第44回 藤原家成の死
仁平4(10月に久寿と改元:1154)年5月、鳥羽法皇第一の近臣であった藤原家成が48歳で亡くなりました。2012年の大河ドラマ『平清盛』では佐藤二朗さんが演じていました。茫漠とした方なのかなと思っていて、今回調べ直したら、白河法皇が崩御した1129年に、白河法皇の近臣であった父家保(渡辺哲さん配役)や兄を失脚に追いやり、自分が鳥羽上皇第一の近臣に収まるなど、なかなかしたたかでやり手です。
清盛の継母宗子が従姉で、若い頃、清盛は家成の邸によく遊びに行っていた様です。吉川栄治さんの『新・平家物語』では高下駄を履いていたので「高平太ー高下駄を履いた平家の太郎(長男)」と呼ばれていたと書いてあります。
家成の家系は藤原北家とはいえ、魚名流といい、主流の摂関家から見ればかなり格下です。関白忠通は院の実力ある近臣なので途中から態度を改めましたが、頼長は依然として「諸大夫の家」と馬鹿にしていました。そして自分から悶着を吹っかけた事は前回に述べました。しかしこれはブーメランの如く、頼長を後日失脚させる事になります。
家成には19人の子がいました。今回分かったのですが、清盛の最初の妻の父高階基章と養子の兄弟ながら高階宗章という人の娘を妻の一人に迎えて長男・隆季を儲けています。隆季は終始清盛に協力的で、その子隆房は清盛の娘を妻に迎え(小督との恋愛では苦しめましたが)、平家滅亡後も建礼門院の世話をしています。四条家(一時冷泉家とも)を号し、隆房の孫貞子は西園寺実氏の妻となって姞子を産み、姞子は後嵯峨天皇の中宮となって後深草・亀山両天皇を産み、南北朝の萌芽を作るなど歴史に彩りを与えています。
家成の娘経子(森口瑤子さんや高橋愛さん演じる)は清盛の長男・重盛の妻となりました。
あと有名な所では成親(なりちか:吉沢悠さん配役)がいます。途中で、後白河法皇側について「鹿ケ谷の変」を起こしで平家を倒そうとし、流罪の後、殺害されています。藤原俊成の娘を二人貰い、一人はnoteでも取り上げた「建春門院新大納言」-平維盛の妻、六代の母が娘にいます。もう一人の妻からは、公佐(きみすけ)という男子がいて阿野全成(義経の同母兄)の娘を妻として、阿野家の祖となっています。もちろん阿野廉子(後醍醐天皇の寵妃:別の大河『新・太平記』で原田美枝子さん)も子孫にいます。
だいぶ取り留めもなくなってきましたが、もう一人家成の養子である僧・西光(さいこう:信西と乳兄弟だった事が分かりました:加藤虎ノ介さん配役)はやはり鹿ケ谷の変で逮捕された後、清盛に悪口雑言を言ったため、口を裂かれてから三人の息子と共に斬首されたといいます。しかし西光の一族近藤親家は、屋島の戦いの時に源義経の道案内をしたと言われ、西光の仇を討って平家滅亡に加担したのでした。(続く)