第101回 「夢(ゆめの)浮橋」と「竹河」
薫と匂宮の両方からの愛に悩んだ浮舟は、ついに宇治川に身を投げようとします。古来から二人の男の一人を選べずに自死を選んだ女の話も伝わっていました。
しかし香子は、川まで行けずに木の下に倒れている浮舟を横川の僧都に助けさせます。そして小野に住む、娘を亡くした妹が甲斐甲斐しく世話します。
一方、浮舟が亡くなったと思い込んだ匂宮と薫はまた女漁りを始めます。またまた香子の「男ってそういうものよ」という声が聞こえてきそうです。
浮舟は記憶喪失になっていましたが、次第に昔の出来事を思い出します。また、小野の妹尼が亡き娘の夫だった男と妻合わそうとするのが煩わしく、ついに尼君の留守中に僧都に頼んで出家してしまいます。
「几帳の間から出る黒髪を鋏がぎしぎしと音を立てて切っていく」-えらくリアルなので、同じく出家の経験がある寂聴さんは、もうこの時点で紫式部も出家していたのではないかと推測されています。
やがて薫の使いとして異父弟の小君が浮舟のすぐ近くに現れますが、浮舟は断固として会いません。「これから一人で生きていく」と高尚な姿です。それにひきかえ薫は「もう別の男に囲われているのだろうか」とげすな煩悶をして物語は終わっていきます。
それから女房達の間で「玉鬘さんがあれから全然出てこないけど書いて頂きたい」という要望があり、香子は、髭黒の大将と結婚したその後を構想して書き始めました。
髭黒とは三男二女を儲けて幸せそうな玉鬘でしたが、髭黒の偏屈な性格が災いしてか、髭黒の死後、子供達は引き立てて貰えません。
冷泉院の強い要望で、玉鬘は長女大君を、雲居の雁(玉鬘の異母妹)の長男が求婚しているにも拘わらず、冷泉院の元へ入内させます。嘆く長男を見て、雲居の雁からはひどく恨まれます。また大君は冷泉院の子を産みますが(光源氏は罪の子だから子孫はできないと思い込んでいたのに)、それが弘徽殿の女御(玉鬘の異母妹)の不興を買います。
玉鬘は異母妹たちから恨まれ、憂愁にまみえます。また亡き髭黒の先妻との娘である真木柱は紅梅大納言(柏木の弟)と再婚し、賑わっています。
それを見ては自らの不幸を玉鬘は嘆きます・・・
ここで香子の筆は止まってしまいました。帖の名は、藤侍従が歌う催馬楽から「竹河」としました。
女房となっている娘の賢子が言いました。
「母上、この『竹河』が物語の最後だとしたら『夢浮橋』の方がよほど最後に相応しいですわ」
彰子や他の女房も同じ意見でした。そして「雲隠れ」の後、「匂宮」「紅梅」の次に「竹河」を入れる事で皆の意見は落ち着きました。その次から「宇治十帖」が始まるからです。「匂宮三帖」とも言われる様になりました。
浮舟が薫と会わないのはいいとして、母親、乳母にはやがて会うだろうと、素人目の私も思いました。特に乳母は、二条院で匂宮が浮舟を犯そうとしたのを体を張って止めたのです。匂宮につねられても何をされても「この蝦蟇(がま)の様な女め」と罵倒されても。
続編・補作がやはり作られ、鎌倉時代の作とされる『山路の露』では浮舟は薫・母・乳母・弟の小君と会っています。
更にその後の製作と思われる『雲隠六帖』では何と薫と浮舟は結婚しています。何だか・・・薫と会わずに女性の自立を浮舟にさせた紫式部の意図はどうなるの?『おふくろさん』の歌詞を勝手に変えられた作詞家は激おこでしたが。 そこまでやられるとガッカリですよね?