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「許されない」ことへの好奇心

こんにちは。清家です。

Taylor Swiftの"22"という歌を知っていますか。

私がこの歌を初めて聴いたとき、「22歳になっている自分なんて想像できない」と思ったことを覚えています。

Forever21というファストファッションブランドはみなさんご存知でしょう。

私が初めてここで服を買ったのはおそらく高校1年生のころ。

当時15歳だったわたしは、永遠の21歳という意味を持つこの店で15歳の私が服を買っていることをおかしく思い、「6歳も年取ってどうすんだ」と思ったことを覚えています。

時間は無常だ。

私は私はもう21歳で、あと3か月後には22歳になる。

今は永遠の21歳にしがみついていたいし、Taylorの曲を聴くとドキドキするようになってきた。


「子供だから」という理由で私を守ってくれていた法律たちはもう他に守るべき子供たちを優しく取り囲んでいて、今の私は「自分の責任」という一見自由なようで形容しがたいほどの重みを持つ言葉を胸に抱きながら、自分なりに必死に日々を送っている。



20歳になったとき、日本でお酒が飲めるようになった。煙草も吸えるようになった。

大抵の人がそうなように、私も大学に入ったときからお酒を飲み始めるようになった。いけないことだと知りながら、それを繰り返すのが当たり前だった。私は18歳のときも、19歳のときもお酒が好きだった。


それでも「20歳」の肩書を手に入れた2年前の6月の私は、堂々とお酒の場に足を踏み入れられるようになったこと、そこに自分の居場所を見つけても誰にも責められないことを改めて誇らしく思った。



私は煙草は吸わない。けれど、自分の感情が急に溢れてしまったとき、それを落ち着けないとどうしようもなくなってしまったとき、今までは涙として頬に流れ落ちていたその感情を、駆け込んだコンビニで買った「どうせ吸うのなら、」と見栄を張って選んだ10ミリの煙草の煙に乗せて夜の東京に流すことができるようになった。


21歳になって、アメリカでもお酒が飲めるようになった。過去2回訪れたラスベガス、当時の私は15歳と20歳だった。カジノとアルコールにまみれたあの街で私ができることは、使用済みのトランプをお土産として買うことぐらいであった。今の私はお酒でハイになりながらカジノで自分の人生をハッピーにすることもできるし、一瞬でホームレスになることだってできる。

選択肢が増えるということは、予想していたよりもはるかに素晴らしいものだった。



それでも私の中にいるもう一人の私が、ちょっと嫌な部分を見せることがある。


人に「ダメだ」と言われると、みなさんはなにを思いますか。

悲しい気持ちになりますか。怒りを抱きますか。

それとも、嬉しい気持ちになりますか。それならあなたはたぶんマゾなのでしょう。


少なくとも、私は少しだけ抗ってみたくなる。

お酒を飲むのが好きだった。飲める年齢になってから飲むお酒は2倍素敵だ。

でももしかしたら楽しさは、前者のほうがあったのかも。



彼女がいる人に好きだと言われたことが3回ある。これは恥ずかしいことだ。

彼らは結婚しているわけではないのだから、別に罪ではないのだけれど。

嬉しいと思ってしまった。これはとても、とても恥ずかしいことだ。


「既に相手がいる相手に好意を抱く」行為は罪なのだろうか。そうは思わない。だって好きになってしまったのだから。仕方がない。

「既に相手がいる相手に好意を抱かれる」行為は罪なのだろうか。そうは思わない。好きになるときは好きになるし、なられるときはなられる。仕方がない。

仕方がないのだ。それでも私は恥ずかしいと思った。


つらい恋愛をしたことがある。「相手」の「相手」、の気持ちが死ぬほどわかるからこそ、自分の立場を相手に置き換えてみたときに死ぬほど吐き気がした。


結局応えることのなかった気持ちだったけれど、恥ずかしいと思うと同時にとても嬉しかった。私は私のことが好きな人がとても好きだから。しばらくして、相手が彼女と別れた。もうなにも嬉しくなかった。


所詮「彼女の次、に好きな人」だった私は、だからこそ変な責任感もプレッシャーも感じる必要はなかった。選択肢なんてない。自由に遊んで、自由に恋をして、恋をされて、好きなことをしていればよかった。

お互いフリーになって、今後の関係性の選択肢を与えられることとなった。「面倒くさい」と思ってしまった。


その人と一緒にいる時間が好きだったのはきっと、無駄にプレッシャーを感じる必要も、未来の拘束もされる心配もなかったから。ただただ自由に、好意だけを無邪気に受け取ることができたから。


選択肢が増えて、悩みも増えた。
どちらが幸せだったのかは、既に与えられている今のわたしには、もうわからない。


お酒も煙草も、恋愛も。

選択肢が増えるということ。それぞれ意味は違えども、予想していたよりも、はるかに虚しさを伴うものだった。


「許される」という行為は一見ハッピーなように見えて、実はとてもつまらないことなのかもしれない。



社会の道徳の中に生きていたいという自分と、その中で感じてしまうつまらなさをぬぐい切れない自分の間にある矛盾は、どこにいったら綺麗に取り去ることができるのでしょう。

私にはわかりません。

私はもう21歳だけど、同時にまだ21歳だから。

がむしゃらに経験してみて、あとから気づいてみないと何もわからないのかも。



みなさんは自分の心の中の矛盾、何個ありますか。

その矛盾、大切にするべきか拭い去るべきか、わかりますか。

知りたいようで、これを知ったら大切なものがなくなってしまうような気もしてしまいます。


最近の、ちょっと嫌な悩み事でした。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。




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