第56回 源為義、息子に処刑される(1)
保元の乱に勝利した天皇側では、7月11日の朝、早速、東三条殿で論功行賞がありました。すでに信西が考案したものでしたが、それは勲功第一の源義朝を冷遇した意外なものでした。
「平清盛に安芸国に加えて播磨守を兼任す。源義朝には下野国に加えて右馬頭(うまのかみ)を兼任す」
清盛はにんまりとしました。播磨は米の生産が多く上国です。
義朝は顔が引きつりました。下野はもともと下国であり、自分の方が播磨国ではないかと思いました。それに右馬頭は馬引きの仕事です。
後で義朝は抗議しました。しかし右馬頭が一つ上の左馬頭になっただけでした。
「清盛など、為朝の力に恐れて逃げていただけではないか。今回の殊勲はわしぞ」
義朝は酒を呑みながら面白くありませんでした。
一方、信西は崇徳上皇側に与した武士に対しては、
「今回は、敵になった者は温情で、軽微にす」
と触れ回らせました。しかしこれは真っ赤な嘘でした。
東国に逃げようとした為義はこれを聞き、
「義朝はこの老いぼれの父を助けてくれるに違いない。わし自首をする」
と気弱に言いました。八男の為朝は、
「父上、いくら兄上でも朝敵を助けられるかどうかは分かりませぬぞ。私と共に東国へ逃げて下され」
と泣く様に説得しましたが、為義は静かに首を横に振りました。(続く)