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第108回 二条天皇崩御と音戸の瀬戸完成 

長寛3(1165)年6月5日、体調が悪くなってきた二条天皇(23歳)は永万と改元し、その月の25日に2歳の順仁(のぶひと)親王に譲位されました。六条天皇です。そしてずっと寝込まれてしまいました。

7月、音戸の瀬戸の修築は最終段階に来ていました。
「大夫様(清盛のこと)、あとひと息でできますのに、この頃、日が短くなり、工事が進みませぬ」
現地に行っていた清盛は、「そうか」とにわかに扇を持って、
「日よ、返せ、返せ」と煽(あお)いで必死に祈りました。
その姿を見て、
「我らも頑張るのじゃ」
そして7月16日、ついに音戸の瀬戸の修築は終わりました。
「これで幅が広くなり、底も深くなって、船も通りやすかろう」
清盛は満足げに笑っていました。家来や民衆たちもこの難事業を率先して指揮した清盛を畏敬の念で涙して仰ぎ見ていました。

それからまもなく7月28日に、二条上皇は若くして崩御されました。
幼い六条天皇には祖父にあたる後白河上皇(39歳)が院政を再び執(と)る事になりました。二条天皇とは不仲で政治を執らせて貰えなかったのです。清盛を良き相談相手としながら。(続く)

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