこんなに必死になって習得した言語を使わないのって、きっとすごくもったいない。

悔しい思いをたくさんした分、最近の私は日本をとても恋しいと思う気持ちの裏側で、「この国に、アメリカにいつか絶対住んでやる」というよくわからない意地でいっぱいになることがあります。

日本人の底力を見せてやりたい。「日本人はシャイだ」と授業でも学校の外でもよく言われます。「気持ちを表に出さないのが彼らの生き方だ」と言われながら、事実でもあり侮辱でもあるこの言葉を受け取ってきました。

ならば静かに静かに力をつけて、声を出さない分裏側からよじ登っていって、だれも気付かないまま高みに登りたい。やっと気づいたころには追い付けないほど高いところに上っていって、そこでやっと自分の力を見せつけてやりたい。

この執念、ちょっと怖いなと思いました。でもきっとそう思うようになるほど、本当に本当に悔しかったんだと思います。


▽「尊敬」への昇華

悔しいと毎秒思うと同時に、彼らの考え方に感銘も受けました。

ずっと「声を上げること」を大切にしながら育ってきた彼らであるからこそ、自分たちの環境を変えるためにはまず自分たちが変わることが不可欠だという考えがとても浸透していると日々感じます。

ホームステイ先の11歳の少年は、まだ小学生であるにも関わらず政治や世の中に対して強い関心を持っています。ストライキに参加し、テレビに出たこともあると聞きました。

21歳の私は日本の政治なんて一ミリも知らないし、興味を持ったこともなかった。総理大臣が変わったことに気づかないことさえあった。選挙権が18歳まで引き下げられた最初の世代であるのにも関わらず、選挙にはいかなかった。次の選挙は母に無理やり連れられて行った。1人も候補者の名前を知らなかった私は結局母が選んだ人に投票して、候補者の漢字を間違えたまま投票箱に紙を入れた。たった家から2分の体育館での投票だったにも関わらず、「雨なのに外に出るなんて面倒だなあ」と考えていたことを覚えています。

名門大学UCLAの目と鼻の先に位置している語学学校に通う中で、政治に対しての知識と興味が段々と湧くようになってきました。この前は授業料がどんどん上がっているのにも関わらず削減された教師や従業員の賃金に対する抗議運動として、有名な議員が朝の7時から大学で抗議活動を行っていました。たくさんの学生や市民がその運動に参加して、私の語学学校はその話題でもちきりでした。ニュースにも取り上げられました。

私と年もあまり変わらないような人たちが自分たちの権利のために当たり前に声をあげている。もちろん同世代の日本人にだって政治に関心が強い人もたくさんいるでしょう。それでも比べ物にならないと感じます。少なくとも私は私の無関心に心から恥ずかしくなってしまって、これは見習うべきだと素直に思わずにはいられなかった。

謙虚に寡黙に。それが日本の美しい品性であるのであれば、私たちはそれにちょっと意見をプラスして、自分たちの声を私たちなりにあげる方法を探っていくべきなのでは。


▽ぬるま湯から、湯冷め

たくさん悔しい思いをした。だからこそ学べることがあった。

一回日本から離れて本当に良かった。ぬるま湯から出ることで新しい考え方に触れることができた。

「憧れの街、ロサンゼルス」から「私が生きている街、ロサンゼルス」へと見方が変わった。

憧れから一歩を踏み出して、やっと客観的に、そして現実的にこの街を見ることができるようになった。だからこそ、今からが自分の留学生活の勝負なのではないかと思わずにはいられません。

4割の不安と6割の好奇心が、2割の不安と8割の好奇心へと変化した。

あと半年弱残っています。

日本人としてのアイデンティティを崩すことなく、アメリカのいいとこどりをしたハイブリッドとして、悔しさをバネにして、日本に帰るまで頑張ってやろうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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