第152回 福原遷都
治承4(1180)年4月末、伊豆の国に怪しき山伏が入り込んでいました。亡き源為義の末子、行家でした。柿の衣に身をやつしながらも、懐には錦の袋を持っています。27日に、北条の館に着きました。
「後白河法皇の第三の皇子、以仁王の令旨を賜ってござる」
と行家は申し入れをしました。
頼朝と北条時政は着替えて平伏し、令旨を戴きました。
そして、「諸国の源氏、起て」という内容を見て、行家が帰った後、34歳になっていた頼朝は思案しました。すでに妻政子との間に生まれた大姫は数えの3歳になっていました。
「あれから20年か」頼朝は池の禅尼から救われた事を思い出していました。そして清盛の顔も。
一方、京の清盛は、南都だけでなく今は調停して穏やかな比叡山もいつ反平家に転じるかもしてないと思っていました。
「京から都を遷さなくては」
かねてより考えていた福原に都を遷し、大輪田で莫大な収入をあげて国家を繁栄させる・・・自分の血が入った皇統の未来永劫のために・・・
6月2日。清盛は福原への遷都を強行しました。平安京から、自身の力の強い福原を都とすることで、この危機を乗り切ろうとしたのです。(続く)
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