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第122回 能信の死

康平8(1065:治暦と改元)年初め、能信(71歳)は病床に臥していました。同母兄の右大臣・頼宗(73歳)も同じく病でした。
能信としては、ぜひ応援している東宮尊仁親王(32歳)の即位を自分の眼で見たかった事でしょう。
そして、無批判の『栄花物語』を直すべき歴史書の作成。どこまで進んでいたのでしょうか?
しかし誰かに託さなければいけません。能信は実子がなく兄頼宗の子・能長(よしなが)を養子にしていましが、どうも同じ甥でも文才のある源俊房(31歳)・顕房(29歳)に委ねた形跡があります。
二人の優秀な兄弟は源師房と、能信の同母妹・尊子の間に生まれた子です。特に弟の顕房は、饒舌で話を作って言うのが好きだったといわれるので、『大鏡』の作者にはぴったりです。

そして2月3日に兄頼宗が、9日に弟能信が亡くなりました。鷹司方より先に逝くのは無念だった事でしょう。関白頼通は74歳、左大臣教通は70歳で健在でした。
東宮尊仁親王の即位はすぐそこまで迫っていました。(実際は3年後)
身を張って自分たちを庇護してくれた能信に感謝した事でしょう。

6月に空位になった右大臣に頼通は早速可愛い我が子師実(24歳)を就けました。

12月、東宮の皇子・貞仁親王は13歳で元服しました。何度も言いますが、後の白河天皇でもちろんこの方も能信に感謝していました。(続く)

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