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第91回 あなたこなた

後白河上皇と二条天皇は父子ながら反目し合い、そしてお互いに平清盛を頼っていました。清盛は両者の対立を尻目に「あなた、こなた」と天性の社交遊泳術から上手に立ち回り、勢力を伸ばしていました。
例えば、二条天皇の乳母夫として相談に乗りながら、後白河上皇に無礼を働く二条天皇方の公卿を追放したりしました。二条天皇には、
「嫌なに、形だけですぐに戻します」となだめていました。

清盛は一方で、妻時子の異母妹で美しい19歳の滋子(しげこ)を上西門院の女房として出仕させました。
その頃、同母姉である女院と同殿し、毎日の様に遊びに来る後白河上皇は、滋子の美貌を見逃す筈はなく、やがて妃の一人にしました。そして永暦2(1161)年になって滋子が懐妊したのが分かりました。

それから半年、待ちわびる清盛に朗報が届きました。
9月3日、滋子は皇子を産んだのです。憲仁(のりひと)親王と命名されました。(後の高倉天皇)
翌4日には慶事であるということで、応保(おうほう)と改元までされました。
後白河上皇方に平家の女人が皇子を産んだのは、二条天皇に脅威となりました。
「朕を退位させて、憲仁を即位させようとするのではあるまいな」
二条天皇は煩悶したのでした。(続く)

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