第27回 平清盛(3)
少年の清盛がいつまで祇園の女御の元にいたのかは分かりません。しかしやがて父親(社会的な)の平忠盛の所へ帰ります。忠盛には正室宗子や多くの子がいましたが、清盛を我が子として遇します。懐の大きさを感じますね。
若い清盛は血気盛んで乱闘事件でしばらく、宗子が産んだ弟家盛に嫡男の座を代わられた時期もあるのですが家盛が20代半ば(『平治物語』では23歳)で亡くなってからば、平家嫡流の座を万全としました。
家盛と言えば、宗子(池の禅尼)が源頼朝の助命をする時に、「亡き家盛に似ております」と言ったと言われますが・・・
清盛の能力はやはり素晴らしく忠盛亡き後、平家を率います。そして保元の乱。父忠盛が崇徳上皇の皇子重仁親王の乳母夫をしていたので崇徳上皇側につかなければならないかと悩んでいると、例の池の禅尼が「上皇側は負けます」として後白河天皇側につき、それから清盛はどんどん昇進していきます。(続く)