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第139回 名馬・木の下(このした)の行方

高倉上皇は、清盛と中宮徳子を伴って厳島へと御幸しました。
上皇は、父母も参詣した噂の壮麗な朱塗りの大鳥居や社殿を見て、感嘆しました。しかし清盛の偉業を見るにつけ、自らの無力を感じておりました。(10ヶ月後に21歳の若さで崩御されます)

その頃、源頼政の長男仲綱が、清盛の3男宗盛に遺恨を抱く出来事が起こっていました。
仲綱は木の下(このした)という鹿毛の名馬を持っていました。それはかつて亡き重盛が持っていた名馬を、褒美に賜ったものでした。しかしそれに宗盛が目を付けました。
「亡き兄上の馬だったら、もともとは平家のものではなかったか」
宗盛はひどく木の下を欲しがりました。
家来も焚き付けました。「あんな仲綱には勿体のうございます」
「相国様は頼政殿に従三位を差し上げたではございませぬか。馬の一頭くらい献上させてもよいと思います」

「そうじゃな」宗盛は次第に当然と言う意識を持って、仲綱に木の下を献上せよという使いを何度も送るのでした。(続く)

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